映画「オーバー・フェンス」の公開が待ち遠しい。



待ち遠しくて待ち遠しくて待ちきれないので、原作「オーバー・フェンス」が収録されている短篇集「黄金の服」を読んだ。

感想を書きたいが、「オーバー・フェンス」について書くと映画のネタバレになってしまうので、タイトルにもなっている収録作品のひとつ「黄金の服」について。
黄金の服 (小学館文庫)
佐藤 泰志
小学館
2011-05-10



佐藤泰志「黄金の服」
この作品は、起承転結! はい拍手! という感じではなく、ある若者たちの人生の一部をブツっと切り取ったような、静かな作品だ。静かではあるけれど、短い物語の中にいろんなものが渦巻いている。

20代前半の彼らは、プールとバーで『泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って』そんな単調で、無目的にも思える日々を送っている。まだ思春期を引きずっているような混沌を抱えていたり、目標を追い続けるか諦めるか葛藤したり、若い時代特有の衝動と悩みを持て余していて、だからプールとバーで切実に泳いで切実に酒を飲む。

主人公の「僕」は、仲間の一人でアキという年下の女性が気にかかっている。多分、アキもまんざらではない。何度か寝たこともある。アキは一度結婚生活に失敗したせいなのか、精神安定剤と睡眠剤が手放せず、外に出ると体中が汚れている気がして、帰宅するなり全身を徹底的に洗わなくては気が済まない。しかしその姿を見てショックは受けても、カラッとした性格で知的で快活な彼女に、僕はどんどん惹かれていく。

が、唐突に僕は知ることになる。
アキにはフィアンセがいて、もう来月にでも新居へ越すと。
物語の中でもそれは唐突に書かれていて、読者によっては「えーなんでなんで?」と思うかもしれない。ちなみにその点についてのアキの心理描写は一切ない。が、私はアキの気持ちが分かった。分かったというのは傲慢だ、勝手に想像しただけだから。でも、「そりゃそうだよね」と思ったのだ。

アキと僕は気が合う。一緒にいれば楽しいし、お互いを異性として受け入れてもいる。でも、だめなのだ。僕とじゃだめなのだ。
アキが何か喋るとしたら、こう言う気がする。「あんたと私じゃだめなのよ。今みたいに、泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って、それだけでいいなら楽しいかもね。でも、人生そうもいかないでしょ。あんたと私じゃ、きっと共倒れよ」と。

アキが必要とする相手は、しっかりと現実的に人生を見据えていて、かつ彼女の事情を承知したうえで、彼女が1人内省の洞穴に入り込んでしまいそうになったときには力強く、でもそっと太陽のもとに連れ戻してくれる、そんな男だ。
僕じゃ、自分のことすらよく見えてない。アキの事情は承知していても心を痛めるばかりで自分までオタオタする。アキの病状が悪化したら、彼女に共鳴するあまり一緒に洞穴に入りかねない。それじゃダメなのだ。
優劣ではなくて、種類が違う。小説の中で、僕はアキのフィアンセを『地面にしっかり足をつけて生きている男特有の自信に満ちた声で名のった』と描写している。

現実にも、そういうカップルを見かけないだろうか。お互いのことが好きで好きで、相性は抜群なのだけれど、どこか地に足がついてなくて、二人の世界に閉じこもる。何年かはべったりした時間を楽しめるけど、現実に対応しなければいけない壁にぶつかったとき、二人してぐらついてダメになってしまう。もしくは、どちらかが「これじゃダメだ」と終わりを決める。
恋愛の仕方なんて自由だからそれはそれでいいが、アキが避けたかったのはこういうことなんじゃないか。

著者は、1990年に享年41歳で亡くなっている。答え合わせはできない。読み手がそれぞれアキの心情を読み解くのも面白いかもしれない。