アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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2016年04月

発端はめちゃくちゃしょうもないことだけど、「えっ?」と思うことがあった。
なぜか私が反射的に謝ってしまって、よくよく考えたら私が謝るのはおかしくない? とふつふつと疑問とイラッと感がわいてくる。

ここでどうするか

1 ぐっと飲み込む。すなわちスルーする。
2 「おかしいよね」と相手に伝える。


多分、世渡り上手な人は1を選ぶと思います。波風たたないし、まぁとりあえずこれ以上空気悪くならない。
でも私は2を選んでしまった。
バカめ。バカ正直の世渡り下手。

2を選んだのは、言わなきゃ気持ちがおさまらないとかそういうことではなく、言えばわかってくれると思ったから。

言ってもわからないと思う人、どうでもいい人なら気力をさくだけアホらしいので、笑顔で無言でスルーします。つまり、迷わず1。

でも言えばわかってくれると思う人、関係を大事にしたいと思う相手には、小さい引っかかりを残したくないし同じようなことを繰り返したくないから、言うべきことは言う。2を選ぶ。
あ、もちろん罵詈雑言とかじゃなく、できるだけ淡々と。
それでムカつかれたり、「こいつめんどくせーもう知らねー」と思われたりしたら最悪だけど。めちゃくちゃヘコむけど。


ときどき私は性善説に立ち過ぎるのかなと思うことがあります。
でも、少数の「信じられる人」は信じたいなと、いまだにそこから離れられずにいます。
今までそれで何回か裏切られましたけどねー。ははは。


重い女です、ええ。
軽くなりたいね!フワフワと!無理だけど!


綺麗なお姉さんは好きですか?私は大好きです!!!!

中高生の頃から、美女に目がありません。みんなが学校でイケメンを探し、家に帰って「8時だJ」を見ていた時代、私は学校で、街なかで、美女探しに余念がありませんでした。
とはいえ、私は異性愛者なので、恋愛対象として美女を探してたわけではなくて、多分憧れの対象にしたいとか、お手本が欲しいとか、あとは単純に美しいものを見ていると幸せな気持ちになるからだったんだろうと思います。

そのせいなのか偶然なのか、気の合う友人にも可愛い子が多く(私が吸い寄せられているのだろうか……)、私の結婚式では新郎友人が「新婦友人が全員可愛い」とざわついていたらしいです。
ふふふ。そうでしょうそうでしょう。高砂から見てても幸せよ。自分が褒められるより嬉しい。
(でもちょっとは花嫁もほめてちょうだい。)

話が逸れましたが、美女好きは今でも変わっていなくて、街を歩いていてイケメンは認識しないのに、美人には目ざとく気づきます。
さすがに中高生の頃とは少し着眼点が変わってきていて、元々の顔の造作だけじゃなく、メイクの仕方とか、ヘアスタイル、服のコーディネートなんかで、自分を良く見せる方法を知ってるなぁと思わせられる人に目を奪われます。(男性へ。女性はヘアメイクで、欠点をカバーして良い所を強調することができるんです。)

あと華やかさのなかに「品」があるなぁと感じる人。
この「品」というのは正体不明な概念で、○○だから品がある、という定義がどれだけ考えてもバシッと思いつかない。
俳優の堺雅人さんも、大河ドラマ『篤姫』で将軍家定を演じる際に監督から「いきいきと、でも上品に」と指示されたそうで、品とはなんぞやと延々と悩んだんだそう。当時女性誌で連載していたエッセイが書籍化され、その中で3回に渡って「品」について書かれています。1回2000字と少なく見積もっても、6000字……結構考えてますよね。身分制度や能にまで思いをいたして熟考されたようですが、それでも堺さん、はっきりとした結論は出ていないようでした。

私が好む「品」も、スノッブさとかすました感じではなく、もっとそこはかとなく漂うような、滲み出るようなものです。
その由来はなんなんだろう、育ちの良さだろうか、言葉遣いだろうか、装いだろうかといろいろ考えたのですが、別に両家の子女でなくても品のある人はたくさんいるし、下ネタをがんがん言ってても品のある人もいる。逆に、装いだけは上品でも、漂う空気がはすっぱな人もたくさん見かけます。

結局のところ、私が感じる品の良さの発生源は、「良識」や「気立ての良さ」なのかなと最近は思うにいたりました。人間性から滲み出るもの、といいましょうか……。
たとえば、浮かんだ言葉をフリーパスで口に出すんじゃなくて、「これを言ったら相手がどう思うか」を0.5秒考える行為、仕事においてもプライベートにおいても出るところと引くところをわきまえている賢さ、よく知らない相手のことを一度は好意的に見てみようとする姿勢、人の発言をハナから拒絶しない素直さ、親切には親切で応えようとする真っ当な感覚……そういう諸々に現れる「良識」「気立てのよさ」が空気として漂って、顔立ちにも影響するのでは、と思っています。
よく言いますよね、「ハタチの顔は親からの贈り物。28の顔は本人の功績」って。もう私28はとっくに過ぎてしまいましたが、この言葉って当たってるなと思います。生まれ持った顔の造作は変えられなくても、表情とか目線とか、もうほんとちょっとしたところに出るんですよ、人間性が。

というわけで私を惹きつけてやまない美女は、見た目華やかで良識があって気立ての良い女性、というのが2016年4月時点の暫定基準です。
面白ければさらに最高。

いい人いたら紹介してください。



ここまで延々と美女について好き放題書いてきました。「あんたの趣味なんてしらないよ」と思わず、いや思っても、読んで下さってありがとうございます。

さて、そんなわけで美女が好きな私にはたまらないイベントが表参道ヒルズで開催中です。
「蜷川実花写真展FASHION EXCLUSIVE」蜷川実花さんのご活躍はメディアを通して知ってはいましたが、映画や写真展はみたことがなく、これはみたいぞー!と行ってきました。image

蜷川実花さんらしい華やかな色彩の世界がバーンと広がります。人気アーティストやモデル、女優や俳優という豪華な面々を撮った力作が、大きなパネルで飾られると、迫力と鮮やかさに圧倒される。
会場をぐるりと回って、蜷川さんはやっぱり赤の美しさを引き出す腕が超一流なのだなぁと思わせられました。他のカラフルな色も、淡い色ももちろん良いのですが、赤の持つ引力が半端じゃなかったです。
そしてパネルにはとにかく美女、美女、美女! 恍惚の時間でした。私がとくに見とれたのは、安室奈美恵さんを撮った1枚(こちらはこの写真展の中では少しシックな部類)。クールで、上質な女、といった安室さんの一面を引き出しているように感じました。
あと一枚は、柴崎コウさん。これは、赤が使われた一枚です。ミステリアスな表情の柴崎さんと、黒と赤とのコントラストが美しい……! もうはっきり言って、超大作の映画の予告編で一番長く流れるメイン画像、というくらいのインパクトと完成度だと思います。

私のイチオシ(2枚あるけど)はこの2つ!
GW中開催しているので、ふらっと見に行ってみてはいかがでしょうか〜? 
そこまで広いスペースではないので、混んでてゆっくり見ても1時間あれば十分かと。
推し美女、推しファッションにみとれる休日もなかなか良いのでは。

お気に入りをぜひお聞かせください。
あ、あと皆さんの「品」の基準もきいてみたいです。


ではでは☆ 

熊本、大分の状況が気がかり。
どちらの県も家族旅行で何回も行ったし、中学・高校は福岡だったので熊本に進学したり転勤したりした友達が沢山いました。
幸いにもいまは熊本には知り合いはおらず、避難生活を余儀なくされてる人はいませんが、友達の友達とか、親戚とか、たくさんいるんだろうなぁとニュースを見るたびに思います。距離的には離れてるのに、震災がすごく近いものに思える。

そんなわけでなんとなく落ち着かなくて、今週はやけにガツガツ働いています。
福岡の人たちはSNSを活用して民間で物資を集めて、被災地に自力で運び込んでいるそうです。却って被災地の迷惑にならないよう、受け入れ先をきちんと確保しながら。
そんな様子をみていると、「何を私は東京でぬくぬくと……」と思ってしまうんですが、私が落ち込んだり何かを自粛しても誰も救われないので、開き直ってフツーに過ごしてます。
いつもよりちょっとガツガツ働いて、そのぶん寄付したほうが現実的だなと。

普段、ボランティア活動もしないし、募金箱にもあまり縁の無い私ですが、今回ばかりは義援金を送りました。といっても、サエコさんとは桁が2つ違いますけどね……。
やっぱり被災地との精神的な距離って行動に直結するんだなと、自分を通してしみじみ思います。(東日本大震災のときはもっと後になってからだった)

はやく余震が落ち着いて、日常に向けて復興が進みますように。


ちなみにこちらで義援金送りました。金融機関もたくさん対応しています。
日本赤十字社




読みました。
電子書籍の感想を書く2行目にこんなことを書くのもどうかと思うのですが、実は私、電子書籍が嫌いです。友達が持ってるものをちょっと触らせてもらったときに、どうにも本を読んでる感じがしなくて、フィルター越しの異世界を覗いているような感覚になるのがイヤでした。本を持った瞬間の重さで分厚さを実感する体験も出来ないし、あるページと別のページを瞬時に読み比べることも出来ないし、読書するときにまでブルーライトを見つめたくないし、とにかくアナログな私にはちょっと馴染まないなぁと。
で、今回チェコ好きさんが本を出されると知って「読みたい!」と思ったものの、「電子書籍か、まじか……。」と一度は諦めたんです。でもamazonで読める目次を眺めてると、もうどうしてもどうしても読みたくなって、電子書籍デビューを決めました。
ただし、「Kindle端末買ってもどうせ今後使わないだろう」ということで、スマホとパソコンに電子書籍用アプリをインストールして。

そんなわけで初の電子書籍だったこちら、とっても読みやすかったです。
チェコ好きさんは日ごろから、ブログで文学や芸術についての文章を書かれていて、それは決していわゆる「超とっつきやすい」分野ではないんですが、ご本人がしっかり噛み砕かれているからなのか、分かりやすいんですよね。
この『旅と日常へつなげる』の中にも、文学作品やその中で展開される学説・哲学が度々登場します。学校で授業が下手な先生が話したら多分居眠りする生徒続出でしょうが、チェコ好きさんの丁寧な解説やたとえ話、親しみやすい語り口のおかげで「ふんふん、なるほど」とガツガツ読めました。

◇パラレルワールドにリアルワールドが侵食される不気味さ

で、また私のカミングアウトをさせていただくと、実は私、インターネットがあんまり好きじゃないんです。

そう言いながらこの文章もネット上にあげているし、SNSはtwitterとfacebookとLINEを使っているし、何よりインターネット上に載る文章を書く仕事をしています。そんな人間が「インターネット好きじゃない」って、ちょっと由々しき事態なのかしらとあまり口に出来なかったのですが、チェコ好きさんがこの本の中で『実は今でも、本音を言うと、「インターネット」が嫌いなんです。』と書かれているのを見て、「いたー!ここにもいたー!」となんだか心強くなり、言ってみることにしました。

とは言っても、インターネットの恩恵を十分にうけていることは自覚していますし、もしインターネットが無かったら仕事も出来ないので、「インターネット無くなってしまえ」と思ってるわけではありません。
ただ、SNSに代表されるインターネットでつながった世界というのが、リアルな世界と同様、もしくはそれ以上のパワーを持ったパラレルワールドのように感じられることがあって、そういうとき、背筋がすっと凍るような感覚に襲われます。パラレルワールドがパラレルワールドであってくれる間はまだよくて、どんどんそっちの世界がリアルの世界を侵食しているような(いま私は物理的にはあり得ないことを言っていますが、人間の感覚の中での比率の問題です)、それが日を追うごとに静かに確実に進行しているような気がします。

実際、3~4年会ってなかった友人と再会したとき、「久しぶりー!もう何年ぶり?でも、Facebookで見てるからちょくちょく会ってるような気がするよ」という会話を私自身もしたことがあります。他愛もない、ほほえましい会話ですし、なかなか会えない友人の顔をネット上ででも見られるのは嬉しいです。
でも、この「気がする」って危険な感覚だと思いませんか。
会ったような「気がする」、実際行ってないけど行ったような「気がする」、実際に見てないけど見たような「気がする」……。便利です、確かに便利なんです。極端な話、1日中家にいて誰とも会わなくても、友達の顔を見た気がする、Twitterを開くことで誰かと会話した気がする、あちこち出かけた気がする。案外それで満足出来るかもしれない。そうすると、実際に「会いたい、話したい、見たい、出かけたい」と思う意欲や渇望感がどんどん減っていくんじゃないかと。
パラレルワールドの中の体験で満足してしまって、リアルな世界での行動意欲が減退するのは、本来リアルでの活動を円滑化・効率化するために存在するツールにリアルが乗っ取られているわけですから、手段の目的化というか、本末転倒です。

こういった日頃の思いがあって、チェコ好きさんが本書で『身体性を取り戻す』と書かれている部分に、深く共感しました。実際に体験すること、深く関与すること、「実感」というものを大切にすること。質感の無いパラレルワールドの住人にならないためには、欠かせないのではないでしょうか。


◇私なりのデジタルデトックス

この本の中で、チェコ好きさんは旅を契機に短期の『SNS断ち』をしています。
先ほども述べたとおり、私はWeb上で文章を書く仕事をしているので、なかなか完全なるデジタルデトックスは出来ません(たまにしたくなります。ディスプレイを見るのもいやで、鉛筆で書いた手書き原稿をFAXで送りたい……と妄想することもしばしば)。SNS断ちだけでも、と思っても、自分の記事の告知をしたい、いま注目されている記事をチェックしたい、とついつい毎日開いてしまう。
ただ、こういう仕事をしているから特に、自分の中でのバランスを意識して調整しないとパラレルワールドに片足つっこみそうになることがしばしばあります。
そういう疑似体験が実体験を駆逐してしまいそうなとき、私はとにかく人に会います。しかも、あんまりSNSを使わない人に。
ありがたいことに私の周りには「プライベートで使うインターネットは、LINEと、食べログと、一休と、路線検索と、amazon。Facebookは使うけど、たまに見るくらいだなぁ。」みたいな人が結構いて、彼・彼女らと一緒に時間を過ごしていると、ゆがんだ骨盤が矯正されていくように、片寄った重心が良い感じに戻っていくのを感じます。会話の内容も、私が仕事の話をすれば多少インターネットの話になりますが、それ以外の話をしていればパラレルワールドでの出来事は登場せず、ひたすらリアルの世界での話で盛り上がる。
この時間がいまの私にとってはデジタルデトックスです。時間にすればたいした長さではありませんが、精神的濃度が密なので、なかなかの効果を感じています。



電子書籍が嫌いだとかいいながら、結局読み終わった満足感はとても高かったです。印刷して綴じておきたいくらい(違法なのかな?)。 インターネット大好きだけどたまに疲れるよ、という人も、 私のようにインターネットあんまり好きじゃない人も、 これから日を追うごとにどんどん生活の中での勢力を増してくるであろうインターネットとの付き合い方の一つの提案として、ぜひオススメしたい1冊です。

高校時代からの友人が、新卒で就職した企業を退職しました。日本を代表する航空会社の1つで、CAをしていた彼女。
結婚し、第一子を妊娠して産休&育休、その間に第二子を妊娠したので再度産休&育休。育児をしながら、今後の仕事をどうしたもんかとずっと考えていたそう。
1年くらい前だったか久しぶりに会ったとき、
「やめるか続けるか迷ってるんだよねぇ」
と言うので
「んー、旦那さんの収入で十分やってけるだろうけど、せっかくだから一旦復帰してみたら?職種的に時短は無理にしても、なんか復帰後の制度ないの?」
と聞いたところ、驚きの答えが。
「ない。国内線か国際線かの希望すら出せない

えっ!?
いやいや、子育てしながら国際線って……鬼?

だって、CAさんって泊まり勤務がどうしても発生しますよね。国内線ならせいぜい一泊だから、旦那さんがその日だけ早く帰るとか、帰れるまでシッターさんを頼むとか、まぁやってやれないこともない気がする。
でも国際線だと……。下手したら4〜5日帰れない。もうそれって、旦那さんが専業主夫か、絶対6時に帰れるか、3世代同居でもしてない限りまず無理だと思うんです。
友人は夫婦とも実家が遠方だし、旦那さんも忙しい。

「グランドホステスに社内異動って言う道はないの?」
「うん、採用のラインがもう全然別だから、それも無理なの」

結局、彼女は退職を決めました。

専業主婦になって子供といっぱい一緒にいられる生活も幸せだと思う。でも、そこに彼女が選択する余地はなかった。
厳しい採用試験をパスして、訓練うけてやっと1人前になったのに、家庭人としての役割を全うしようとすると辞めざるを得ないシステムなんだなぁと、なんとも言えない気持ちになりました。しかも零細企業じゃなくて、名だたる大企業で。

会社のシステムの壁、預け先の不足、周囲の無理解、ママの復帰を阻むものは沢山ある。
政府も、企業も、男性も、本気で女性に「産め、そして働け」というなら、根本から意識・制度改革してくれないとこりゃ無理だよ……と身近なところでしみじみ感じた今日この頃です。


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