アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

Twitter:@yuriyoshihara 

2015年07月

昨夜は、新卒で入った会社の同期の送別会だった。
IT業界の営業マンとしてバリバリやっていた彼が、全く別分野の仕事に挑戦するらしい。
そんな彼の送別をかねて、久しぶりに同期で集まろう!となったらしく、私も声をかけてもらったのだ。

「送別」といってはいるが、昨日集まったメンバーのうち半分は既にその会社をやめている。なので、送別というより…「激励会」のほうが正しいかもしれない。


昨夜集まったのは同期の中でもごく一部で、営業職採用のメンバーが中心だ。その会社は理系のメーカーで、同期150人中100人以上はエンジニアなど技術系採用、他に営業、管理部門など非技術系採用という内訳だったので、非技術系採用メンバーはひとまとまりになって、研修クラスを構成していた。
私は、3人しかいない謎の職種で採用されていたのだが(笑)とにかく非技術系だったので、その営業メインのクラスにいた。
約二ヶ月の間机を並べたそのメンバーが、昨日集まったのだ。


ちなみに私はそのメンバーのなかで「退職第 1号」だったので(恥)、ひっじょーに久しぶり(7年ぶりくらい)に会う人もたくさんいて、行くまでは「もはや覚えられてないんじゃない?」という疑念が私のなかで膨らみまくっていた(笑)
行ってみるとちゃんとみんな覚えてくれていて、打ち解けられたので、杞憂にすぎなかったのだけど。


元同期たちと話していると、

独身メンズたちの話はとにかく

ゲスい。

アライアンスレベルの彼女が三人いる

とか

いつ誰が泊まりにきてもいいように新品歯ブラシが1ダースはある

とか

ここに書くのは憚られるような話が出るわ出るわ。

やっぱ英雄色を好むはホントなのかしら…などと考えていれば、

一方でもう4才になる女の子のパパになってる同期も。
「もういっぱしの女だよ」と言っていた。そうだろうなぁ

あとは

すでに結婚
のち
離婚

まで経験して酸いも甘いも味わった同期。彼だからこそわかる夫婦生活のポイントを聞き出していた女性陣ww

あとは独身ですでに高級マンションを購入し、オリンピックバブルのピークに売り払って、バブル崩壊後に次なる物件を買いたいからその頃には結婚したいと語る同期。(ちなみに相手は未定)

とにかくいろいろである。

ちなみに女性陣は全員人妻だった。
これ、東京の総合職採用のコミュニティーとしては結構めずらしいんじゃないかと思う。



まぁこんな馬鹿話をしながらも、
それぞれの仕事の近況報告もするわけで、そちらは別の意味で面白い。

会社に残ってバリバリ営業畑まっしぐらの人もいれば、経理部門に移動した人、広報に移動した人、マーケティングに移動した人。7年もあれば一緒に研修をうけた同志でもキャリアパスはずいぶん異なる。

転職組はもっとばらばらで、
IT業界をわたり歩く人、「外資」というキーワードで移り続けいまはラグジュアリーブランドで財務をやる人、アメリカにMBA留学にいった人、ベンチャー企業で社会人のための教育ツール普及に取り組む人、主婦になった人、そして私のような秘書のち主婦経由で最近仕事始めましたな人。

実にバラバラなのであるが、
だからこそみんなの話が面白いのである。

皆いまはびこる「意識高い系」ではなく、よい意味で意識が高い。

それぞれ自己研鑽をつんでいるが、余計な力みやライバル心、へんな虚栄心もない。
お互いがお互いの道を尊重し、話を興味深く聴き、気になるポイントがあればどんどん掘り下げてもいくがおかしな議論にはならない。
スランプに陥ってる人がいれば笑い話にしながらも皆全力で励ますし、触れなくていいところには自然と触れない。
めでたいことは全力でいじりながら祝福する。

歩む道はそれぞれになっていくけれど、「互いの人生に幸あれ」と思いあってる空間である。(気持ち悪いかもしれないが、本当にそうなのだ)


そしてそれはやはり、入社して最初の数ヵ月を共にしたことが大きいのだろう。
最初の数ヵ月は、過渡期である。
ただの学生から、企業人に少しずつ変わっていく時期である。
もちろん望んで入った会社だ。でも人間、変化するときには多少なりともの不安や戸惑いを覚える。
そんな時期を朝から晩まで共にすごし、不安も戸惑いも共有し、一緒に卵からヒヨコくらいにはなった仲間は、それぞれ配属されてバラバラになってからもどこか心の支えだった。


メールでお互い愚痴ったり、集まって飲んで楽しんだりすれば、ふっと巣に帰った気分にさせてくれる存在だった。


昨日の主役も山のような送別品を抱えながら言っていた。
「やっぱり僕にとって新卒で研修をうけたこのメンバーは特別だ。いまでもこうして集まれるのが嬉しい。道が別れても、またいつでも会いたい。」と。


世の新卒同期仲間がどんな関係なのかはよく知らない。恐らく似たようなものではないかと思うが、会社によっては同期同士がギスギスしていて気が合わないというところもあるかもしれない。

だとしたら、

このメンバーを08年入社に採用してくれた人事部に感謝である。
私の人生に、(すぐやめたとはいえ)こんな暖かく、そして背筋をしゃんとさせてくれる彩り豊かな仲間を与えてくれた元弊社に、心からのお礼を申し上げたい。

人に恵まれる人生だ。


主役!
新しい会社でも持ち前の熱さと度胸と遊び心でご活躍を!
そしてさっさと彼女を一人に絞れ!ww


みなの人生に幸あれ



※ちなみに写真のタイトルは「両手に人妻」
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年に一度恒例の健康診断も無事終わり、(結果はまだですが)
とりあえず体重と腹囲は問題なし。

そして産まれて初めて
「きれいな肝臓ですね」と誉められました(笑)
き、きれいな肝臓…?

3時過ぎに終了し、低血糖と暑さと空腹でフラフラになりながら(昨日の夜中からなにも食べてない)近くの駅ビルへ駆け込み、サンドイッチを瞬殺してなんとか帰宅したところです。


さて、Twitterを始めてちょうど4ヶ月が経ったちました。
ようやく扱い方にも慣れてきて、楽しみ方も分かってきた、ような気がしています。


◇私のSNS歴◇◇◇
私が初めて触ったSNSはmixiで、当時大流行していましたからほぼ毎日のように日記を書いたり友達のを読んだり、リアルなコミュニティーの延長として使っていました。ちょうど暇な学生時代でしたしね。

で、mixiが下火になった頃Facebookがどーんと流行り、私もそっちへ移動。
mixiで繋がってたリアル友達に加えて、本名の登録だから古い友達も探しやすくて、地元を離れている私にはとても有り難いツールです。公開範囲が設定できるのも安心。
現在も使っています。

あとはLINE。これは連絡ツールとして便利なのでメールがわりに。

で、その間多分ずーっと流行ってはいたんだろうけど全く興味がなく、一度も手を出さなかったのがTwitter(笑)
なんでだろう?140文字という制限に面倒臭さを感じてたのか、もしくはmixiやFacebookで事足りていたので、あえて手を出す気にならなかったのか…。おそらく一番大きな要因は、リアル友達以外の匿名の人達とネットで繋がるということにピンと来なかったことだと思います。



◇はじめてのTwitterに挑戦した理由◇◇◇
そんな私がどうしてTwitterを始めたかというと、理由はただひとつ、仕事の参考にするためです。
あ、ごめんなさい嘘つきました。もうひとつ、ふなっしーの情報が欲しいからです。。
その2つです。

全く未知の「webライター」という世界に突然足を突っ込んだ私は、その世界の全体像も分からなければ、具体的にどんなメディアがあるのか、どんな人達がそこで活動してるのか、どんな情報が流通しているのか、その世界では何が「良し」とされているのか、さっっっぱり分かりませんでした。

だから、Twitterでそういう世界に属する人達とうっすらとでも繋がり、どんな活動をしていてどんな発言をするのかに触れれば、少しでもその世界の片鱗が見えるんじゃないか…そんなふうに思ったんです。
藁をもつかむ、とでもいいましょうか。

そんな思いで始めたTwitter、やはり何人かライターさんやエディターさん、webメディアにかかわる方々をフォローしていると、これまで自分がいた世界とはぜんっぜん違うなと強烈に思いました。
もちろん社会人として必要とされるマナーやスキルは基本的には変わらないんですが、やはり「良し」とされる価値観が違います。
たった4ヶ月しか覗いていない私の短絡的な見解ですが、
「既存の概念にとらわれず個性的であること」
「文化的であること」
「人の心に何かひっかかること」
「予想の斜め上をいくこと」
「とにかく新しいこと」

これらが良しとされているのかな?と感じています。

ただしこれは、webメディアに関わってらっしゃるかたのうちでTwitterを利用されていて、かつ私がツイートを拝見してる方というごくごく一部の方のみへの印象ですから、非常に偏っているかもしれません(^-^;

そして、webというまだまだ未開拓なビジネスフィールドで、いかに新しい価値を創っていくか、つまりはビジネスチャンスを見出だして形にしていくか、ということに注力されているようにも感じます。

とにかく日々発見、勉強です。
特に、具体的にライティングの基礎やポイントに言及されている方のツイートなんて永久保存版です!!自己流で変な癖がつく前に、そういう基本に触れる機会が出来たのは、Twitterに飛び込んでみたからこその大きな収穫でした。


◇たった140文字でも伝わる。◇◇◇
webメディアの世界で働いている方、広く文筆業関係の方、ふなっしー関連ww、以外にも、純粋に「このツイート面白いな」と思った人のページに行ってみて、過去を遡って読んでみてやはり面白ければ、年齢性別職業関係なくフォローしています。ブログにお邪魔している方も何名かいます。

興味深いことに、私が「面白い」と思った人のツイートはやはり多くの人にとって面白いようで、その人のページに行ってみるとフォロワー数が桁違いで驚くことが多いです。

でも一方で、フォロワー数がめちゃくちゃ多くてあらゆる人が反応するので、私自身がフォローしていなくてもその人のツイートが私のタイムラインに流れてくることも多いのですが、読んでも「何が面白いのかさっぱりわからない」場合や、「気のきいたこと言ってる風だけどかなり偏っていて共感できない」場合も多々あります。


たった140文字ですが、人柄や感性が出るんですよね。
これはそっくりそのまま自分にも言えることなので、Twitterに限らず仕事で書く記事でも、その文章を通して私の人柄や個性はどう読者の心にうつるのか、少し気にしてみるきっかけにもなりました。

私は、Twitterでは直接面識のある人とは一人も繋がっていません。(仕事で、電話やメールでのやり取りがある方は数名いますが。)なので、その人に対して抱く印象は完全にTwitter経由のみ。それでも数日もフォローしていれば、よっぽど相手がブランディングやネタのためにキャラを作っていない限り、人となりがだいたい分かってくるので不思議なものです。

これは私が特に昔から、自分と感性の合う人を見つけるのが好きで、断片的な情報からその人の像を結ぼうとする習慣があるからなのかもしれませんが、
たとえば何をツイートしたいと思うか、その事柄についてどういう面を重視しているのか、それをどういった言葉を選択して、どういう語調で表現するか。。という一連の行為に、思考回路、感性、価値観、波長が現れます。
しみじみ面白いです。

価値観の合う人のツイートは読んでいて心地よく、合わない人のツイートは読んでいて疲れます。もしくはイライラします(笑)

おそらく、読んで心地よい方とは直接会えば気が合うでしょうし、逆もまた然り。まだ証明されてはいませんが、まぁきっと近いうちに。


◇情報を取捨選択する力◇◇◇
Twitterのタイムラインというのは様々な人の様々な発言で溢れており、そこには正負の感情や勢いも同時に詰まっています。上手に距離をとらないと、当たるというか酔うな、というのも4ヶ月使ってみての率直な感想です。

また、これは匿名性のネットの特性なのかもしれませんが、なにかひとつホットなトピック(最近ですと国立競技場問題とか)が起こると、議論とは呼べないレベルの学級崩壊のような現象がそこではおこります。各々浅い知識で勝手なことをいい、極論をぶつけ合い、ストレスをぶつけるかのように罵倒しあい、そしてときたま上から目線で纏めようとする人物があらわれる…
というような具合です。
言論の自由ですから、どれだけ浅い知識で何を言おうが自由なのですが、あまりに浅はかで極論で、揚げ足の取り合いのようなやり取りを見ていると、正直「これだから日本はダメなんだよ…」と思えてきますし、一個一個読んでしまう私みたいなタイプはものすごく消耗します。
もう懲りたので、今ではそういう人のツイートは読まない、と決めています。

いろいろな人がいますので、自分を守ることも大切です。


そして、時々Twitterの中にいて混乱するのは、マジョリティでいることはむしろマイナーで、マイノリティーでいることがメジャーもしくは優れているというような、多少倒錯した価値観が少なからず存在するように感じます。 個性重視、の空間だからかもしれませんが、それはそれで1つの価値観、と割りきって、いちいち自分の立ち位置を照らし合わせる必要はないなというのも気付きです。


☆文字数が限られているからこその醍醐味◇◇◇
ここまで、
Twitterを始めた経緯や4ヶ月なりの雑感を述べてきましたが、
今のところ、Twitterに飛び込んでみてよかったと思っています。

上に書いたようなことを心に留めつつ上手に使えば、自分の見識はどんどん広がり、多くの学びが得られます。私にとっては、読んでいて心地よく、こころから共感できる文章、言葉選びが秀逸だと思える文章に出会えることはこの上ない喜びです。また、そういう文章を編み出す方々との交流によって、自分自身の感性も刺激され、仕事にも活かされます。

…和歌の31文字とは凝縮度が比べ物になりませんが、140文字に表れる「詠み人」の心の内に思いを馳せるのも、なかなか趣あるものです。

ただその趣を感じるためには、フォロイーさんを上手に選ぶ必要がありますが…(笑)
私はいまだに、try&errorですよ!





では、今夜はFNS歌の夏祭りに、私の愛するたこ焼き頭の梨の妖精が出るので、この辺で







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人気ブロガー小林トシノリさんが、
こんな記事を書いてらっしゃいました。


「妥協」にならない、完璧主義のやめ方(仕事編)
http://enrique5581.net/not-compromise-perfectionism-stop-work/


耳が痛いですねー。
家族にも友人にも医者にも「完璧主義だねぇ」と言われ続けてウン十年の私には、そうだねぇそうだねぇと頷くご指摘ばかり。
あ、ただ私は期限は守りますよ。
「完璧じゃないから納期きたけどまだ出さない」とかそんなとんでもないことは言いません。むしろ、途中で体調不良で停滞してもいいように「自分納期」はクライアント納期の最低でも3日前です。

ただ、私の何がやっかいかというと、生来は怠け者のくせに、完璧主義なんです

そんなストイックな日々を送りたいわけでもないダラダラした人間で、なるべくのんびりしていたいのに、やるとなると自分にえらく高い要求を突き付ける。
結果、怠け者の自分に鞭打って完璧主義者的結果を出そうとするので、その過程は大変なハードシップになってしまい、人の何倍もの精神力と自律心を必要とします。

もう本当に厄介です。

どのくらい厄介かというと、、

■怠け者の完璧主義者が歩むいばらの道

中学三年→英単語を3000語覚えろという母校独特の鬼のような試験があり、勉強なんて嫌いなのに受けるからには合格したい私は仕方なく勉強する。なんか連日胃がキリキリムカムカするようになり、おかしいなぁと思い親に症状を説明したら、「それ胃潰瘍のはしり」と言われて薬を与えられる。結果合格。

(うちは中高一貫だったので高校受験はありません)

高校一年→校内弁論大会でクラス代表になり、そんなの適当にやっときゃいいのに立派にやろうと思うあまり本番2時間前から吐き気を催し、直前に吐く。結果入賞。

放送部のお仕事で校内行事の司会(数えきれないくらいやった)→さすがにこれは吐きはしないが緊張で吐き気に苦しむ

高校→勉強が嫌いなのに、勉強が好きな人しか行かない大学に目標を設定してしまい、決めたからには絶対合格したくて、過酷な受験勉強に息切れ。

大学入試センター試験→「ここでしくじったらすべて水の泡」のプレッシャーで当然吐く

二次試験→いわずもがな

大学一年→周りの優秀な同級生と同じ試験を受けることにとんでもないプレッシャーを抱き、試験期間はずっと体調不良。食べられない、お腹が痛い、吐き気、とにかくありとあらゆる不調。
試験後胃カメラ。
(そして蓋をあけてみると以外と成績がよかったりする)

これ、在学中四年間続きます。

すべてに共通するのは、

別に誰も強制してないのに勝手に目標を高く掲げ自分を追い詰める
頑張るのはいいことだが頑張りすぎる
結果がすべてだと思っている
身体に影響がでまくる
悲観的


面倒くさい人間ですね~。何より自分が一番しんどいです。


仕事をするようになってからも基本的にはかわりません。
ただ、自分との戦いだけしてればよかった学生時代とは違って、チームで仕事をする場合その仲間、カウンターパートがいる場合そちらの利益も関係してきますから、少し私の完璧主義も現れかたが変わってきました。
「人に迷惑をかけてはいけない」というプレッシャー、
「ミスは許されない」というプレッシャー、
「常に評価されている」というプレッシャー、
「速く成長しなければ」というプレッシャー。

いま考えれば、新卒の新人に誰も完璧を期待しているわけもなく、新人のミスなんて計算のうち、むしろ失敗しながらじっくり成長してほしいと思われていただろうに、

自意識過剰な私は一人プレッシャー地獄へズブズブと沈んでいったわけです。自滅。


教授秘書への転職後は、 民間企業のように利潤追求を目的としない分ノルマも営業成績もなく、そういう点では精神的に楽でした。
ただ、どこにいっても良い点悪い点あるもので、結局またプレッシャー地獄に陥ります。
どういすうことかというと、チームで仕事をするわけではなく、私一人で研究室の業務を回していたので、とても神経を消耗しました。
大学院生にかかわる手続きというのは、博士論文審査のための書類作成や、奨学金の申請、留学生受け入れのための大使館とのやりとりなど、学生の進路を決定付ける非常に重要なものが多く、きっちりとした正確さとスケジュール管理が必要とされました。学生は50人います。
そして上司の教授は、典型的な「事務的なことどうでもいいよ」タイプなので、大学から来ている重要なメールなどもほぼスルーです。

そうなると、私の預かり知らないところで期限は着々と近づき、下手すると過ぎ、真っ青な顔をした学生が「どうしよう!」と私のところへ駆け込んでくるわけです。
私 ポカーン。

学生と一緒に状況を把握し、方々に謝罪して回って期限をなんとか延ばしていただき猛スピードで準備します。そんなことが何度あったかわかりません。大学のあらゆる部署から苦情催促のメールを受けまくりました。謝る技術は上がりましたね…。

そういうことがあった翌日、一連の経過を報告すると定番のお言葉「ぼくはアカデミックな本質的なことはやるけど、つまらない事務事はどうでもいいんだよ」

・・・でしたらそのつまらないどうでもいい事務事は私がやりますので、全部私に転送してください!!(アルカイックスマイルで話しつつ、内心はらわたが煮えくり返っている)


そんな具合でしたので、新卒の頃とは別の意味での「私が見落としたらダブルcheckする人は誰もいない。きっちり網羅しないと」というプレッシャーが半端なく、責任感から来る完璧主義に日々苦しみました。

唯一の救いは、ここでは私の完璧主義は私自身を苦しめはしたものの、仕事を全うすると言う観点では役に立ちました。(上司いい加減、秘書いい加減だと、想像するのも恐ろしいカオスが待ってますからね…。)


☆二の轍、三の轍…いや十の轍を踏まないために


とまぁこんな具合に自分の性格はよーくよーく分かっているので、
現在のライターの仕事も
健康を損なわず、細く長く、positiveに続けることを第一に考え
○無理かもと思う量を引き受けない
○ストレスで健康を害するほど根詰めるならやめる
○原稿の質も完璧を求めない
○性急に結果(アクセス数、収入など)を求めない


という大原則
をいつも意識しています。

これは、現在も私自身が完全な健康体でないこと、そして私の本業は主婦として多忙な夫を支えることである、という2つのことも理由です。(時代錯誤かもしれませんが、主婦業が疎かになるような働き方はしないと決めています)

参考 専業主婦に憧れる女子たちへ vol.1 ~私はなぜ専業主婦になったのか~ |
専業主婦に憧れる女子たちへ vol.5 ~結局どうなの専業主婦!?~


ありがたいことに、先月担当コラムの本数を大幅に増加しないかというオファーをいただきました。ほぼ倍増です。
とても光栄なことですし、やりたい気持ちもありました。
下積み期の仕事人としては、一も二もなく二つ返事で引き受けるべきでしょう。
でも、引き受けたら私はきっとプレッシャーで眠れなくなり、胃がいたくなるまで根を詰めます。
本数をこなすためにやっつけ仕事の原稿を量産し、そのことにストレスを感じるでしょう。

手に取るように分かります。

ですので、大変申し訳ないのですが、倍増はお断りし、微増、にさせていただきました。(他にも大人の事情もありました)

仕事人失格かもしれませんが、「自分の気質、体質とつきあっていく」とは、そういうことだと割りきっています。


そして、
「まいっか」←小林さんも実践されてるそう
「何事も適当に←ふなっしーの名言
を敢えて口癖にし、ともすれば完璧主義にぐぐぐーっと傾きそうな自分に歯止めをかけるようにしています。


適当万歳!といいたいわけでは決してなく、
何事も
真剣になるのは良いけれど、深刻になるのは良くない
と思うのです。
深刻になってしまうと、取り組むことや頑張ることそのものが苦行になってしまい、思考回路もどんどん悲観的になります。下手すれば健康を損ねます。
最悪のケースを仮定してそれに備えるのは大切なこと。でもそれは淡々と備えれば良いのであって、憂いや深刻さを伴う必要はありません。



☆完璧主義も、役に立つこともある

ここまでの話では、私がいかに完璧主義に苦しんできたか、いまいかにそれと付き合っているか、という「完璧主義撲滅論」になってしまいそうですが、
そう悪いことばかりではありません。

先程秘書の業務において、自分は苦しかったが業務を全うするうえでは役に立ったと書いたように、効を奏する場面もあるのです。

たとえば、
私は数年前に大事な友人の結婚披露宴で友人代表スピーチを頼まれました。
「緊張で吐くから勘弁して…」と断ってしまえばそれまでですが、大好きな友人の晴れの舞台で一役かえるなんて幸せなことです。
あえて引き受けることにしました。

やるからには、この上なく喜ばれるスピーチをしようと思いました。(早速完璧主義の私がムクムク顔を出しますw)
緊張に対処するには周到な準備しかありません。一ヶ月前から原稿を書き、起承転結、友人の人となり、ユーモア、二人のなれそめ、友人としての心からの祝福が漏れなくダブりなく入っているか、マナー的に問題がないかをひたすらチェック。
声に出して読んでは時間を計る。親しい友人二人に聞いてもらい、忌憚のない意見をもらう。推敲する。
最終的にはデジカメで動画を撮影しながら一人リハーサルを暗記するまで何度も何度もこなす、という仕事のプレゼン張りの準備をしました。

個人的に、スピーチを読み上げるのはみっともないと感じるので、完全に頭にいれて、でも万一のお守りのために小さく畳んだ原稿をハンカチと一緒に手にもって(ここら辺に心臓の小ささがでてる 笑)本番に挑みました。

夢中で喋りましたが、棒読み感も出ず、堂々と、笑いもとりながら非常にあたたかいスピーチをすることができたと自負しています。何回も飽きるほど読んだ原稿なのに、友人本人を目の前にして喋ると自然と涙が出ました。本当に、この大切な役目を私に任せてくれてありがとう、そう思いました。

友人代表スピーチというのは、「友人」を通して「新婦」の人柄や品性まではかられます。類友ですからね。私がきちんとスピーチをすることは、花嫁自身の評価にもつながります。手前味噌で恐縮ですが、私は役割をきっちり果たしたといまでも思っています。


このように、完璧主義も場面によっては長所です。度が過ぎないように、周りまで巻き込まないように気を付ければいいだけ。
完璧主義をすべて捨ててしまう必要はない、バランスの取り方を身に付ければ良いのだと思います。

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☆「満点」でなく「沸点」を目指すともはや芸術

冒頭でご紹介した 小林トシノリさんのblog にもあるとおり、
仕事の場面においては完璧主義者は敬遠されがちです。
なぜなら、
質にばっかりこだわってスピードが遅い
量を捌けないから周りがわりをくう
所詮自己満足にすぎない場合が多い
痛々しい
からでしょう。

一理あると思います。

ただ、たまにいるんです。
自己満足とかそういう次元をはるか越えて、
同僚もクライアントも関係者全員が感動するレベルの成果物を生み出す完璧主義者が。
まれではありますが、
そういう人物のやりあげた仕事をみていると、もはや芸術です。ロジックの緻密さ、発想の斬新さ、論拠の手堅さ、さらには一匙の遊び心さえもが調和がとれており感動すら覚えます。
もちろん仕事が遅いなんてわけはなく、納期に間に合わせるなんて地動説並みの常識です。

そういう人をみると、私は
「この人は満点でなく沸点を目指してる」
と感じます。
低い順にならべて、及第点→満点→沸点。
つまり沸点とは、単に「ミスがなくて完璧」な満点をはるかに通り越して「人に感動を与える」レベルです。
そして沸点を目指すレベルの人は、(端から見ると苦行レベルのハードな邁進ぶりなのですが)本人はそれを楽しんでいる。「こんなことできて幸せ!」とすら感じながらイキイキやっているので痛々しさもなく、周りをポジティブに巻き込んでいきます。

ジャンルは違いますが、例えばフィギュアスケートのキム・ヨナ選手。彼女のバンクーバーオリンピックでの演技はまさに沸点でした。


仕事で沸点に達することが出来るのは、ある程度以上の天賦の才と、努力、レジリエンス、ニーズを汲み取る力、多面的なものの見方、あらゆるものを兼ね備えた一握りの人かもしれません。
私のような普通のありふれた人間が、真似しようと思ってもなかなかできません。

ただ、こんな怠け者完璧主義者の私でも取り入れられそうだと思ったことがひとつあります。

満点を目指すとき、人はどこか息苦しく、減点方式になる。
沸点を目指すとき、人はどこか楽しく、加点方式になる。


ということです。これは人を観察したり、自分自身の経験を通しても感じたのですが、
満点をとろうとすると「ミスをしてはいけない」というほうに視点が行き、思考方法が「あるべき状態」からの減点方式になっていくんでね。


他方で沸点を目指してみると、しっかり基本的なポイントをおさえたら、あとはミス云々ということより、いかに工夫を凝らすか、相手が喜んでくれるものになるか、と考え方が加点方式になります。そして相手が喜んでくれるということはすなわち相手意識ですから、自己満足から1歩脱します。(もちろん、それを本当に相手が喜ぶかは蓋を開けないとわかりませんが、意識するのとしないのとでは雲泥の差でしょう。)


これは精神衛生上、そして仕事への取り組みとして大変大きな差です。


☆完璧主義を完璧にやめようとしないで

長々と書きましたが、
完璧主義を脱することができれば、自分も周囲もかなり楽になるでしょう。
ただ、長年の気質とは怖いもので、なかなか根っこから変わるというのは難しい部分もあります。

ウン十年間、完璧主義者の酸いも甘いも味わってきた(ちっとも嬉しくありませんが)私としては、完璧主義の人が完璧主義をやめようとすると、完璧にやめなければと思いすぎてかえって神経質になる。という世にも恐ろしい事例もみています。

ですので、あまり深く考えず

まずは、
納期を守る、相手意識を持つという社会の基本をおさえながら、
「まいっか」
「何事も適当に」
「完璧主義も役に立つこともあるけど、バランスバランス」
「真剣はいいけど深刻はよくない」
と、傾きすぎる自分のシーソーをぐぐぐーっと戻してあげてください。


そしてそれでもどうしても完璧主義がニョキニョキ顔を出すときは、
腹を括って、「どうせなら沸点を目指そう」と明るく加点方式ではりきってください。
そして周りとの調和を大切にしてください。


生まれもった気質、長年の考え方の癖と付き合うのは骨がおれます。
でも、心と体の健康を守れるのも自分しかいませんので、まずはちょこちょこっとした工夫からはじめてみるのはいかがでしょうか。


では、今日はこの辺で





準々決勝、準決勝までは、代々木のオリンピックセンターで行われます。
全国から高校生がわさわさ集まってるわけですから、すごい人!!地元の県大会はもう上位陣みんな顔馴染みになっているので、このアウェイ感だけでも気圧されそうです。田舎から来てますし(笑)

でも、落ち着け、そんなことで気圧されちゃいけない。と自分に言い聞かせ、いつも通りの練習へ。

そうこうしているうちに東京にいるOBOGの先輩方が来てくれて、すごくホッとして気分がなごみました😊 あぁなんかいつもの部活みたい。
と緊張がほどけたのも束の間、本番が近づくと気持ち悪くなってきます。(私は極度の緊張症で、必ず吐き気におそわれます。たまに吐きます…。)
もう倒れるんじゃないかというところで、順番が来てマイクの前へ。
エントリーナンバー、作者名に作品名、学校名、氏名。
そこまで読むと不思議とすっと落ち着きます。
いつも通り読めた気がしました。

一方、別室で同じく本番を終えた友人は、なんだか冴えない表情。彼女は緊張なぞ全くしないのですが、どうもうまく行かなかった様子。ちょっと意外です。

この準々決勝から準決勝にあがるラインで、300人ほどの学生を60人にしぼります。

発表は翌日です。その夜は先輩方ふくめてみんなでバイト先の高田馬場のマクドナルドで大盛り上がりでした(笑)

そして翌朝、準決勝進出者発表です。
ドキドキしながら紙を見つめて…
あった!あった!私残った!

と思ったら、隣の友人の番号が無かった。実力的には十分残れたはずです。本当に前日よほど不調だったのでしょう。

なんとも言えない気分を私も味わいながら、
でも切り替えて、私は私の準決勝に集中せねばなりません。 顧問の先生が、気をきかせて彼女と二人でちょっと外出してくれました。(おそらく、このときに軽い雰囲気で慰めたんだと思います。友人も私の前では悲しいとか悔しいとか言いづらいでしょう。普段は激厳しいですが、暖かみのある先生です。)


そして私はまたしても本番が近くなると具合が悪くなり、吐きそうな気分をこらえながら会場へ。
真っ青になりながらマイクに向かい、前日と同じように読み始めます。

…悪くはありませんでした。
はっきりしたミスもなく悪くはないんですが、「いけた!」という手応えもなく、なんだか不完全燃焼感が。自分の呼吸と感性と集中力とがカチッと噛み合う感覚が無かったのです。でも、それも含めて実力です。

結果発表は翌日、NHKホールにて。
その日は先輩方と渋谷の山頭火にいきました(笑)


そして翌朝、生まれて初めてのNHKホール。
二人揃って寝坊したせいで(オイ)発表ギリギリに到着。
朗読部門の決勝進出者がスクリーンに写し出されます。

私の名前は、ありませんでした。

悔しかったです。残念でした。NHKホールの舞台は夢でした。
でもどこかで、ちょっと納得している自分がいます。昨日のあの感覚では、決勝に残れるほどの読みはできてなかっただろうと。

この体験は、私に大きな、非常に大きな教訓をくれました。
何か本気で手に入れたい、成し遂げたいと思ったら、最後の一瞬まで気を抜いてはいけない。手を緩めてはいけない。と。
結局私の詰めが甘かったのです。
この教訓は体験をもって強烈にわたしに刻まれ、その後の受験生活を乗り切るエネルギーになったと思っています。



地元に戻って、受験勉強1色の日々が始まります。部活も引退です。
結局夢の舞台にはたてませんでしたが、悔いはありませんでした。三年間やるだけやったし、教訓も得ました。

何より、
「言葉」や「文章」のもつニュアンスやオーラにとことん向き合ったことが貴重な財産になりました。
同じ単語でも平仮名かカタカナか漢字かでニュアンスは変わります。
感情や物の状態を形容するにも、漏れなくダブりなく二つの単語が使われている場合(たとえば「可憐で妖艶」など)は、そこをどうあわせてひとつの像として解釈し、どういう声の質感で表現するかによって、聞き手への伝わり方は変わるのです。

そんなことと日々向き合っていると、自然と自分が発する言葉にも気が向くようになりました。

もちろん24時間365日意識しているわけではありませんが、自分が言わんとすることに「しっくりくる」言葉を探す習慣が、いつの間にかついています。また、言葉のもつ雰囲気や質感にも、周りとくらべて敏感な方です。
ライターの仕事を始めてから自分の言葉で文章を書く機会が増えたので、部活動というのは意外なところで人生の役に立つんだなと実感しています。

もう一点、あらゆる種類の文章を読む訓練をしたことで、読んでリズムの良い文章とそうでない文章の違いを意識するようになりました。
代表的なのは、翻訳文です。あれは大抵朗読しづらいです。なぜなら著者の持つ本来のリズムではなく、翻訳の過程で仕方なくリズムが崩れてしまった文章を、違う言語で私たちが読むからです。(朗読の世界では、翻訳文はひとつの鬼門です)
そして、リズム良く朗読できる文章は、黙読していても心地よく、内容の理解もしやすいのです。
ですから、私は自分が原稿を書いたら、かならずぶつぶつと声に出して読んでみます。さすがに滑舌は気にしませんが(笑)、なんか心地悪いなと感じる部分は句読点を変えたり語句をけずったりと、音読を推敲の一助にしています。


芸は身を助ける、というほどのスキルではなくあくまでも高校生の部活動レベルですが、何か必死に取り組んだことは、意外な局面で活きます。そして重要なのは、必死に取り組んだのはもちろんのこと、楽しんでいたことだと思います。

こんなに長々と書くくらいですから(笑)、部活動3年間は、良いことも悪いことも含めて、私の大切な思い出です。


案外幼い頃や若い頃好きだったことに、自分の「得意」を見つける端緒が眠っているかもしれません。

みなさんも、少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


それでは夏本番、良い週末を❤❤

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7/23は、NHK杯全国高校放送コンテストの決勝大会の日でした。

そして今年もまた行き損ねた私…( ̄□ ̄;)!!
毎年この7月下旬にNHKホールでやっていて、関係者以外も僅かですが席があるので、大学生の頃は聴きにいってたんです。
今年もフリーの立場をおおいに活用して、平日昼間にもかかわらず聴きに行くぞー!と思ってたのですが、
前夜の神崎恵さんのイベントで興奮しきっていたらしく完全に忘れてました

あぁ、日本一の朗読、聴きたかったなぁ。


というのも、私は実は高校3年間放送部に所属していました。
放送部だったというと、「お昼の放送?」と聞かれることが多いのですが、うちの高校はそうではなく、純粋に読む技術を磨く部活動です。
アナウンス部門と朗読部門にわかれていて、私が選んだ朗読部門では、随筆や小説、古典などの一部(3分くらいの原稿)を抜粋し、それを
正しく解釈し
正しいイントネーションで
良い発声 ・滑舌で
聴き手によく伝わるように
朗読する。

という、なんともマニアックな世界です。

毎日の部活は、発声練習と滑舌の練習から始まりました。

緩急などの表現力も大切なのですが、
ここで難しいのが
朗読は演劇ではないということ。
朗読者は、あくまで作品の世界観を聞き手に「伝える」だけであって、「演者」になってしまってはいけないんですね。
かといって、ロボットが読むようにただ淡々と読めばいいかというと、そうではない。作品の背景、筆者の当時の環境、作品の世界観、色々なことを理解した上で、たった三分の原稿でそれをどう表現するか。

そこのさじ加減が難しさであり、醍醐味でもあります。


そして、部員のなかでも各々カラーがあるというか得意分野があって、私は明るめの現代作品や古典であれば女性がかいた更級日記などが得意。別の部員は少し重めの作品、古典であれば軍記ものや男性がかいた土佐日記が得意。
などなど、声質やどんな雰囲気を醸し出すのが得意か、という部分まで影響してくるのが面白いところです。

説明すればするほど、マニアックですね(笑)

ですが全国で競技人口はそこそこ多く、
夏のNHK杯では地区大会の予選・決勝を勝ち抜き、県大会の予選・決勝を勝ち抜いて、ようやく各県から数人が全国大会に進めるという意外な難関です。
秋の新人戦は、3年生引退後の1,2年生が対象で、同じように地区大会、県大会があって、こちらは地方大会で終わりです。(母校の場合は九州大会)
他にも全国総合文化祭や、いろいろ挙げていくと各種大会はあるのですが、
主にこの2つの大会を目指して、放送部員たちは普段の練習に励んでいます。
(あ、でも十数年前の話ですからね…。いまは変わってるかもしれません)


なかでも、やはり高校球児にとって甲子園がハイライトであるように、放送部員にとっては夏のNHK杯がハイライトです。
私も、高3の夏にNHK杯全国大会に出場する。そして出来れば決勝10人に残ってNHKホールの舞台で朗読する!というのを目標に頑張っていました。

高1、高2の大会で少しずつ順位をあげていくことができて、2年の秋の新人戦では九州大会に進みました。なんと、運よくその年の開催地が沖縄(!)で、うちの部から女子四人がいったので、堂々と授業をさぼって軽い修学旅行です(笑)
大会以外の時間は、観光したり鉄板焼食べたり、ホテルのプールで泳いだり、夜中にカップ麺のソーキそば食べたり、
おいしい思いしたなぁ…。


あ、大会はもちろん真面目にやりましたよ!予選は無事勝ち抜いたのですが、決勝の課題が難しかった…。
朗読部門の決勝課題は、事前には知らされず当日の朝渡されて、予選の合間と決勝までの待ち時間に読み込んで準備をします。読みの基礎体力と、短時間で作品を掴む力、応用力を総合的に判断されるんですね。
私の力及ばず、入賞は出来ませんでした。


ここでの悔しさを3年の夏にぶつけようと待ちに待ったNHK杯、課題図書の中から私が選んだのは妹尾河童さんの『少年H』でした。
少年Hが、敗戦後、死のうとばかり思っていた日々から電車の轟音でふっと抜け出す、そんなシーンです。そのシーンを、前を向く力と希望を込めて明るく読もうと思いました。
正直いうと課題図書のなかにあまり私の得意そうな作品がなく消去法で決めたのですが(笑)、やると決めたからにはこの作品と向き合って駆け抜けるしかありません。
「一緒に全国に行こう」
原稿を見つめながら心に決めました。


予選は春から始まります。
3年ですし、県大会常連組は地区大会はあまり問題ではありません。一位か二位で通過。

次、県大会。ここでの結果で全国へ行けるかが決まります。たしか、私の年は上位5名が全国への切符を手に入れられるルールだった気がします。

しかしここで、アクシデント発生。顧問の先生が、学校行事で大会に来られなくなってしまったんです!聞いたときは顔面蒼白でした。
というのも、うちの放送部の強みは代々先輩から後輩へと受け継がれた技術もそうですが、顧問の指導力も大きかったのです。大会で審査員を務めるほどの人で、指導には結構ムラもあるのですが(笑)指摘が本質をついている。表現が抽象的すぎて、禅問答のように後から必死に意味を考えることもありましたが(笑)
その先生が当日来られないとなると、決勝対策がかなり厳しいのです…。
「誰か代役をたてて、顧問はこっちにゆずってくれ」と校長に直談判してみましたがw「無理よぉそんなの」とあっさり流されましたww

全国がかかった綾南戦で安西先生が来られなかったときの湘北選手の気持ち、よぉくわかります…。

結局状況は変えられず、決勝対策は電話越しにするというなんとも微妙な解決策をとることにして、当日を迎えました。

うちの部からは、3年生は私と友人の二人が出場しました。
予選無事通過。決勝課題は古典作品です。たしか、女性が夢を描写する話だったのですが、どこからどこまでが夢の話で、どこから現実なのかわからない(「」とかないから)状態で、それを解読するところから始めました。
そして顧問に課題をファックスし、電話越しに代わる代わる指導を受ける…(笑)
これで大丈夫かしらと思いつつも、全国に行くために5位までに絶対入るんだ!と必死に練習していざ本番。
一度か二度、つっかかってしまい「あ、ダメか…?」と思いましたが、実は朗読の世界では以外と大きな減点にはなりません。それを信じてやりきりました。

そして結果発表。

待ってる間はもう心臓飛び出そうでしたが、結果
私が3位、友人が1位!
二人とも全国です!

「やった~東京!!」と抱き合って喜びました。


NHK杯は、東京で夏休みに開催されます。夏期補講に缶詰にされる同級生達を尻目に、二泊三日東京の旅!
ちょうど受験勉強もなんとなく行き詰まっていたので、良い仕切り直しになるかもな、なんてこともぼんやり考えながら、いざ東京へ向かいます。


~続く

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