アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

Twitter:@yuriyoshihara 



読みました。
電子書籍の感想を書く2行目にこんなことを書くのもどうかと思うのですが、実は私、電子書籍が嫌いです。友達が持ってるものをちょっと触らせてもらったときに、どうにも本を読んでる感じがしなくて、フィルター越しの異世界を覗いているような感覚になるのがイヤでした。本を持った瞬間の重さで分厚さを実感する体験も出来ないし、あるページと別のページを瞬時に読み比べることも出来ないし、読書するときにまでブルーライトを見つめたくないし、とにかくアナログな私にはちょっと馴染まないなぁと。
で、今回チェコ好きさんが本を出されると知って「読みたい!」と思ったものの、「電子書籍か、まじか……。」と一度は諦めたんです。でもamazonで読める目次を眺めてると、もうどうしてもどうしても読みたくなって、電子書籍デビューを決めました。
ただし、「Kindle端末買ってもどうせ今後使わないだろう」ということで、スマホとパソコンに電子書籍用アプリをインストールして。

そんなわけで初の電子書籍だったこちら、とっても読みやすかったです。
チェコ好きさんは日ごろから、ブログで文学や芸術についての文章を書かれていて、それは決していわゆる「超とっつきやすい」分野ではないんですが、ご本人がしっかり噛み砕かれているからなのか、分かりやすいんですよね。
この『旅と日常へつなげる』の中にも、文学作品やその中で展開される学説・哲学が度々登場します。学校で授業が下手な先生が話したら多分居眠りする生徒続出でしょうが、チェコ好きさんの丁寧な解説やたとえ話、親しみやすい語り口のおかげで「ふんふん、なるほど」とガツガツ読めました。

◇パラレルワールドにリアルワールドが侵食される不気味さ

で、また私のカミングアウトをさせていただくと、実は私、インターネットがあんまり好きじゃないんです。

そう言いながらこの文章もネット上にあげているし、SNSはtwitterとfacebookとLINEを使っているし、何よりインターネット上に載る文章を書く仕事をしています。そんな人間が「インターネット好きじゃない」って、ちょっと由々しき事態なのかしらとあまり口に出来なかったのですが、チェコ好きさんがこの本の中で『実は今でも、本音を言うと、「インターネット」が嫌いなんです。』と書かれているのを見て、「いたー!ここにもいたー!」となんだか心強くなり、言ってみることにしました。

とは言っても、インターネットの恩恵を十分にうけていることは自覚していますし、もしインターネットが無かったら仕事も出来ないので、「インターネット無くなってしまえ」と思ってるわけではありません。
ただ、SNSに代表されるインターネットでつながった世界というのが、リアルな世界と同様、もしくはそれ以上のパワーを持ったパラレルワールドのように感じられることがあって、そういうとき、背筋がすっと凍るような感覚に襲われます。パラレルワールドがパラレルワールドであってくれる間はまだよくて、どんどんそっちの世界がリアルの世界を侵食しているような(いま私は物理的にはあり得ないことを言っていますが、人間の感覚の中での比率の問題です)、それが日を追うごとに静かに確実に進行しているような気がします。

実際、3~4年会ってなかった友人と再会したとき、「久しぶりー!もう何年ぶり?でも、Facebookで見てるからちょくちょく会ってるような気がするよ」という会話を私自身もしたことがあります。他愛もない、ほほえましい会話ですし、なかなか会えない友人の顔をネット上ででも見られるのは嬉しいです。
でも、この「気がする」って危険な感覚だと思いませんか。
会ったような「気がする」、実際行ってないけど行ったような「気がする」、実際に見てないけど見たような「気がする」……。便利です、確かに便利なんです。極端な話、1日中家にいて誰とも会わなくても、友達の顔を見た気がする、Twitterを開くことで誰かと会話した気がする、あちこち出かけた気がする。案外それで満足出来るかもしれない。そうすると、実際に「会いたい、話したい、見たい、出かけたい」と思う意欲や渇望感がどんどん減っていくんじゃないかと。
パラレルワールドの中の体験で満足してしまって、リアルな世界での行動意欲が減退するのは、本来リアルでの活動を円滑化・効率化するために存在するツールにリアルが乗っ取られているわけですから、手段の目的化というか、本末転倒です。

こういった日頃の思いがあって、チェコ好きさんが本書で『身体性を取り戻す』と書かれている部分に、深く共感しました。実際に体験すること、深く関与すること、「実感」というものを大切にすること。質感の無いパラレルワールドの住人にならないためには、欠かせないのではないでしょうか。


◇私なりのデジタルデトックス

この本の中で、チェコ好きさんは旅を契機に短期の『SNS断ち』をしています。
先ほども述べたとおり、私はWeb上で文章を書く仕事をしているので、なかなか完全なるデジタルデトックスは出来ません(たまにしたくなります。ディスプレイを見るのもいやで、鉛筆で書いた手書き原稿をFAXで送りたい……と妄想することもしばしば)。SNS断ちだけでも、と思っても、自分の記事の告知をしたい、いま注目されている記事をチェックしたい、とついつい毎日開いてしまう。
ただ、こういう仕事をしているから特に、自分の中でのバランスを意識して調整しないとパラレルワールドに片足つっこみそうになることがしばしばあります。
そういう疑似体験が実体験を駆逐してしまいそうなとき、私はとにかく人に会います。しかも、あんまりSNSを使わない人に。
ありがたいことに私の周りには「プライベートで使うインターネットは、LINEと、食べログと、一休と、路線検索と、amazon。Facebookは使うけど、たまに見るくらいだなぁ。」みたいな人が結構いて、彼・彼女らと一緒に時間を過ごしていると、ゆがんだ骨盤が矯正されていくように、片寄った重心が良い感じに戻っていくのを感じます。会話の内容も、私が仕事の話をすれば多少インターネットの話になりますが、それ以外の話をしていればパラレルワールドでの出来事は登場せず、ひたすらリアルの世界での話で盛り上がる。
この時間がいまの私にとってはデジタルデトックスです。時間にすればたいした長さではありませんが、精神的濃度が密なので、なかなかの効果を感じています。



電子書籍が嫌いだとかいいながら、結局読み終わった満足感はとても高かったです。印刷して綴じておきたいくらい(違法なのかな?)。 インターネット大好きだけどたまに疲れるよ、という人も、 私のようにインターネットあんまり好きじゃない人も、 これから日を追うごとにどんどん生活の中での勢力を増してくるであろうインターネットとの付き合い方の一つの提案として、ぜひオススメしたい1冊です。

高校時代からの友人が、新卒で就職した企業を退職しました。日本を代表する航空会社の1つで、CAをしていた彼女。
結婚し、第一子を妊娠して産休&育休、その間に第二子を妊娠したので再度産休&育休。育児をしながら、今後の仕事をどうしたもんかとずっと考えていたそう。
1年くらい前だったか久しぶりに会ったとき、
「やめるか続けるか迷ってるんだよねぇ」
と言うので
「んー、旦那さんの収入で十分やってけるだろうけど、せっかくだから一旦復帰してみたら?職種的に時短は無理にしても、なんか復帰後の制度ないの?」
と聞いたところ、驚きの答えが。
「ない。国内線か国際線かの希望すら出せない

えっ!?
いやいや、子育てしながら国際線って……鬼?

だって、CAさんって泊まり勤務がどうしても発生しますよね。国内線ならせいぜい一泊だから、旦那さんがその日だけ早く帰るとか、帰れるまでシッターさんを頼むとか、まぁやってやれないこともない気がする。
でも国際線だと……。下手したら4〜5日帰れない。もうそれって、旦那さんが専業主夫か、絶対6時に帰れるか、3世代同居でもしてない限りまず無理だと思うんです。
友人は夫婦とも実家が遠方だし、旦那さんも忙しい。

「グランドホステスに社内異動って言う道はないの?」
「うん、採用のラインがもう全然別だから、それも無理なの」

結局、彼女は退職を決めました。

専業主婦になって子供といっぱい一緒にいられる生活も幸せだと思う。でも、そこに彼女が選択する余地はなかった。
厳しい採用試験をパスして、訓練うけてやっと1人前になったのに、家庭人としての役割を全うしようとすると辞めざるを得ないシステムなんだなぁと、なんとも言えない気持ちになりました。しかも零細企業じゃなくて、名だたる大企業で。

会社のシステムの壁、預け先の不足、周囲の無理解、ママの復帰を阻むものは沢山ある。
政府も、企業も、男性も、本気で女性に「産め、そして働け」というなら、根本から意識・制度改革してくれないとこりゃ無理だよ……と身近なところでしみじみ感じた今日この頃です。


主体性と柔軟性のバランスは最近のとても大きな課題でして。

image

30になった辺りから「主体的に生きたい」という思いが強くなりました。
おそらくそれは、“褒められて伸びる出来の良い長女”だった10代、“レールにしがみつくのに必死”だった20代の反動のようなもので、家庭環境・予期せぬ病・自分自身を縛る考え方からそろそろ脱皮して、自由に好きに強く生きたいという感情が頭をもたげてきたのだろうと思います。(もちろん人様に迷惑をかけない範囲内で)

他方で私は、「人の意見に耳を傾けること」に非常に重きを置いています。自分の目はたった2つ、視点は1つ。どんなに本を読んでいても、視野を広く持とうとしていても、どうしたって限界がある。その狭い“自分”の範囲内で凝り固まるには私は賢くなさすぎるし、経験も知識もひらめき力も気づく力も全然足りません。しかも私の考えなんて世の中に星の数ほどある考え方の中の1つに過ぎないわけで、何かをきっかけに、目からウロコが落ちて120度くらい考え方が変わることだってあり得ます。

だから、周りの知恵を借りたい。思わぬところにヒントがあるかもしれない。そのためには柔軟でいたい。
最終的にそれを取り入れるかは別として、入り口の段階で絶対に門前払いはしない。素直に耳を傾けて咀嚼することは絶対です。その過程で違うと思えば吐き出せばいい。
そしてその姿勢は、主体性とはなんら矛盾しないと思っています。

でも、そう思わない人もいるよう。

三人寄れば文殊の知恵といいますよね。仕事でもプライベートでも何かについて考えようという場面で、私一人のちっぽけな脳みそで考えるよりも、脳みそが2つか3つになればいい考えが浮かぶかもしれない。自分の意見はまだ固まっていないからひとまず相手の意見やアイディアを聞いてみよう、そして相手の話のアウトラインが見えるまでは腰を折らないよう聴くことに注力していようとしたとき、それを「主体性がない」と言われると、「はぁ!? 柔軟でフラットといってよ。『私の考えが絶対』と言わんばかりに食い気味に反論して、鼻息荒く進める中途半端なインテリ女よりましでしょ、ボケっ」ってぐらい毒づきたくなるんですが(お目汚しすみません)、それと並行してその意見を真面目に受けて「私、主体性ないかなぁ」と自己スクリーニングモードに入る自分が、ちょっと悲しかったりするわけです。
もうサガですね。 

さっきの場面に戻ると、主体性が無いというのは、周りの意見を鵜呑みにして、咀嚼も反芻もせずそのまま骨や肉にしてしまうこと、と私は思っています。
あらゆる物事や人から学ぼう、吸収しようという姿勢を「主体性がない」で片付けてしまう人は、主体性という名の旗のもとに謙虚さを忘れてしまったのかな、と。

年齢を重ねれば重ねるほど、ダメ出しをしてくれる人は一般的に減ります。だからといってズルズルと、自分を客観視できない偏屈な年寄りにはなりたくない。いつも“無知の知”を忘れずに自分の考えを相対化したい、それでいて縮こまらずに自分の道を生きたい。その塩梅がいい感じな人間でありたいなぁと日々模索しています。

主体性と柔軟性のバランス、皆さんはどうとってるんでしょうか。

↑このページのトップヘ