アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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2015年08月

女同士の恋愛相談をきいていて、アドバイスが生ぬるいなと思うことがよくあります。

とくに最近よく聞くのがLINEにおける「男の既読スルー」問題。

カフェなんかで女性グループが隣にいて、その中の一人が「気になる彼にメッセージ送っても既読スルーなの…。」と嘆く姿、よくみかけます。

やり取りがある程度続いたところでの既読スルーなら、会話の終わりってことでありだと思います。どちらかが終わらせないと、エンドレスになっちゃいますしね。

でもそもそも返事すらない既読スルーは、脈なしでしょう。

それなのに、
「忙しかっただけだよ!」
「LINEあんま得意じゃない男の人っているし!」
とポジティブな解釈を展開する周りの女性たち。

…うーん。そうかなあ。ホントに忙しくて既読スルー状態になることももちろんあるだろうけど、異性として興味のある相手になら手が空き次第フォロー入れると思うんですよね。
(男性が「わざと焦らす」とか小賢しいテクニックを使ってる場合を除く)
それすらないとなると、「嫌われてる」とは言わないけど「あなたに特別な興味はない」という結論が妥当な気がします。

そう横から口を出したい気持ちをぐっとこらえながら、
なんで現実をびしっと指摘してあげないのかなぁ、まだ付き合い浅いのかなぁなんて、想像を廻らせてしまうのです。



また別の場面では、どうやら不倫しているらしい独身女性&友人

「彼は、奥さんとはうまく行ってないっていうの。」
遊びたい既婚者の常套句その1

「ていうか、そもそも若い頃になんとなく結婚したから、そんなに好きじゃないんだって。」
遊びたい既婚者の常套句その2

9割方嘘だなぁ、そんなこと言いつつある日突然妻に子供できたとか告げられるんだよ…と思いながらなにげなく聞いていると、

「じゃあ、○○とのこと真剣なんじゃない!?頑張って支えてあげれば、奥さんとは別れてずっと一緒にいられるかもよ!?」



いやいやいやいや…!焚き付けてどうする友人!

不倫は損害賠償請求されかねないし若い時代を食い物にされるだけだよ、深入りしないうちに目を覚まして。


と、他人の私が思ってても仕方がなくて、そこの友人、言ってあげようよ。


このときも、付き合いがまだ浅いのか、それとも友人も心底分かってないのか、謎だわ…と思いながら不倫女子の将来を憂いました。



まぁ付き合いの期間がまだ短かったり、会社の同僚という微妙な関係だったり、厳しいことを言うと妬み嫉みと想われたり、女同士の人間関係はむずかしいところもあります。
だからあまりシビアなことが言いづらい関係というのも存在するとは思うんですが、
悩みの渦中でワケわからなくなってる本人に代わって客観的にネガティブな可能性を示唆してあげるのも、友人の大切な役目
だと私は思うんです。
むやみやたらにポジティブに背中を押すだけが友情じゃない。
もしかしたら一時的に「なんでそんな嫌なこと言うの?」と気まずくなるかもしれないけど、後から振り返れば絶対感謝されます。


全国の女子たちよ、友達が大切ならシビアなことも言ってみよう。
「最終的にはあなた本人の意思と判断を尊重するけど、良い可能性悪い可能性どちらもあるよ」と。



幸い、私の周りには温かくも手厳しい女友達がいるので、いつも率直に助言してもらえて助かっています。暴走を止めてくれてありがとう。






タイトルの通りですが、
最近、厚かましいことに、
「朝起きて鏡をみたら、菅野美穂さんと井川遥さんと皆藤愛子さんを足して3で割ったような顔になってないかなぁ」と妄想しながら寝ます。
いえ、脳の無意識領域にそう命じながら寝ます。

実際のところ、この3人のお顔を足して3でわったらどういう顔になるのかよく分かってもいないのですが、この3人が良いのです。
なぜなのか。
自分なりに分析してみました。
なんと言いますか、それぞれが持ってらっしゃる雰囲気の問題です。


まず、菅野美穂さん

最近ご出産されたばかりできっと幸せ絶頂なことと思います。(睡眠不足はつらいでしょうが…)
菅野さんは、可愛いにも綺麗にも転べる顔立ちに、理知的な雰囲気と色っぽさが漂っています。ハイボールのCMでの姿に男性陣はメロメロだったことでしょう。

そして、女性ウケバツグンのサバサバっとした気取らない雰囲気なのに、少女性と妖艶さを併せ持ってる女性です。同性ウケと少女性と妖艶さが三拍子揃う女性って、なかなかいない気がするんですよね。

しかも、あの堺雅人さんの奥さまです。
堺さんファンの私は、結婚報道から立ち直るのに1週間はかかりました。(ミヤネヤを録画し5回見返してようやく事実をうけとめました)
以前から、堺さんの演技に対する情熱やプロ意識、エッセイから伝わってくる知性や感性にしみじみと惹かれていたので、その堺さんが生涯の伴侶として選んだ女性です、憧れずにはいられません(笑)



つぎに、井川遥さん

この方はいまや押しも押されぬ「VERY」のカバーモデル。美しく、強く優しく、おしゃれで輝く奥さま&母の象徴となっています。

癒し系で売り出していた頃から、色っぽくてお綺麗でしたが、ここ数年はエレガントさと包容力のようなものが加わり、優美で周りを包み込むような柔らかく深い色っぽさを醸し出してらっしゃる気がします。やはり、公私両面での人生経験でしょうか。

偶然にも井川さんも、ハイボールのCMで男性たちを魅了していますね。



そして、皆藤愛子さん

うえのお二方が、私より5つ以上年齢が上なのに対して、皆藤さんは同い年です。
そして、女優さんでなくキャスターさん。

この並びでなぜ?と思われるかもしれませんが、皆藤愛子さんは男性の庇護本能、そして愛らしい女性の笑顔に癒されたい願望を満たすという点において、おそらく最強です。

私が大学生の頃、ちょうどめざましTVでお天気キャスターをされていて、当時全盛期だったmixiには『皆藤愛子に癒される』というコミュニティがあり、かなりの参加人数を誇っていました。
男性の好みはそれぞれですが、皆藤さんのことを「ブス」という男性に私は出会ったことがありません。「好みかどうかは別として、可愛いよね」という反応が大方です。
恐るべし皆藤愛子…!

彼女のあの愛くるしい丸っとした目、31になるとは思えない可愛らしい雰囲気、そして男性に「守ってあげたい」と思わせる愛らしい笑顔。
女性として忘れてはいけないものを思い出させてくれます。
ちなみに皆藤さん、実はワセジョで、ご自分でも「気が強いです」と明言するほどの気の強さなのですが、そんな雰囲気を全く感じさせず庇護本能くすぐりまくりの自分をキープするそのセルフプロデュース能力も驚嘆に値します。



ここまで、三者三様の魅力を語ってきましたが、つまりは、

菅野さんの可愛いく綺麗な顔立ちに、少女性と妖艶さと理知性と気さくさ、

井川さんのエレガントさと包容力さえ感じる大人の色っぽさ、

そして
皆藤さんの庇護本能をくすぐる女性としての愛らしさと笑顔、

これが揃えば最高じゃない!?
というのが、

私の毎晩の妄想の理由です。

アラサーなりに、理想とする女性像を模索している毎日です。
みなさんの憧れている方や目標にされてる有名人は誰ですか?
色々な方にヒアリングしてみたい気分です


ちなみに
このお三方を足して3で割った顔になりたい、ではあまりに厚かましくてバチが当たるかもと思い、
ここ数日は「3人を足して3で割って、10引いたにしてください」と念じるようにしています。

忙しすぎる夫
私の夫は「リアル9時5時(朝)」といわれる業界で働いている。
午前中から働き始め、夜中タクシーで帰宅し、また朝まで自宅で仕事する。そんな生活を揶揄した言葉だ。
結婚して以来、平日に顔を会わせるのはせいぜい15分、という生活がほとんどだ。
週末も半分くらいの時間は仕事に費やしている。

もちろん、夫はその状況を承知の上で就職しているし、職業自体は、夫が長年努力して努力してやっと就いた職業だ。
そんな夢を実現した夫のことが誇らしくもあるし、尊敬もしているし、全力で応援している。

けれど、妻としては夫の心身が心配だ。

時々疲労がピークを越すと「やめたい…疲れた…」というので、
「職場を移れば?」というと
「路頭に迷う…」と言う。

いや、たしかにずっと無職だと私の収入じゃまるで足らないけど、何も今ほど働かなくてもいいよ!?そりゃ多少収入は減るけど…
自分で「十分やった」って納得したならやめたらいいよ。
と繰り返すのだが、いっこうにやめる気配はない。

年次があがって中堅になれば楽になるかと思いきや、一層仕事がふってきているようだ。もう最近は本人も家族も訳がわからなくなるくらい忙しい。



弱い妻
一方私は、体調が安定しない妻である。
命にかかわる病気ではないが持病があり、ときに生活に支障がでたり、行動が制約されたりすることがあり、悪い時期にはいると家事もままならず、実質的に一人での生活が難しいこともある。(本当に最悪の時だけですが)

そうなると、双方実家は遠方で近くに親族もいないので、家の中のことはまわらなくなるし、何より私が静養できる環境がととのわない。悩んで悩んだすえ、数年前にはしばらく実家で療養させてもらったこともあった。
そのときのことを思うと、夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

私みたいな妻と結婚することはなかったんじゃないか、
別の女性と結婚すればもっと不自由しなかったんじゃないか。

自分のせいで、自分が愛する人の人生がダメになるのが怖い。離れた方がいいんじゃないか。

でもその思いを決死の覚悟で口にする度に、
「それも込みでゆりを選んだんだ。それで結婚したんだから、ゆりは存在してればいいんだよ。」
と泣きじゃくる妻に夫はいう。

その言葉を体現するかのように、夫は転職を考えたことがあった。今よりもワークライフバランスがとれて、妻と共に家にいられることを求めて。
具体的な話もいくつか来ていた。

ありがたいことこのうえない話である。「仕事したいのに妻が邪魔」ではなく、「妻のために仕事先を変える」という選択肢をとろうとしてくれた。
心底感動したが、実現にはいたらなかった。もちろん、条件面の事情もあるが、夫のこの先のキャリアを考えたとき、私は自分のせいで本人が納得してない方向転換をさせるのは嫌だったのだ。

「あなたが納得するまでいまの職場でたたかって、自分でここぞと思うときに動いてほしい」
そう伝えた。


そのためにも、私もしっかりしなくてはいけない。
評判のよい病院をさがし、食生活や体のケアに気を配っている。よい主治医に恵まれたお陰かここ数年は長期間療養を必要とすることもなく、時季によって波はあれど、なんとか東京での生活をほそぼそとまわせる程度には保てている。



二人の綱渡りと、大切な約束
とはいえ、
我が家の暮らしに、たぶんに綱渡りの要素があるのは否めない。これまでも、おそらくこれからも。
でも、その綱はきっと最初は絹糸みたいに細くて今にもちぎれそうなものだったかもしれないけれど、年月を経るごとに撚りあわされて確実に太く強くなってきていると思う。綱引きの綱くらいにはなっている。もしくはひょっとすると、単によりあわせるのではなく、名曲『糸』にあるように、夫の縦糸と私の横糸が織られていて、この先織り成す布が強く暖かく自分達を包んでくれるかもしれない


未来を予測することはできないが、ただただ力を合わせて1日1日過ごしていくのみだ


ただし、約束していることがある。
いくら「納得できたらワークライフバランスとれるとこに移ったらいいんだよ!」と妻が繰り返し言っていても、やっぱり大黒柱の責任感はずっしりくるんだろうと思う。過酷な状況で踏ん張ってくれてありがたいと感謝している。
でも、無理がたたって突然倒れるのがほんとに怖い。実際に倒れて辞めていった人も存在する。

真剣に体と神経がヤバイと思ったら粘らない。そうなったら納得とか関係ない。こじらせる前に絶対やめる!
妻が夫に絶対守ってと口を酸っぱくしている約束である

オリンピックのエンブレム問題に端を発し、マスコミでは来る日も来る日も「パクり疑惑騒動」が報じられている。
佐野氏のパクり疑惑のどこまでが黒でどこからが白なのかは、本人のみぞ知るなので私がここで言及するつもりはないが、「パクり」といわれる行為については日々感じていることがある。

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半年前にライターを始めて以来、私の頭は来る日も来る日もネタを探している。
たまに夢でも。
そして「まとまらない!」ってガバッと起きることも(汗)

一方で、「人に読んでもらう文章を書く」ということを一から学びたくて、魅力ある諸先輩方のブログやWebメディアの記事、紙媒体の記事にも以前より広く目を通すようになった。
以前はただぼけーっと読んでいたが、いまは言葉選びや文章の運び方、構成の仕方、情報の密度、「この書き手の方は誰に何をどう伝えたくて書いたんだろう」など、書き手の思考回路を意識しながら読むことも増えた。


それがパクり疑惑騒動とどうリンクするのかと疑問に思われるかもしれないが、
触れる文章が増えると、「意識なく」パクってしまう、似てしまうのが怖いなと、ここ半年ずっと感じてきたのだ。

自分では完全に自分の脳内もしくは日常のなかで生まれたネタ、切り口、文章だと思って書いていても、いつかどこかで目にした文章が脳のどこかにうっすら残っていて、知らないうちになぞらえていたらどうしよう、という不安がふと頭をよぎる。
あまりにも心配なときは、記事の完成後に、同じテーマで書かれた記事を検索して似通ったものがないか確認してしまうくらいだ。

もちろん、読者の引き込み方、文章の組み立て方など技術的な面で他の書き手さんの文章を参考にすることはある。(そういったスキルを紹介してくださる書き手さんもいるくらいだ)
それに、テーマが同じなら、内容に少し共通点があるくらいは仕方がないと思っている。(たとえば「結婚披露宴での服装マナーについて」などある程度「正解」があるテーマの場合は特にそうだ。)
でも、導入、筋立て、内容、結論、どれも似ているとなると故意でなくても「パクり」と判断されるだろう。そうならないための自衛策…。
小心者なのだ(笑)

最近では、タイトルをみて、自分が近々書こうとぼんやりとでも考えているテーマに関わりそうな記事は、敢えて読まない。「知らない」以上のパクり防止策はないと思うから。
そして自分の原稿の完成後に読んで、「なるほど~そういう視点もあったか」と悔しがったり楽しんだりしている。

また、誰かのブログにインスパイアされて、同じテーマで自分の意見を書きたいと思い、なおかつ内容が多少かぶってしまいそうな場合は筆者の方に連絡して許可をいただく。「引用元を明記しますので、かれこれこういう風に書いても構いませんか」と。意外とOKしてくださるものだ。「自分の文章が広く読んでもらえるのでむしろ喜んで」と言ってくださった方もいる。


やりすぎだと思われる方もいるかしれないが、世の中には山のように文章が溢れていて、そして「似ている」「似ていない」の受け取り方は読み手によって様々だ。
用心するに越したことはない。
自分の書いた文章を、堂々と世の中に出したい

半年の新人が語るのも甚だおこがましいが、何かを創っている人間にとって根も葉もない「パクり疑惑」をかけられるのはかなりの侮辱だ。仕事人としてもそうだが、人間としての尊厳を傷つけられた気分にさえなりそうだと思う。


もともと私が持つ小心者ゆえの防衛本能は、
今回の一連の報道によって一層研ぎ澄まされるだろう。
意識的模倣はいうまでもなく、しない。もうこれは職業倫理とかいう以前の問題だ。どうしても書けなくて弱い心が自分を誘惑することが万が一あれば、しばらく書くことをやめる。
そして、一番こわい「無意識の模倣」にも用心しないと、と改めて身が引き締まる思いだ。



それにしても、「痛くもない腹を探られる」という言葉がある。佐野氏の迅速な会見をみたときはその手の疑惑かと思った。それを晴らそうとしているのかと。が、あとからあとから出てくる疑惑をみていると、痛いところは多少なりともありそうな気配である。


痛くもないのに自覚のない病気があったらどうしようとブライダルチェックよろしく検索までしてしまう小心者の私と、自覚する痛いところがおそらくあるのに会見までしてしまう彼。

…人間って多様性に溢れているなぁと、そんなことまで感じさせられる今日この頃である。

もし、痛みの裏に膿があるなら、ごっそり出してしまってほしい。







夫にブログを読まれた。

夜、いつもの習慣でアクセス解析をしていたら、閲覧者のドメインに夫の職場ドメインを発見したのだ。

そういえば、最近作った名刺にはblogのURLが印刷してある。それを夫に渡したんだった。なんて迂闊な私…!
困惑してすぐさま夫にLINEした。
「ブログ読んだでしょ!?名刺でURL分かったんだよね?あー失敗した…」

すると返事
「え?なんのこと?吉原由梨で検索したら出てくるよ」


そりゃそうか…。ブログだもんな…。

改めて自分の迂闊加減にげんなりした。


これまで、ブログを書いていることは夫にも話していたが、見せたことは1度もない。
読まれてやましいことは別にないのだが、なんとも言えず恥ずかしいのである。


もともと我が家はオープンだ。夫婦のプライバシー云々にはあまり厳密ではない。
もちろん夫の仕事用PCには触らない、書類をいじらない、封書を勝手に開けないなど常識レベルのプライバシー観念はある。
でも、お互いのスマホのロック用指紋認証にはお互いの指紋も入っていて、単純に便利だから特に意識もせず相手のスマホを使うこともある。よく「夫の携帯を見たらろくでもないことしか出てこない」というが、いまのところろくでもないことは出てこない。もしかしたら単に、わたしが「ろくでもないこと」を探そうとしていないだけかも知れないが。
私のスマホにも、見られて困るようなものは特にないと思う。あ、フリマアプリのお気に入りリストくらいだろうか。


そして、私が仕事で書いた記事もほぼ全て読んでいる。
というか、私が読ませている(笑)
彼は文筆業とはなんの縁もないが(書いても専門書くらい)、何気なく的確な指摘をするのだ。
「タイトルがいまいちキャッチーじゃない」
「斜め読みしづらい」
「情報量が多すぎる」
「文章が説明的」
「論文じゃないんだから」
など、超上から目線のアドバイスをくれる。
悔しいが、なかなか的をえているし、身内だけに遠慮なく言ってくれるので、結局毎回読んでもらっている。
私の記事を読んでくださったことのある方はお分かりだろうが、恋愛ネタも多い。実体験をもとにした内容もあるが、彼はその手の記事も顔色ひとつ変えないで読み、超上から目線のアドバイスか、「うん、今回はいいんちゃうか」という誉め言葉のみ発する。まぁ、所詮過去は過去だと思っているのだろう。


だから、ブログを読まれてもなんら困ることはないのである。
夫の悪口を書いてる訳でもなく、昼顔願望を綴っているわけでもない。
なのになぜか恥ずかしい。

この不思議について自分なりに考えてみた結果、
思うにブログは私にとって、おそらく非常にプライベートな空間なのだ。
全世界に公表しておいてプライベートも何もないのだが、スマホの中にもない、仕事の記事にもないプライベート空間が、ブログの中には広がっている。

仕事で書く記事はまず「何が読まれるか」ありきだ。読み手のニーズを想像し、読み手が読む過程を想像しながら書く。読み手の存在を強く強く意識している。

対してブログは、私の経験、感じたこと、考えていることを自由に書いている。もちろんブログとして公開する以上読み手の存在は意識するし、自分の書いたことが誰かを楽しませたり心に染みていってほしいと願っている。
でも、仕事で書く記事とではその比率が違う。ブログは、私自身の心や頭の整理、感情の吐露という側面も多分にある。思考回路や、心の奥底がチラチラっと姿を現すこともあるのだ。

そして、そこに現れている私は、日頃夫が見ている私と完全には一致しないかもしれない。
夫の前で自分を偽っているとか、演じているとかそういうことではない。が、私が彼の心の奥底や内面の全てを知り尽くしているとは言えないのと同様に、彼もまた私の心の全てを知り尽くしているわけではない。
故意に隠していなくても、出ていない部分もあるのだ。「一人モード」のときの私、とでも言おうか。

そういう「一人モード」のときの私が、このブログには顔を出している。

それを見られるから、恥ずかしいのであろう。
おかしな喩えだが、1人で部屋にいる姿を「実は録画してました」と言われたような気分なのだ。


夫以外の読者さんには、読んでいただければいただけるほど嬉しいので、「恥ずかしい」の感情は夫にしか発生しない。
一番身近なのに、一番見られて恥ずかしい。

夫婦と言うのは不思議な関係だ。


しかしすでに一度見られてしまったし、私も「絶対もう読まないで!」とは言っていないので、彼はまた何度でも読みに来るだろう。私ももう腹をくくって、書き続けるのみだ。


ところで、ブログを読まれた当日、夫に感想を求めたところ
「俺の花火の写真さすがに綺麗やな」(花火大会の写真は彼が撮影したものを拝借した)
他には?
「旦那さんええ人やな」(自分について書かれた記事に満足したらしい)
他には?
「日常感あってええんちゃうか」


日常感?


「由梨、普段あんなことも考えてるの?知らなかったよ。」ではなく、日常感…。


…私が散々見られて恥ずかしいと感じ、自分で「プライベート空間」だの「一人モードの私」だのと思っていた部分は、彼はもうとっくに知っているのかもしれない。

追究はしないが、つくづく夫婦というのは不思議だ。

結婚何年目になれば「夫婦」を語れるようになるのだろうか。
人生の先輩方にお訊きしたい気持ちでいっぱいである。





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