アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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2015年11月

今回は、世間で「ハイスペ」と言われるところの、いわゆる高学歴・高収入の男たちのジレンマについて紹介したい。

 
私は東京大学法学部を卒業した。そこに集う同級生は皆、受験勉強を勝ち抜いてきた人ばかりだ。

でも、お堅い話しかしないガリ勉ばかりということは無く、男女を問わず、個性の強い面白い友人がたくさんできた。飲んでバカ騒ぎをしたり、女どうし徹夜で恋バナという名のゲストークをしたり、サークル仲間男女7人で花火大会にいくなんていうちょっとした「オレンジデイズ」的体験もできて、人間関係に恵まれた大学時代を送ったと思っている。

 
そんなわけで、私には東京に男友達が多い。文系学部とはいえ、男女比がアンバランスだったから。そして一緒にバカをやっていたはずの彼らは、自然と世間でいうところの「ハイスペ男」になっていく。そんな彼らとたまに飲んで話すと、面白い現象が見えてくる。

 

<■なかなか訪れない「彼女との青春」

さきほど「ガリ勉ばかりではない」とはいったものの、基本的に皆まじめだ。受験生時代から勉強も恋愛も部活も遊びもぜーんぶバランスよく楽しんでいました!なんていう爽やかリア充はせいぜい2~3割で、残りの7~8割は人一倍勉強に労力を割いてきている。

無事入学してからも、大学内のアンバランスな男女比のため自然と男子はあぶれてしまい、学内で奪い合いになる女子をうまくつかまえるか、もしくは手際よく女子大とのインカレサークルに入って彼女を見つけるかしないと、「彼女アリ」の青春は送れない。恋愛慣れしてない奥手な男子にとって、それは意外とハードルが高い。

かといって、大学外での合コンに励みまくるかと言えば、もちろんそういう人もいるが、多くの人が将来のために勉強する。特に、公務員や弁護士を目指す人は、放課後や休日に予備校に通う。受験勉強は大学に入っても続くのだ。

 

■卒業後、突然訪れる価値の高騰

そんな大学生活を送った彼らが、卒業して就職する。するとどうだろう、キャリア官僚や有名企業の肩書に、合コンの話が次から次へと舞い込む。

大学時代にほどよく遊んで恋愛もしていた部類の男子は、世間のそんな反応にも割と冷静。社会人生活が落ち着きだした3年目くらいに、学生時代からの彼女と結婚する人もちらほら出てくる。

一方で、そんな「引く手あまた」状態に慣れていない部類の男子たちは、少々舞い上がる。華やかとは言えない大学生活をおくっていたはずが、合コンで可愛いOLさんに「すごーい!さすが物知りですね♡」なんてキラキラ笑顔で言われると悪い気はしない。当たり前だ。私だって舞い上がるだろう。

学生時代よりはお金もある、女の子の反応も悪くない。少しずつ、彼らの生活が変化し始める。


■アラサーでバブル並みのモテ期が来る

とはいえ、卒業直後の数年は、なんだかんだいって有名私大卒の男子の方がモテる。イメージもおしゃれだし、実際話が面白くて、女性の扱いが上手な人が多い。
そのうえ東大生は根本がまじめなので、仕事に打ち込み過ぎて恋愛そっちのけの人も多い。

 
ところがアラサーになってくると、東大卒男子たちも仕事で中堅どころになってきて、少し余裕が出てくる。

ちなみにこのタイミングで社会人恋愛市場にぽーんと投げ出されるのが、弁護士一同だ。彼らはロースクールを出てさらに司法修習を受けるので、社会人としてのスタートが数年遅い。かつての同級生が華々しく社会人デビューするのを横目で見ながら、一番長くコツコツ勉強してきた組である。彼らはアラサーで、「学生」からいきなり「先生」と呼ばれる社会人生活スタートをむかえる。昨今の司法制度改革で弁護士ももはや「おいしい」仕事ではない。就職口が無くてやむなく独立したり、安い報酬でこきつかわれたり……。でも、世間の大多数の若い女性はそんな内情はよく知らない。弁護士ときけば「なんとなくいい感じ」と思う人が大半だ。

 男子の状況はこんな感じ。

ここでいったん、女性の方に視点を移してみよう。世間の女子の多くはアラサーになると少し男性観がかわる。「かっこよくて~、素敵なお店知ってて~」と言っていた時代を終え、多くの女性が「できれば高収入で、まじめで、親にも紹介しやすい人が良いな!」と言い出す。
 

すると、何が起こるか。

東大卒男子、人生最大のモテ期到来。
完全にバブル並みの価値高騰だ。


美女揃いで有名な企業や、CAさん、ありとあらゆる魅惑的な合コンの話が持ちかけられ、ちやほやされ、完全に売り手市場である。

もちろんこの時期も冷静に受け止め、「これぞ」と思った女性と真剣に付き合い、結婚していく人もいる。

 
が、舞い上がる人も多いのだ。

彼女がいても、「他にもいるかも」となかなか決められないと言う。
1回の合コンで何人つかまえられるか、その研究に予断のないやつも。

ある弁護士男子は、キープしている女性が5人いるらしい。……あきれるを通り越して感心する。


■そんな彼らを襲うジレンマ

ただ、ひたすら舞い上がっているだけではないらしい。激務で疲れて帰った夜、友人の結婚式に参列した日、「やっぱり自分も結婚したい。落ち着きたい。」と思うのだそうだ。(一部独身主義者は除く)

そして飲みながら私に問う。

「やっぱりさ、良い子から結婚していくのかなぁ?同窓会すると結構みんな人妻じゃん。」

「いや、結婚自体はご縁だから、良い子からってことは無いでしょ。実際あの子もあの子も綺麗で性格いいけど独身じゃん。タイミングはそれぞれだよ。」

「そっか。そうだよね。」

「うん、でも、男女ともに単純に独身の数は減るよ。

そうなんだよ!やばい、迷っているうちに選択肢が減っていく……!」

まさに、このジレンマに陥るらしい。

まだまだモテるし、選べる側だから年貢をおさめたくない。でも、そうこうしているうちに独身女性自体が減る。

 
■彼らが結婚を決めるとき

そんな「どうしよっかな」状態から1抜け、2抜けしていく人にだいたい共通しているきっかけは、結婚相手に決めた女性の何かに「感動した」ことのようだ。
もちろんゴールインの現実的なきっかけとして、転勤や転職、留学、はたまた彼女の妊娠というケースは多い。ただ、たいていそこに至るまでのどこかの時点で「この人だ」と決めるきっかけとして、「感動」「人生観のすり合わせ」が存在している。
「モテることに気付いてチャラチャラ遊んでたけど、今の嫁さんに出会った瞬間、全部やめた。」と話す男友達は、お相手の品の良いたたずまい、気立てのよさに感動したという。

彼女の洞察力に感動したという人もいれば、困難に直面したとき一緒に乗り越えてくれたたくましさに感動したという人もいる。他にも、忙しい自分の仕事を理解し支えてくれる姿に感動した、彼女の才能に感動しインスパイアされた、など。そして惚れ込んだ相手と人生観が一致すれば、それぞれのペースで結婚していく。
もちろん圧倒的な美しさ、という人も。(ただしこのパターンは人生観を擦り合わせていないケースが多く、友人内で「大丈夫か!?」説が浮上するけど)


「ちやほや」に慣れ、虚しさを感じ始めると、最後の決め手はどうやら「感動」らしい。
一時的に舞い上がっても結局は心動かされた人と地に足をつける。

条件重視の婚活市場のからさわぎ、そしてそれに乗じた男達のにわかチャラチャラ恋愛界から、心ある一途な恋愛の世界へ戻ってくる彼らを私は全力で歓迎する。
 
もし煮え切らないハイスペアラサー男子の扱いに困っている女性がいたら、小手先のテクニックでなく、どうかそれぞれの持ち味の「感動」で、彼らの心に刺さる決め手を作ってあげてほしい。
そして、スペックでなく、丸裸の彼らそのものを愛してほしい。
余計なお世話かもしれないが、スペックと美しさを交換するような結婚の行く末は、書く気もしないほどの泥仕合だ。


マンションの契約更新の時期が来た。

また高い更新料を払うと思うとため息しかでないが、住める家があるだけありがたいと思おう。と、自分に言い聞かせている。

これで2回目の更新なので、今のマンションに4年近く住んだ。
遡っていくと文京区に3年、世田谷区に1年半、文京区に3年半、杉並区に1年半。

もう東京に来て13年近い。

■田舎娘、東京へいく
地方の田舎娘だった思春期の私は、とにかく東京に行きたかった。
親が厳しくて、高校を卒業するまでは携帯電話禁止、男女交際禁止、女友達の家であっても外泊禁止。

そんな家庭だったので、
もうとにかく親元から離れたい!
そして娯楽がある華やかな場所に行きたい!
それなら東京だろう!

ということで、私の進路は
「とりあえず東京にある大学にいくこと」と中学3年生で固く決意した。The 不純。

その決意と努力の甲斐あってか、無事に志望大学に合格し、華の東京ライフがスタートした。

……はずだった。


蓋を開けてみると、東京は恐ろしいところだった。
まず人が多い。渋谷駅の井の頭線乗り場へ向かう通路。この人通りはなんだ!?スクランブル交差点は毎日が夏祭りなのか!?電車の恐ろしい混雑はなんなんだ!?
そしてみんな歩くのが速い。のんびり歩いてると押し流されそうになる。前に進めない。

どんなに都会に憧れても体内リズムが田舎仕様の私には、東京の人口密度とスピード感は息苦しく感じられ、

1週間でホームシックになった。はやっ

入学式に出るために上京してくれた母の顔をみたときどんなに嬉しかったことか……!
母が田舎へ帰る前夜、明日からまたこの東京の狭いワンルームに一人なんだと思うとこっそりベッドで泣いたくらいだ。

あんなに親元から離れたいー!と執念を燃やしていたのに、情けない話である。


もちろん、しばらくすれば恐い東京にも少しずつ慣れていき、友達も増えて、それなりにおしゃれをして、恋をして、東京で過ごす楽しさがちょっとずつ分かってきた。

それでも、長期休暇に入るとさっさと帰省して、地元でだら~っと力を抜いてひたすら英気を養わずにはいられなかった。一人あたりの空間の広さ!美味しい空気!ゆったりした時間の流れ!懐かしい友達!
まさに東京で消耗して、地元で充電して、また
東京で消耗して……そのサイクルの繰り返しだった。



少しずつ変化する故郷への思い

詳しく書くと長くなりすぎるので省略するが、私は東京生活の最中にややこしい病気を患ったせいもあって、節目節目で「地元に帰って職を探そうか」「結婚は地元の人としようか」と家族のいる故郷に戻ることを検討してみた。病状はかなり深刻だったのだ。

でも結局帰らなかった。

理由はまぁいろいろあったが、
つまるところ、ホームであるはずの故郷にいるときの「ホーム感」が少しずつ減っていたこと、そして一度はホームシックにより美化されていた故郷の、良いところ悪いところを段々冷静に見られるようになったことが大きかった。

実家を出て何年もたつと、街の様子も、家の中の様子も変わる。昔の友達もそれぞれの人生を歩んでいて少しずつ価値観がずれてくる。(もちろん、ずれることなく一生つきあいたい友人もいる)
そして私自身も変わる。
東京で広い世界を見てしまうと、田舎のしがらみが面倒くさく感じられる。ずっと地元にいる人の一部に見られる独特の視野の狭さ、井の中の蛙感、そういったものも冷静に見つめられるようになった。

ここは愛する故郷だけど、一生を暮らす場所ではないな、と私の中のなにかが判断したのだ。


ただし、あくまでもこれは私のケースに限った話だ。ずっと故郷で心豊かに幸せに暮らす人はたくさんいる。
私は凡庸な人間なので、一度離れないと故郷を客観的に見られない。
自意識過剰さゆえに、狭い地元で少しでも名が知れて「肩書き」がつくと、どこへ行ってもそれにふさわしい振る舞いをしなければと勝手に気負う。
人目を気にするので、古い世代から「当たり前」とされる女の人生のレールに乗っていないと、落伍者のように言われるのに耐えられない。

そんな私に田舎暮らしは向かない。
単なる向き、不向きの話。


ホームになった東京

いまもって、私の体内リズムは田舎仕様だ。東京のスピード感についていくには心身のギアをアップしなければいけない。
人口密度の高さ、満員電車は狂気の沙汰。
バカ高い家賃もどうかと思う。
空気は汚いし、交通騒音もひどい。
そして個人主義で、無縁社会で、ともすれば砂漠とまでいわれる東京。

でも、いまやここが私のホームだ。
憧れの華やかな都会でもなく、恐い場所でもなく、ひたすら日常をつみあげる場所。

確実に何かを消耗している。
でも、ここで充電もできる。
そうなったのは、単純な慣れ、引っ越しを繰り返して物理的に居心地のいい空間を見つけたこと、そして13年かけて友人知人の輪という精神的な居場所を得たことによるんだろう。

何より私が魅力に感じるのは、群衆に紛れられることだ。
何者でもない自分になれる瞬間が、ここにはある。
レール通りの人生を歩めない人間には、このうえなくありがたい。


最近、興味深い話を聴けた。
東京生まれ、東京育ちのその方は、
「私がかつて育って好きだった東京はもうない。」と語っていた。「変化するのが東京の宿命のようなものだ」と。

変化を苦手とする私には少々都合の悪い証言だったけれど(笑)東京出身の方のそういう視点は新鮮だった。
果たして自分が変化についていけるかーーやってみないことには分からないが、変わらない確かなものも私は東京で得ていると信じて、根を張るべく日々を積み重ねようと思う。

槇原敬之さんの『遠く 遠く』はいつ聴いても心にしみいる。
『遠く遠く 離れた街で
 元気に暮らせているんだ
 大事なのは“変わってくこと” 
 “変わらずにいること”

 僕の夢をかなえる場所は 
 この街と決めたから           』




春画展に行きたい行きたいと思い続けて3ヶ月、その願望がようやく実現した。

「誰と行くか問題」は、春画展に興味のありそうな友達が見つからず、結局

夫と行く 

という無難な選択肢に落ち着いた。
週末は混雑がひどいと聞いていたので、夫の休暇中の平日にいざ!
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展覧会場の永青文庫に到着し、順路どおり4階スペースに向かうと、

なんじゃこりゃ!?
人がひしめき合っている……!
陳列ガラス沿いに列を作り、その進まなさ加減たるや、牛歩またはディ⚫ニーのアトラクション待ち行列。行列最後尾は部屋からはみ出る。

ちなみにこれ、平日17時の光景である。
一応この17時というのも考えた末の時間で、会社員の方はまだ来られないし、専業主婦の方はご飯を作る時間だし、リタイア済みシニア層はそろそろ帰宅してご飯の時間だし、てかそもそも1日空いてたらわざわざ寒い夕方に来ないだろうし、という読みのもと狙っていったのに、
ゴッホのひまわりでも来ましたか?レベルに混んでいるではないか。
(ちなみに大学生の行動は読めなさすぎるので、未知数のまま予想放棄)

春画、恐るべし。

おとなしくその牛歩行列に加わって鑑賞開始。

序盤は、まだ完全に心通じあっていない男女の探りあいの様子が描かれている。ちゃぶ台の下で足がふれあっていたり、ちょっと着物のなかに手を入れてみたりさりげない感じ。

が、見ている側は牛歩なのにもかかわらずなかなか作品の展開が速く、気がつけばあっという間にどっぷり春画ゾーンスタート。


予想以上に赤裸々な描写である。
モザイクをかけたくなるような所をドーンとクローズアップ、色鮮やかに表現していて、「こ、これは……」と一瞬戸惑う。
保健体育の教科書より生々しい。昔クラスメイトに騙されてブックオフで立読みした東京大学物語より生々しい。

でも何作品も見ていくうちにだんだんと慣れてくるし、絵師や時代ごとの作風の違い、設定やストーリー性に目がいって、あまり気にならなくなった。
絵画としても色彩が美しいものがたくさん。私が特に気に入ったのは、鳥文斎栄之の四季競艷図の中の一作だ。緑色の簾がなんとも情緒がある。


ーーただ、最後までひっかかったこと。

……立派すぎる。
何がとは言わない。
紳士・淑女のみなさまにおかれましてはお察しいただきたい。
だって腕より太い。顔より長い。
いくら遠近法とか無い画法だからと言われても、なんぼなんでもそれは……。
私の記憶の中のサンプル数はそんなに多くもないけど、極端に少なくもない……はず。でもどれだけ脳内画像検索をかけてもidentifyしない。
(あぁこのブログを絶対に親が読みませんように)

これは男の意地なのか?見栄なのか?
いや違う、夢か!
現代の恋愛ゲームの女性キャラが全員巨乳であるように。

まぁ単に春画なのでそこを強調したかった、という意図かもしれないが、なかなかの盛り具合である。対して女性の体はそんな盛られてないのが不思議だ。

ーーーーーーー

春画というのはポルノなのか、アートなのか」という議論がなされているようだが、今回実際に見て、「どっちでもいい。というか、どちらの要素も兼ね備えている。」と感じた。
今みたいに写真や映像があるわけじゃないので、春画は性教育のツールであり、面白おかしい娯楽読み物でもあり、性への欲求を刺激するものでもあり、芸術性を追求するものでもあったのだろう。

実際、「家庭の医学」的に臓器の説明がされている春画本、
享保の改革で春画が禁止されてからも、貸本屋がこっそり庶民に貸し歩いたというもの、
大名が贈呈用(!)に絵師に描かせた豪華なもの、
記憶があやふやで申し訳ないのだが、何らかの団体が新年の行事で配布したものまであった。

様々な階層の人々が、様々な用途で春画を手にしていたのだ。


もうひとつ印象的だったこと。
展示してOKと判断された作品ばかりだから、かもしれないが、
「性」に対する後ろ暗いイメージをあまり感じさせられなかった。
どちらかというと肯定的で、どこか洒落がきいている。セリフ付きの作品なんかは思わず笑ってしまうようなものが多く、ちょっと意外だった。暴力的描写は一切無い(展示されていないだけでどこかに存在はするのだろうが。)
日本人はあまり性に開放的なイメージは無いけれど、秘め事でありつつもおおらかに肯定すべき事柄として古来から扱われていたんだな~と、これは新鮮な発見だった。


日本史の資料集にもこういうのいっぱい載せればいいのに。
……授業にならないか。

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物販コーナーでは全展示品が掲載された図録が販売されていて、夫は「これすごいよ!4000円の価値あるよ!」と気に入っていたが、うーん、いらん。
一時間近くかけて山ほど見たから、もう、お腹いっぱいだよ……。
ちなみに春画が印刷されたTシャツやらクリアファイルやらエコバッグも売られていて、こんなにもエコバッグという響きが似合わないエコバッグもないというくらい、違和感の塊の逸品だった。

エロバッグの方が実物に忠実だと思う。


総じて見ごたえたっぷりの展覧会だった。  
日本美術が好きで性的描写が苦手でない方は、ぜひ足を運んでみてほしい。











ここ一か月ほど私の脳みそのほとんどを占めていた、ある「課題」があった。

ただでさえ要領が悪くてマルチタスクは苦手なのに、「ぼやぼやしてる暇はない」と普段の生活にその課題クリアのためのタスクの時間を押し込み、情熱を注ぎ、寝ても覚めてもそのことを考えていた。

 

そう、私は昔から何か「課題」を見つけると、根を詰め過ぎて、解決するまで24時間それが頭から離れない。夢にもみるし、ひどいときは心身ともにオーバーヒートして文字通り発熱する。(ウソみたいな本当の話)

 

大学入試も(毎晩命を狙われる夢を見た)

大学の期末試験も

就職活動も

物件探しも

仕事でトラブルが起こったときも

家庭の問題も

 

思考回路がうまく切り替えられないのだ。……社会人として致命的である。いや、人としてか。

 

こういう猪突猛進な気質は、短期決戦には強いのだが、長期戦にはめっぽう弱い。

特に、運やめぐりあわせにも左右されるような事柄になると、努力したからといって必ずしも結果に結びつくわけでもなく、消耗度合いが激しいため脳も体も心ももたない。

 

今回は一か月で、「あ、そろそろヤバいかも」に達してしまった。

(察知できるようになっただけ、少しは成長したのかもしれない)

テレビの音がうるさい、本屋で隣にいる人の咳ばらいが物凄く神経に触る、呼吸が浅い、体がほてる、などなど黄信号サインが全身から発されている。

 

全身が「この件については、休め」と私に訴えている。

 


ちょうどいいことに、明日からよーやくとれた夫の夏休み。

(夏どころか、もう秋から冬に入ろうとしているけど)

課題はクリアできていないけれど、原稿も前倒しで書いたし、一週間ほどはこの一か月の異常な根詰め状態から解放されようと思っている。

そして休み明けも、いまほどの過熱状態にはならず、長い目でやろうじゃないかと構えて淡々と取り組みたい。

 

これまたちょうどいいことに、いま少しずつ進めている勉強がある。

「勉強」と名のつくものがすべて嫌いな私が、珍しく飽きずにやっている。休み明けは、こちらの作業に軸足を移して、力を注ごうと思う。(気が変わらないうちに……)

案外そんなときのほうが、行き詰っていた「課題」をクリアするひょんなきっかけに出会えたりするものだ。

 

ひとは、悩みや考え事の渦中に居すぎると、「引き」で見ることが出来なくなって大局を見失う。少なくとも私はいま見失っていると思う。

一週間かけて落ち着きと客観性を取り戻し、大局を見ながら冷静にやろう。仕切り直し!

 

 

タイトルの「考えろ!考えるな!」は、松岡修造氏の言葉である。

最初きいたときは「え、何それどっち!?!?!?」と思ったが、「自分が出来る範囲のことは考えつくしたら良い。だけど、明日の天気とか人とのめぐりあわせとか、そういう自分の力の及ばないことについては考えるな。思い悩むな。という意味だそうだ。そう言われれば大いに納得である。

従来の諺で言えば「人事を尽くして天命をまつ。」に近いかもしれない。

 

思えばここのところの私は、考えて、考えていた。自分の出来ることも考えたし、自分ではどうしようもない範囲のことまで思い悩んでいた。

人事を尽くして天命を思い煩っていた。ある意味謙虚さに欠けている。天命をどうにかできるわけないじゃないか、身の程を知れという話だ。

 

自分の力の及ぶ範囲、及ばない範囲の線引きをしっかりとして、

情熱を注ぎ過ぎず、

一喜一憂せず、

大局を見て、

ゆっくりやっていこうと思う。

 

 

ちなみに本日116日は松岡修造さんのお誕生日らしい。どおりで温かいはずだ。

どうかこれからも日本列島に高気圧をもたらしていただきたい。

 

先週末、世間がハロウィンで浮かれまくっているなか、ハロウィンのハの字もなさそうな街、神保町に行ってきた。

見事なまでに期待を裏切らない!なんとそこでは「古本祭り」が行われていて、仮装より古書に興味津々な人々でごった返している。あぁ、落ち着く……。

 

が、私のお目当ては古書でもハロウィンからの逃避でもない。

三省堂書店神保町本店で開催されるトークショー&サイン会である。「僕も芥川賞とったんです。」の手書きポップを紀伊国屋書店に残した「又吉じゃない方の受賞者」羽田圭介さん。

 

「じゃない方」なんて世間で言われていても、わたしにとっては「羽田圭介である方の受賞者。」大ファンだ。

最近テレビでそのナイスキャラぶりが有名になりつつあるが、作品も素晴らしい。『スクラップ・アンド・ビルド』は自分より一つ年下の男性がこれを書くのか……としみじみ感じ入るほどに鋭く、かつどこかユーモラスな作品だ。

 

そんな羽田さんに会えるなんて!サイン会まであるなんて!

予定の確認もせずに申込み、当日はちょっと遅刻しそうになったのでタクシーを飛ばした。

ぎりぎりセーフで会場に滑り込み、普段こういう会場では「ちょっと後方の通路側」の席を狙う私がそのときばかりは「前方の両隣はさまれている席」を選んで待機。

 

間もなく登場されたご本人は、見事なまでにテレビの通り。本物だー!!! でも想像より少し長身?そしてちょっとお太りになった?いや、つかれてむくんでるのかな…。などと考えつつ、でもとにかく羽田さんの実物がこの場にいるのである。
私から5メートルほどのところにいるのである。
タクシー代なんて痛くもかゆくもないわ、あぁ来てよかった。

 

そこから、事前に会場のお客さんから羽田さんにききたいことを書いてもらったアンケートをもとに、司会の方が羽田さんに質問を投げかけていく形でトークショーは始まった。

ちなみに、某有名ドキュメンタリー番組のカメラが入っていた。「どっちかっていうと、ドキュメンタリー番組よりフ○イデーのカメラに2人で撮られたい」などと思いつつ、トークショーに耳を傾ける。

 

◇テレビ出演について

まずはやはり最近テレビへの露出が多いため、テレビ出演に関する質問が多かった。

それに対する羽田さんの回答に共通するのは「とにかく嘘をつきたくないんですよ」ということだった。トーク番組であっても、密着取材型の番組であっても、自分のキャラを作るために嘘をつくようなことはしたくない、と。なので、打ち合わせの段階でスタッフさんが落としどころありきで「これこれこういうエピソードとか、ありますよね?」と言ってきても「いや、ないです。」とあっさり切り捨てるらしい。

また、テレビで見られる自分が本来の自分であるかについては、「嘘は一切言ってないし見せてもいない。だけど、編集の段階である部分は使われ、ある部分は捨てられる。そうすると、必ずしもそれは本当の姿を映しているわけではなく、ある意味では作られた『嘘』になっている気もする。」と話していた。非常に率直で、真摯な回答である。

 

これはもっと後のタイミングで話していたことだが、「ポメラ」という機器を執筆に使用しているそうで、ビジネス雑誌などの取材でその話になると「あ!じゃあ先生はどこでも仕事ができるようにツールを持ち歩いていらっしゃるんですね!」とこれまた落としどころありきの質問が来るらしいのだが、実際には羽田さんは家でしか執筆はせず、持ち歩けることがウリのポメラを持ち歩くことは無いらしい。しかも使う理由は「目が疲れないから。」これまた嘘はつきたくないということで、「いえ、そういうことじゃないんです。」と断固否定するらしい。

 

そういうことが多発するので、取材はちょっと疲れるんですよねー……と語っていらした。

私はインタビューの経験は多くないが、ずしっと心に来る言葉だった。インタビュー対象者にこういう思いは絶対させちゃいけないな、と改めて取材する側の心構えを強く律した瞬間だ。

 

しかし一方でテレビに出演するというのは、創作のアイディアにつながるメリットもあるらしい。これまでは自分の実体験や周囲の世界の中からヒントを見つけてきたが、テレビというこれまでとは全く違う“俗っぽい”(マイナスのニュアンスは感じませんでした)世界との接し面白い体験が出来ることで、また違う経路からのアイディアが生まれてくるかも、という感覚はあるそうだ。

 

総じて、テレビに出るのは「すごくうれしい」わけでもなく「すごく苦痛」というわけでもなく、メリットデメリットあるよね、と淡々と述べていた印象だ。

ドラマ化や映像化にもそこまで興味は無いし、テレビに出たからといって本がバカ売れするわけでもないし……と、テレビ出演の嵐に舞い上がっている感はまったくなかった。

 

あ、でも1点、「テレビ局で出る弁当がもの珍しくて2個食ったりしてたら、顔とか腹とかとんでもないことになっちゃってヤバいっすよ」

……それなりには、はしゃいでいるらしい。

むくんでるんじゃなくて、お太りになったようです。

 

 

◇ラジオの魅力について

テレビは全く見ないという羽田さん。執筆時は無音でないと書けないが、情報はラジオから得ているそう。「ラジオの魅力はなんですか?」という問いに対して、「テレビはどうしても大衆向けにキャッチ―で分かりやすいことを追求しないといけない。だから難しい話題になかなか切り込まない。それに対してラジオは、難しい話題にもあえて切り込んでいって、パーソナリティさんが一生懸命言葉を尽くしてリスナーに分かるよう届けよう、とする。そういう意味で大衆に迎合しないのは、ラジオの良さかと思う。」と答えていらした。

このテレビとラジオの違いについての見解はそう目新しいものではないけれど、羽田さんの執筆に対する姿勢や、メディアに対する考え方に親和的だなぁと思う。

 

 

◇『スクラップ・アンド・ビルド』について

説明するまでもない、このたびの芥川賞受賞作品。この作品は、「病気小説」という昔から延々と書かれているジャンルにおいて、これまでとは違う、まじめ過ぎず深刻過ぎない作品を書きたかったそうだ。読んだときそこはかとなく漂うユーモラスさは、その意図から来るのかなぁなんて思いながら聴いていた。

タイトルをカタカナにしたのも、漢字2文字、などで書くよりカタカナで長々と書いた方が“アホっぽい”感じが出るかなと思ったからだ、と語る。

なるほど、うーん、あほっぽいとは感じないが、漢字で書かれるよりはカジュアルな感じがする。

 

 

◇次回作について

いまは、長編の次回作に取り組んでいるらしい。当然未発表作品なので多くは語れませんが……と前置きしつつ、話してくださった。

スクラップ・アンド・ビルドはある意味、「天に唾吐く行為」(いつかは自分も老人になるのにその老人と若者が対立する)を描いていて、いうなれば縦の対立である。次回作はそうではなく、横の対立を描くものにする、と。

ご本人いわく、珍しく編集者さんといろいろ意見を戦わせながら書いている作品らしく、発表が楽しみである。

 

 

◇質問タイム

ラスト10分は、聴衆の中から質問を募る時間になった。
 

!!!

私のききたいことは、

「好みの女性はどんなタイプですか?」だ。

 

でも、皆さんすごくまじめな、小説に関する質問をしている……。

 

どうしよう、どうしよう、どうしよう。聞きたい、でも、羽田さんに白い目で見られたら立ち直れない。

 

と、うじうじ悩んでいるうちに10分は終了した。

 

……相変わらずチキンな私。

 

 

☆サイン会

著書にサインをもらえるので私も自宅にあるスクラップ・アンド・ビルドをいそいそと持参した。

前の座席の人から順番にサインをもらう列を作るのだが、なんと「撮影OKです!」とのスタッフの声。

なんですと!?

それ事前にいってよ、デジカメもってくるよ~。と思いつつ、

サインする羽田さんの姿をスマホのカメラにおさめる私。

そして驚いたことに、サインをした後一人一人とツーショット撮影可能というサービス旺盛っぷりで、全員がサイン→撮影→握手 をしていくものだから、進まない 笑

中には一人で6冊くらい持ってきてすべてにサインしてもらう強者もいて、進まない。

 

サインをする羽田さんもさぞお疲れだろうな……と思いながら順番をまっていた。

 

会場がこじんまりしていたので、羽田さんとサインしてもらっているお客さんの会話が私の位置まで聞こえてくるのだが、一番ナイスなお願いをしていた女性がいた。

事前に彼女は撮影NGだと書店スタッフがTVクルーに伝えていたので、顔が出せない事情があるのかな、くらいに思っていたら、

「あの、変なお願いなんですけど、好きな四ケタの数字を書いていただけませんか?」

「数字ですか?」

はい、暗証番号にします!誕生日意外に思いつかなくて……。」

 

え。

 

会場全体に広がる爆笑。羽田さんも、「いいんですか!?これ責任重大じゃないですか!」と笑いながら四ケタひねり出していた。

すごくいいアイディア(笑) そりゃ撮影NGだわ!

 

 

そして待ちに待った私の番。

ごくごく普通に、「はじめまして。」とあいさつをして、本にサインをしてもらい、「あの、深イイ話みて感動しました。快楽と苦しみは常に同居しているっていう言葉、共感というか…感動しました。」と伝えるのがせいいっぱい。気の利いたトークなんて無理。どうでもいい人にはべらべら喋れるのに、どうでもよくない人にはかたまっちゃう病、発症。

それでも羽田さんの受け答えは優しくて、「ほんとうですか?いやー、全然たいしたことないですよ。」と話した後、写真をとって、しっかりと両手で握手しながら「ありがとうございました。」と目を見ていってくれる。その距離20㎝(推定)。

「頑張ってください。応援してます。」と必死にこたえながら、ドラマ「やまとなでしこ」で桜子さんに合コンで落とされる男の気持ちを理解した。これか。

 

 

その日の夜、サインと写真を眺めながら余韻に浸っていたことは言うまでもない。

 

 

総じて、テレビで見るように面白い方ではあるものの、それ以上に真摯で、哲学的で、サービス精神もあり、そしてただただ「いい小説を世に出したい」という思いの強い方だなということが伝わってきた。

やはり直接話を聴けるのは良い。話すテンポ、言葉の選び方、話の組み立て方、発している空気も編集なしで全部感じ取れる。

最高の時間だった。

 
次はぜひ、フ○イデーで。
 

 

後記:

実は、この記事をブログに載せるか迷った。私はトークショーの内容を録音したわけでもないし(録音禁止)、メモしたわけでもない。全て記憶に頼って書いている。ダンベルを買った話や最新の腹筋トレーニングを実演したことなど、省いた部分もある。たとえ商業目的でなくても、そういう「完全でない情報」が人の目にさらされるのは、羽田さんにとってあまり歓迎できないことかもしれない、と思ったからだ。

でも、一ファンがイベントに参加した思い出を記していることに気分を害すような人ではないだろう、と判断して載せることにした。ご本人の目に触れる可能性は低いが、もし関係者の方ご覧になったら、こういった逡巡があったことをご理解いただきたい。

 

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