アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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2015年09月

前回の記事にも書いたが、先日、女優の川島なお美さんが亡くなられた。胆管ガンだそうだ。

その前日には北斗晶さんが乳ガンを患っていること、長い闘いを覚悟されていることをブログを発表されていた。

どちらも私にとってはショッキングなニュースだった。


川島なお美さんはとてもお綺麗でその容姿に憧れたうえに、ご結婚されてからはご主人と支えあう姿に女性として惹かれていた。
北斗晶さんはバラエティ番組で見せる明るく豪快なメンタリティにパワーをもらえるし、妻として母としての愛情深さが滲み出ているのが大好きだ。

川島さんのご逝去は悲しいし、北斗さんの快復を祈らずにはいられない。

昨夜は、緊急ニュースで川島さんの訃報が入り、「数日前にTVでみたのに…」と信じられないままその気持ちをブログに綴り、寝仕度をしていた。

顔を洗って歯を磨きながら、なんとなく考え始めた。
自治体の乳ガン検診っていつだっけ……?調べなきゃなぁ
そういえば毎年の健康診断、腫瘍マーカー検査のオプションは夫だけつけて、私は別にいいやと思ってつけなかったけど、やっぱり来年からつけたほうがいいかなぁ…
はやく見つかるに越したことないもんなー
手遅れになってからじゃ遅いし…

とそこまで考えて、はたと気づいた。

私、いま長く生きたい前提で考えてるよ!?

これは私にとって大きな驚きだった。

長く生きたいに決まってるじゃん、と思われるだろうが、一時の私はそうではなかったのだ。

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◇「長く生きたい」がゆらぐまでの
経緯


大学入学前後から自律神経系の不調に苦しみ、最初は家族にも言い出せなくて耐えていたのだが、もう限界に達して通院を始め、投薬治療をうけるようになった。

ざっくりいうと私の病気は心身症。ストレスや脳の疲労がさまざまな体調不良を引き起こしていて、そしてその症状のつらさゆえに落ち込みなど鬱的な症状が二次的に出ている、というのが医師の説明だった。
そこから私の長い闘病生活が始まる。

実家から遠く離れた東京でひとり暮らしだったのもこたえたが、自分が選んだ道だからとひたすら踏ん張った。

途中病状が悪化して半年実家で療養したため、私は大学を一年留年している。
それでもごまかしごまかし生活してなんとか卒業した。卒業さないと一生後悔すると思ったから。


卒業したらよくなるかも、という本人と家族と医者の祈るような希望的観測はみごとに外れた。

就職したら悪化した。最終的には毎日の業務に体が堪えられなくなり、やむなく退職した。死ぬほど悔しかったし、悲しかった。
真っ当に生きてきたし、人並み以上に努力してきたつもりだし、やる気だってある。
なんで私が病気に苦しめられて人生狂わせられなきゃいけないのかと嘆きに嘆いた。

この頃から、「生きているのがつらい」と思うようになったのだ。小さい頃からたまに「なんで生きているんだろう」と漠然と疑問に思うような子供だったが、死にたいとは思わなかった。それがこの頃、具体的な願望になってしまったのだ。

働けない病気をかかえてこれからどう生きるんだという不安が強すぎたのか、発作症状も出るようになった。
発作を1度経験してしまうとそれに対する予期不安がおこり、それがまた症状を悪化させるという負のスパイラルに入る。

発作の恐怖、人生への失望、体の症状の苦痛が重なり、地獄の日々だった。毎日ベッドのうえで恐怖に怯えながら独り天井を眺めるばかり。出来ることならずっと眠っていたい。意識があるからつらいんだ。

こんな毎日を送るうちに、「これがあと何十年も続くなんて耐えられない。○○歳になっても治らなかったら死のう。あと○年の我慢だ。」と本気で考え、それを支えに日々をやりすごした。


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◇治らないままの再就職、結婚



その後、なんとか再就職できる程度までは快復したが、薬は手放せず、発作症状も続いていた。行動の制約が多い生活だ。

それでも、「あと○年で死ぬなら社会復帰しよう。人並みに働いてから死にたい。」という奇妙なモチベーションで必死に働いた。働いている間は少し絶望から逃れられた。


ところで、私には結婚願望があった。自分でも矛盾してると思うが、長く生きる気がないくせに結婚はしたかったのだ。
昔からの夢だということに加えて、多分、結婚による精神的な安定によって快復するかもと、かすかな希望を抱いてたんだと思う。 

実は20代前半ほとんどをともに過ごした男性がいたのだけれど、病状が悪化する私を支えきれずに去った。そのショックは半端ではなく、もうあの頃のことは思い出したくもない。
そんな経緯があったので「私なんかと結婚する男性はいないんじゃないか」と怯えながらも、友人が誘ってくれる合コンに参加し、婚カツパーティーにも挑戦し、何人かとデートもしてみた。
残念ながらどの人も私の琴線に触れず、いわゆる「婚カツ疲れ」を起こしていた頃、いまの夫と再会した。

具体的な経緯はこちら↓
付き合って三週間で結婚を決めるまで① ② 

あれよあれよという間に結婚が決まり、義両親に私の病気のことも包み隠さず話したが受け入れていただけた。
実家の両親は心底ほっとしていた。

何より、夫になる超本人が私の病気に理解を示してくれたことが嬉しかった。
心の病はともすれば甘えといわれがちである。
「ゆりは甘えてない。よく頑張ってる。俺はそれを知ってるし、人間なにかしら弱点はあるもんだ」
そう言われたとき、10年分の凝り固まった心の氷が溶けるように泣いた。


「○○歳までに治らなかったら死のうと思って生きてきた」と告白したら
「まぁとりあえず数年延長してみれば?」
とさらりと明るく返された。どんな熱い励ましより素直に「そうだね」と言えた。


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◇結婚してその後


こちらの記事をご覧いただければと思う。

やはり、激務の夫と病気もちの妻の生活は、完璧に順風満帆とはいかない。

でも東京に「家族」がいてくれる、そして自分のことを受け入れてくれている、という安心感がある。
また結婚して数年間は、私が治療に専念できるよう専業主婦という選択肢をとらせてもらえた。

そのかいあって信頼できる主治医に出会えたし、ストレスもぐんと減った。
今も薬を飲みながらの生活だし、人より体調を崩しやすいし、できないことも多い。

それでも日常の生活を回せて、友人や夫との時間を朗らかに楽しめるくらいには快復してきた。最近はライターの仕事もさせていただくようになった。
一番悪かったときのことを考えれば奇跡だ。


そして昨夜、
長く生きたい前提で思考していた。

かつて設定したリミット「○○歳」は、実はもう過ぎている。
治ったかと聞かれれば、治っていない。
でも、いま死にたいとは思っていない。


30代、40代、50代、その後まで生きるつもりでいる。まだこの世に未練がある。できれば充実した幸せな人生を送りたいとまで思っている。

そんな自分に心底驚いた。

峠はきっと越えた。

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◇これから


揺り戻しが来ることもあるだろう。
また「死ねれば楽なのに」と思うかもしれない。
でもどうにかこうにか耐えしのげば、トンネルからふっと抜けられる日が来るよとそのときは自分に言い聞かせようと思う。


いまもし、
現状が辛くて辛くて生きていたくないと思っているかたがいたら
いま少しねばってみてください

こんな私でも「生きたい」と思うようになりました。

あなたにもいつかきっと、そんな自分に驚く日が来るはずですから。

















胆管ガンで、亡くなられたとのこと…。先ほどニュースで知ってまだ信じられない気持ちでいます。

ほんの数日前、「舞台は降板するけど戻ってきます」とお話しされてたのに…。


子供の頃は川島なお美さんのことをあまり存じ上げなかったのですが、
近年、ご結婚された辺りからとても好きな女性でした。

鎧塚さんと出逢われて「この年まで待って良かったです。」と本当に幸せそうで、
ご結婚後もそれぞれプロとして尊敬しあい、お仕事に打ち込みながらも仲睦まじい様子をテレビやブログで拝見しては、素敵なご夫婦だなと感じていました。

また数年前、鎧塚さんの眼のご病気が明らかになったときも、気丈にしっかりと寄り添っておられて、妻として見習うものがあるなと思ったのを覚えています。


54歳。あと数年すれば夫婦ともに仕事をセーブして、穏やかに過ごすセカンドライフを思い描いてらしたかもしれません。
最高のパートナーと過ごす、最高に幸せな時間になったはずなのに…。


若すぎる死をお悔やみ申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
そして、ご家族の心に少しでもはやく癒しと平安がもたらされますように。





東京ではこのところ、夏を思い出させるような陽気が続いています。 

せっかくの晴天の休日、どこかへ出かけようということで芸術の秋を気取って東郷青児美術館へ。
『最後の印象派』展が開催中です。
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前衛的な現代アートは、凡人の私には少々難解で「???」となってしまうので、やはり分かりやすくて色彩の美しい作品に心惹かれます。
印象派の何たるかもきちんと知らないのですが、マネ・モネ・セザンヌなどの作風から、美しいパステル画や油彩画が多いことを期待して足を運びました。

◇◇◇まずは天然の風景画を◇◇◇◇


こちらの東郷青児美術館は西新宿のオフィスビルの高層階にあるため、眺めが最高です。
本日は快晴。
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写真にはおさまっていないのですが右手に東京タワー、左手にスカイツリーが見え(こちらは映っています)、地平線も水平線もくっきり見えました。
絵画鑑賞の前に展望台にきた気分でいつもの街を遠くまで見張らすのも良いものです。

まずはここで心をほぐし、いざ展示会場へ。


◇◇◇「解っていない」者の鑑賞の醍醐味◇◇◇◇


私は絵心などまるでなく、美術史も絵画の技法も全く知りません。
画家の名前でさえ超有名どころしか知らないため
なんの蘊蓄も語れませんが、絵画を鑑賞することは大好きです。
(といってもそれも20代後半くらいからですが。)

美しい絵画を眺めていると、なんとも説明のし難い快感が頭から体のすみずみまで駆けめぐるのです。特に目に飛び込んできた瞬間息をのむくらい自分の感性にぴったりとはまる作品を目の前にすると、ほーっと静かに息を吐きながら、寄りで見て引きで見て、延々と眺めて、その作品が発する空気を全身で堪能する。至福の時間です。

このリラックス感と幸福感、快感の正体は何だろうとふと考えたとき、おそらくそれは「言葉を失う快感」もっと言えば「言語から解放される快感」ではないかと思います。


私たち人間は、日々あれやこれやと考え悩み判断しながら生きています。そしてその営みのほとんどは言葉によってなされます。口に出したり書き出したりせずとも、脳内には言葉が溢れています。

先ほど「目に飛び込んできた瞬間息をのむような」と書きましたが、まさしくその瞬間私の頭の中の通常の言語回路はストップし、真っ白になるのでしょう。そしてその「言語から解放される」一瞬が、私の脳と心と体をリラックスさせてくれる気がします。
つまらない人間関係の悩み、仕事のこと、家族のこと、あらゆる日常の煩悶からふっと自由になれる。


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参院特別委員会で安保法案が可決された。

60年安保闘争の勢いを私は知らないが、
今回は一般市民のデモに専門家も加わってかわるがわる拡声器でスピーチをするという異様な光景であった。
日本の歴史に大きな一頁が刻まれる。

安保法案自体の是非を論じるのは私なんかより知識の深い方々におまかせするとして、
デモの異様なまでの熱狂状態を画面越しに見ていて思った。

この中の何人が、前回の衆議院議員選挙に行ったんだろうかと。

昨年末の選挙で、自民党を絶対安定多数を超える議席で大勝させたのは、紛れもなく日本国民である。そして与党で3分の2以上の議席を獲得させたのも、日本国民である。

投票した人ばかりの責任ではない。
投票率は戦後最低の52.66%だった。
半分近くの国民が選挙にいっていない。

彼らがきちんと選挙権を行使していたら、違う結果もあり得たのではないだろうか。

「たられば」を語っても仕方ないが、そう思わずにはいられない。
それくらい、テレビ画面に映し出されるデモの熱狂ぶりと、52.66%という冷えきった数字からうける印象とが乖離しすぎているのだ。


デモに行くことが悪いとは思わない。無意味だとも思わない。
政治に無関心だった若者が関心を持ったのだとしたら、国にとっても良いことだ。
だがデモで政治を変えることは、難しい。


日本は間接民主制をとっている。
民意を表明する場はデモではない、選挙だ。


今回の熱狂がお祭り騒ぎやはたまたただの鬱憤ばらしではなく、真に政治的な関心・参加意欲に基づいたものであるのかがはかられるのが、次回の選挙だろう。

そこでまた前回のような投票率を記録するようであれば、日本人に民主主義は無理だといわれても
反論の余地はない。


今日、友達から結婚式のお知らせが届いた。

結婚式やることになったよ!〇月〇日。つきましては、ぜひお越しいただきたく!」

平日昼間、バリバリ働く彼女からのLINEは実にあっさりしたものだ(笑)

それでも低気圧の曇り空に停滞気味だった私のテンションはガガーっとあがる。
「おぉついに!!おめでとう!!! 入籍も同時?」

「んーそこはまだ決まってない。はやく法的に認められたいわぁ。」

スマホの画面に彼女の顔が浮かぶようで笑ってしまった。


それにしても!である。
夏にランチしたときには、まだ白紙だった。
もう五年も付き合っていて、親にも紹介済み。ここ一年ほどは一緒に暮らしているのでまぁこのまま行けば結婚だよねという流れにはなっていたが、彼が近々海外に短期行く予定を控えていることもあって、具体的な日取りなんかはまだ全くだ、と。
「いま必死に外堀埋めてるの。」とメインのお肉をつつきながら言っていた。


どうやら夏の間に外堀どころか内堀も埋まったらしい 笑



結婚のニュースは誰のことでもおめでたいが、彼女のことだと喜びもひとしおだ。


◆◆◆◆◆

彼女と私は中学一年生で同じクラスになって以来の付き合いだ。クラスが同じだったのは実は中一と高三の二年間だけだったのだけれど、別れているときも便箋の裏(表だと罫線が邪魔で字数がかけないから)にびっしり小さい字で書いた手紙を毎日三枚ずつぐらい交換していた。
話題は恋の話から人間関係の悩み、テストの愚痴など…女子中学生によくあるごくごく一般的なもの。思春期の心の友である。
高校の部活も一緒で、高3の全国大会は二人で東京に行ったし、志望校も一緒だったから大学見学もした。
彼女が高3のとき全然勉強しなくて(笑)一年浪人してしまったけど、学部は違えどまた同じ大学に通った。

就職後はお互い忙しくて会うのはほんとたまーに。
でも会えば、なんというか飾らず本来の自分でババーっと喋れる。お互いの思考回路をよく分かっているから話が速い。変な遠慮もいらない。
貴重な存在だ。

でも不思議なことに、彼女と私の性格は全く似ていないのである。
それどころか、真逆に近い。
彼女は楽観的で大胆で、いきすぎるとテキトーで、度胸が据わっていて、豪快である。「緊張って何?」みたいなタイプ。
一方わたしは、悲観的で、心配性で、いきすぎると神経質で、度胸はあるが繊細である。「緊張して吐きそう。」ってなるタイプ。
 
たとえばどこかの城を攻めるとして、最終目標は天守閣。
彼女の場合は、外堀の百メートル手前から馬に乗って走らせ、外堀の手前から天守閣めがけてギャロップさせるような戦術をとる。
私はといえば、外堀から順番にスコップで(ショベルカーではないのがポイント)せっせせっせと埋めていくタイプだ。

物事へのアプローチが全然違う。


だから、私は自分の悩みなんかを彼女に話すと、思ってもみない方向からの回答が返ってきて、
目から鱗が百枚ぐらい落ちそうになる。
「え、そうくる!?」と。

こういうふうに書くと、一見気が合わないようだが、これがかみ合うから不思議である。

むしろ、この真逆さが肝なんだと思う


同じような感性で同じような思考回路を持つ相手との時間は心地よいし、楽だ。
深く共感しあえるし、アドバイスもより腑に落ちやすい。
友人にはこちらのタイプが多い。

一方、真逆の相手だと目から鱗が落ちまくるが
自分の色眼鏡も落ちる。
とくに自分の感覚や思考が偏り過ぎているとき、それをぐぐっと中庸に引き戻してくれる効果がある
「あ、なるほどねー、そういう考え方もあるのか!」と。

どっちが正しいとか間違っているとかではなくて、単に「違う」だけ。
それぞれのアプローチで人生進んでいけばいい。
そして彼女と私は、お互いに足りないところを補い合って来たのだと思う。
「違うよね」ということは二人ともはっきり認めているし、そのうえでお互いをリスペクトしている。

あ、ただし過去の合コンで男性陣が「由梨さんはどんな人なの?」と彼女に振ったとき、
「うーん、何事も『わかってるな~!』って感じ。」と答えたのは勘弁してほしかった笑
全然かわいくないじゃないかー! 笑


◆◆◆◆◆

そんな大胆な彼女だけど、結婚に関してだけは乙女というかしおらしかった。
強引に押し切ることもせず、当初あまり結婚に乗り気でなかった彼氏の気が変わるのを辛抱強く待った。
人目なんて全然気にしない彼女だが、結婚だけはあまり遅くならないうちにどうしてもしたかったそうだ。
会うたびに「結婚したい結婚したい」といっていた(笑)

だから私は正直、彼女がいまの彼の煮え切らなさに愛想をつかして別の人とゴールインする可能性もあるな~なんて考えていたのだが、見事にいまの彼とゴールインへまっしぐらである!
よく粘ったー!本当によかった!



まぁ結婚してからが勝負本番だけどね、という人妻のリアルな呟きは、彼女が無事バージンロードを歩ききるまで、
独り言ととしてそっと胸にしまっておこう。

本当に嬉しい日である。

心を込めて、おめでとう。



18年来の友より。









 

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