アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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2016年02月

ベッドの中からこんばんは、吉原由梨です。

やっちまいました。


後悔先にたたずとはこのことで、
激しい自責の念と苦痛に苛まれてます。

喉の腫れと激痛、そして熱。

扁桃腺炎には苦い思い出があるので、朝イチで抗生剤服薬。
うがい薬でうがいしたら、針山飲み込んだのかよってくらいの衝撃で脊椎反射の速さで吐き出しました。
今日一日、夕方までひたすら安静……。


とりあえず、なんか食べないと死ぬしどうせなら喉に良いもの摂りたいし明日極寒とかいうからひきこもりに徹するために
フラフラでかけて薬局とスーパーで大人買いしてきました。


のど飴、1番高い喉スプレー、のどヌール濡れマスク、じゃがビー(関係ない)、レトルトお粥に肉、魚、野菜、果物やまほど、ハチミツ。
500円ごえの苺パックを迷いなくカゴに放りこみ、レモンも皮ごととりたいからアメリカ産の4倍する国産。


以下、心の声。
理性「そんなに買って家計に響くんじゃないの?」
「うるさい、こういうときのために日頃働いて節約してんの」


理性「てゆうか、そんなひたすら安静にしてて締め切りヤバい原稿とかないの?」
「うるさい、ちょっとくらい寝込んでも大丈夫なように量調整してるし、そのためにいつも前倒しで仕事してるんでしょ。てか頭使うと熱上がるけん黙ってて」

自分の中の理性的な何かを完全に追い出して、一万円分の散財。


あ、家にいる間と心の声で会話してる間は気づかなかったんですが、レジの人としゃべった瞬間咳止まらなくなったんで、咳も症状みたいです。
昨日のジモコロさんの記事じゃないですが一人ってこわいですね。そーですね。



いま、我が家には果物が、りんご、レモン、いちご、ポンカン、バナナの5種類あります。
健康オタクが風邪をひくとこうなるよという典型例です。
(健康オタクのくせに風邪ひくなよというツッコミはご容赦ください……体調を崩しやすいから健康オタクなんです)


理性「そんなに果糖とって、中性脂肪高くなるよ?」
「うるせーそんなの風邪治ったらすぐ下げちゃるわっ」


ということで、冬眠に戻ります。
皆様もくれぐれもお気をつけください。


あ、万一仕事関係でご迷惑かけてる方いらしたらご一報ください……。


仕事やバレンタインでバタバタしていたら、気がつけば国立大学2次試験まであと数日!

うわー受験生、いま最後の頑張り時だな。
てか私立はもう合格発表出てるとこもあるよね。

と、自分の時を思い出しながらいろいろ考えていた。

受験生に何か言えるとしたら、
「最後の最後まで気持ちの糸を緩めないで。」
これに尽きると思う。

実力不足でダメだったなら、まぁ仕方ない。
でも気持ちの糸が緩んで詰めが甘くなるのは、後から振り返ってどうだろう?
「あのとき本気出してなかっただけだし」みたいなカッコ悪い言い訳にしかならないんじゃないかと思う。


こんな風に思うのは、ほかでもない私自身が、2次試験前に気持ちの糸を緩めてしまいそうになったからだ。
いや、緩めてしまいそう、じゃないな、緩めました。

あ、もし今これを受験生が読んでたら、勉強に戻ってください。受験を乗り切る秘訣みたいなことは書いてありません。多分。


●第二志望、第三志望に合格してちょっと舞いあがった2月上旬


国立の受験勉強で手一杯だった私は、私立は全部センター利用受験にした。
1校は、センター試験+内申+面接
1校は、センター試験+小論文

どっちも東京の大学だったので、面接試験と小論文試験のために上京した。
面接試験で、昨年安保問題で活躍されていた憲法学者の先生にあたって、「法とは何か」みたいな問答で詰められ、山場を越えたあたりで号泣するという苦い思い出もできたけれど、今となっては笑い話だ。
(先生も泣いている私を前に、「こんな若い娘泣かせるなんて、よっぽどいい男か悪い男かどっちかだなぁ!」と笑ってらしたw)

そんなことがありつつも2校とも合格でき、面接で号泣した方の大学に入学金を入れてもらったので、ひとまず春からの進路が確保できた。

やった……。春から大学生決定だ!東京だ!

と思ったら、気が抜けた。
というより、ちょっと浮かれた。
まだ本命の国立2次がまってるのに。


浮かれ感は、思春期の女の子らしい形であらわれた。
同じ塾で仲良しだった他校の男子と、なんだか良い感じになってしまったのだ。
彼は第一志望の私立大学に合格を決めて、心から晴れ晴れしていた。うん、彼が舞い上がるのはしょうがない。
でも私は本命が残ってる。

それなのに、
自習室を抜け出して河原でくっついておやつを食べたり、えんえんと東京ライフについて語ったり、微妙な「友達以上だけど名前のつかない関係」のドキドキ感に浮かれていた。

当然、勉強はテキトーになる。


●気合いを入れ直すキッカケになった、ある先生のひとこと

そんな状態の頃、それでもひとかけらは理性が残っていて、学校に勉強しに行った。
登校の義務はもう無かったのだけど、先生にいろいろ添削してもらえるし、質問もできるし、何より空き教室で静かに勉強するのが好きだった。

数日ぶりの構内を歩いていると、もう定年退職して用務員に転身した先生にバッタリあった。

「吉原さん、○○大と○○大、受かったんだってね」
「はい」
「いくの?」
「えーっと、○○大に入学金入れました」
「そう……。でも、勿体無いよ。

……浮ついていた頭をガツーンと殴られた気がした。

勿体無い。
この一言には物凄いパワーがあった。
そっか、そんなに買ってくれてるのか。

その言葉を噛み締めてるうちに、いろいろな思いが湧いてきた。
「私がこの一年の受験勉強の間、目指してたところはどこ?」
「この数週間の手抜きで本命に落ちたら、一生後悔するよね」
「勿体無い、って言ってもらえるほどの実力があるか分からないけど、あると信じてもっと上を目指そう」
そして1番私を強く突き動かしたモチベーションが、これ。
「模試で合格圏内にいたのに落ちたら、『吉原は私立に受かって気が抜けて落ちた』って職員室中で言われる。それは死んでも嫌だ。」

なんてヨコシマな……!醜い……!

でもいいのだ、それで気合が入り直るなら。


その後、良い感じになった彼と話し合った。
「なんかさ、うちらさ、浮かれてたよね」
「うん、浮かれてた。お前、こんなことしてる場合じゃねーよ。とりあえず絶対受かれ、国立!」
「うん、私、いくよ」

乙女心にフタ、完了。


最後は意地

それからの数週間は、実はあまり鮮明には覚えていない。
淡々と学校にいって、先生や友達と青本やったり、苦手分野の最終確認したりしてたんだと思う。
とにかく、第二志望校に受かったせいで本命に落ちたとは言われたくない一心で粘っていた気がする。歪んでるけど、受験勉強も終盤になるとモチベーションを保つのが一苦労だ。もはや気合入るならなんでもよかった。


2次試験当日は吐いたりなんだりパプニングもあったけど、なんとか乗り切った。

合格発表当日も、後期試験のために学校に勉強しにいった。家で郵便待ってるのも落ち着かないし……。
午後、帰りの駅から自宅マンションに向かって歩いてたら、なんかマンションの方向から叫んでる声が聞こえた。
「???」
と思ってそっちを見ると、

うちの母が叫んでた。「ゆーり〜〜!」
なんか手にピラピラ白いの持ってる。

通ったんだ!!!(でもお母さん、先にあけて落ちてたらどうするつもりだったの?)
ダッシュで帰って合格通知を隅から隅まで読んで、合格を確認して、喜びながらちょっと泣いた。



地方の平凡な女子高校生の受験物語。

傍目には淡々と勉強してスルッと合格したように見えたかもしれないけど、
本人の中では、気の緩みとか浮つきとか怠け心とか、そういうものとの闘いだった。

最後の最後、大事なところで浮ついた私を引き戻してくれた先生の言葉には、今でも感謝している。

適度な緊張感とモチベーションの維持。受験に限らず、長いスパンで頑張らなきゃいけないことを抱えているときは、いつもそれが課題になる。
人間(私だけ?)、最後の最後で気が緩みそうになるけど、結果はどうあれ後悔しないためには、“詰め”が肝心だ。
モチベーションの中身は、ヨコシマでもいいと思う。

あと、適度な休養も忘れずに。

がんばれ受験生!




夕方、地元の友達から
「出た!朝の6時59分!2956gの女の子で、名前は○○ 帰ってきたら会おうね〜!」
とLINEのメッセージがきた。

「『出た!』ってww」と内心突っ込みつつ、
いっしょに届いた写真(彼女と産まれたばかりの姫)をみて、なんだかじんわり心が熱くなった。

1月末が予定日、と年末に聞いていたので、先週末辺りから実はソワソワしていたのだ。
そろそろかな、大丈夫かな、あの147センチの友人の体からもう一人出てくるって冷静に考えたらすごいな…なんて思いながら。

そんなふうに待ちに待っていた報告だったので、しみじみ嬉しかったし、ホッとした。

        ※

「生まれました」の報告には、単なるお知らせや幸せのお裾分け以上に“静かに見守ってくれている人達への優しさ”の意味もあると思う。

25歳くらいまでの私の周りには、同世代の出産経験者がほとんどいなかった。何も分かっていない私は、友達が出産予定日を過ぎたあたりになると「生まれた?」とサクッと聞いていた。
今思うと、当時の自分の無邪気さが恐ろしい。
そんなこと今じゃとてもじゃないけど聞けない。

周りに妊娠・出産経験者が増えてくると、少しずつ知識が増える。

私の周囲はまだまだ高齢出産の年齢ではない。
それでも、妊娠はしたものの安定期に入る前に悲しいことに流産してしまう人、切迫早産の危険で入院する人、無事に生まれても赤ちゃんが病気で何ヶ月も入院すること、難産で母体に負担がかかりすぎてお母さんが入院すること、どれも決して珍しくないんだと、この何年かでよく分かった。

「生まれました。母子ともに健康です。」
この言葉にはものすごい奇跡が詰まってると。


だから、そろそろ予定日過ぎたなと思っても、周りはひたすら静かに待つしかない。何も知らなかった頃みたいに「生まれた?」なんて口が裂けても聞けない。報告が来るまで聞かないのは大人の常識だ。

本人からの一報は、そんな周りのワクワクと心配と焦れったさを一気に解決してくれる。
出産でぐったりしてるだろうに知らせてくれることに、“優しさ”を感じるのだ。

LINEやメールで個別に報告するのは、産後の体ではごく親しい数人が限度なのかな?と思う。
その点Facebookは一気にお知らせできるから便利だ。
「Facebookが結婚・出産報告ツールになってて見る気がしない」という声をよく聞くし、たしかに知らない人の報告がタイムラインに流れてきても、正直なところ私もあまりピンとこない。
でも友人・知人であれば、「あ~あの子、妊娠したって言ってたな。元気に出産したんだよかった!」と眺めてる人も多いんじゃないかと思う。
そう思えば、タイムラインの出産報告もほっこり受け止められないだろうか?


都内ならとんで会いに行きたいくらい嬉しい。
次の帰省が楽しみ!









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