アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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32になって変わったこと。
下着の選び方。
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盛りたかった頃
その昔20代の頃は、小ぶりな胸をなんとか形よくボリューミーに見せようと、がっつりパッドが入っててワイヤーがしっかり入ってるブラジャーを選んでた。「盛る」ってやつですね。
やっぱり胸は豊かなほうが、モテるんじゃないか……という女ゴコロの結果です。
パンツスタイルのときはお尻を形よく見せようと、ガードルも履いてました。


あれから10年。下着選びの基準は。
パッドは入っててもなくてもどっちでもいい。
ワイヤーはいらない、もしワイヤー入りならあばらに食い込むようなようなゴツいんじゃなくて、柔らかいもの。

つけ心地がやさしいもの。

そして何より、デザインがオンナっぽくて色っぽいもの。
レース1枚で仕上げたようなブラジャーなんて最高。
盛る機能は多分1ミリもないけど、最低限、バストが揺れてクーパー筋が損傷するのを防いでくれればそれでいい。私は肌が白いので、濃い色が肌に映えるらしく、最近はシックネイビーとか、ローズに惹かれます。(薄着の季節になったらどうしよう。透けるよね。そのとき考えるか)

ちなみにガードルは家に1枚もありません。
かわりにガーターベルトがやって来ました。


・なんで変わったのかなぁと考えてみ
1つは、結婚したから。 
胸を盛って、ガードルでくびれを作って、いつ出会うかわからない素敵な異性のために備えておく必要がひとまず無くなったから、だと思う。

もう1つは、「ボディラインが崩れたら下着に頼ればいい、なんて思うなよっていう自分への戒めです。
「背中の肉も集められるブラ!」「お腹を凹ませる胸下からのガードル!」優秀そうな補正下着が巷にはたくさんありますが、
そんなものに頼らず、ダイエットしろ、筋トレしろ、緊張感をもって過ごせ。せっかくココ・シャネルのおかげでコルセットから解放されたのに、なぜ自らあんなボディスーツで体を締め付けるんだー! 
華奢で繊細で頼りない下着ではごまかしがきかないから、カラダを整えるモチベーション……というか危機感を煽ってくれる。


最後に、女である自覚をいつまでも無くさないため。
ひとまずパートナー探しから解放されると、すっかり安心しちゃって、下手すればオバサン路線まっしぐら。所帯染み放題。……おそろしい。
リラックスできる関係は最高だけど、ちゃんと男と女でいたい。女を捨ててはダメ。
綺麗な下着を手にとって眺めるたびに、そして身につけるたびに、自分の中の女スイッチがオンになる。
ベージュのでっかいスポブラ着けてるときと、繊細なレースのブラをつけてるときとじゃ、自然に出る表情もきっと違うはず。

「最近、女成分減ってきてる気がする……」そんなときは、まずは一組、眺めてるだけで幸せな繊細で美しい下着を揃えてみる。これ、わりと効きます。

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嵐が過ぎたら、秋がくる。

昨夜は神宮外苑花火をみて、新さんまや秋茄子、桃を食べた。なんだか夏と秋の交替の儀式みたいだと思った。

季節が夏から秋へ移る9月は、ちょっと特別な月だ。誕生日を迎えるから、そしてなんとなく毎年心の断捨離をしているような気がするから。
暑さと高気圧で思考能力がにぶって、テンションにまかせてあれやこれやと楽しもうとする夏。夜がやたら楽しい夏。「夏は夜」と書き記した清少納言と私はきっと気が合う。夏の終りにはなんとなく人生がゆるんで、ふくれてる。
誕生日を迎えて少しずつ風が涼しくなってくると、そんなふくれた日常を静かに見つめるようになる。「これは夏と一緒にさよなら」「これには出会えてよかった。ずっとよろしくね」1つ歳をとった自分にとっても大切か、ほんとに好きか、意識的にも無意識的にもひとつひとつやんわりと確かめていく。

そうしないと、詰め込みすぎたクローゼットや押し入れみたいに、風が通らなくなって大事なものがカビちゃうから。



今年の仲秋の名月は、誕生日の3日後らしい。木曜日。平日か。
静かにお月見でもしよう。さっき清少納言と気が合いそうだと書いたけど、ほんとうは私は「をかし」より「あはれ」が心にしみ入る。

その頃も、いま大好きと思っている対象を、大好きと思ってるのかな。
月がきれいだね、って32歳なりたての自分に言ってあげられるかなぁ。


いまは嵐の前触れなのか、私の心も落ち着かないよ。


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MERYの記事をきっかけに、女性が食事の取り分けをするべき云々が大炎上してます。最近その手の話題にネット社会は敏感ですよね。フェミニズムとか、男尊女卑とか。

といっても私はTwitterで見てるだけなので、ノイジーマイノリティが目立ってるだけで、日本社会全体の風潮というのはまだネットで見てるほどにはこのテーマについて熱くないんだろうなぁとも思っています。実際、職場の食事会で当たり前のようにお酌や取り分けをしている女性は多いし、地域によっての違いもありますし。
ただ、「現状こうである」というのと「こうあるべき」は違うので、女の子向けキュレーションメディアが「こうあるべき」と旧態依然としたスタイルを推しちゃったのは、そりゃ反感買うだろうなぁと眺めています。

それよりも、すでにBLOGOSなどでも指摘されていますが、過去にMERYでは「サラダ取り分けない系女子」という内容の記事を載せていて、それが今回の記事とはほぼ反対の趣旨なんですね。そこのメディアとしての一貫性はどうなんだろう、とそっちが気になります。

MERYはキュレーションメディアで、山ほどいるキュレーターさんがそれぞれ書いてくる原稿を編集部がチェック&手直しして公開してるんだろうなとフローが予想できるんですが、そういうフローだと、そりゃ書く人が違えばお互いに矛盾した記事がうまれると思います。そこを、編集部は調整しないんだろうか……というのが疑問で。
たとえば、エッセイをたくさん載せているメディアなら、それぞれの書き手の言うことが矛盾してても読み手はあまり違和感ないですよね? だって、エッセイだから。書き手の主観が押し出されてていい。
でも、あくまでも私の個人的な印象ですがMERYは「情報」としての側面が強いので、読み手が「どっちやねん!」て言いたくなる今回みたいな事象は、メディアのイメージとか、信頼性にすごく傷がつくんじゃないかと勝手に想像しています。せっかく、知名度も高いし、紙媒体も出たし、ちょっと無双感漂ってたのに。

運営や編集部の方にきいてみたい。
「キュレーションメディアだから、それぞれの書き手のまとめたことを、うちが再度まとめてるだけ。だから同じテーマについてあらゆる結論の記事があって良い」
という方針なのか、
「そりゃ一貫性を保てるようチェックしたいけど、マンパワーが足りないよ…」
なのか、
「いつもチェックしてるんだけど、今回はうっかり」
なのか、
まさかの
「炎上キター! PVあがればなんでもよし! ガンガン矛盾させよう!」
なのか。(最後のはさすがに無いと信じてますが)


ちなみに私は、取り分けが上手にできない(微妙にテーブルにこぼす)、ビールを注げば半分泡になる等、取り分けの適性が限りなく低いのでおまかせしてしまうタイプです。こんなの↓とかとくに難易度高いよ!
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暑すぎる東京を抜け出して、避暑地の代表・軽井沢へ行ってきました。
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(部屋からの眺め)

夏休みが急に決まって、出発4日前に行き先決定&ホテル予約。ハイシーズンなので、楽天トラベルでも「あとひと部屋」のオンパレード。やれやれ、部屋とれてよかった……。

結論からいうと、たった一泊2日だったけど、すごく満足度の高い旅行でした。風立ちぬのモデルにもなった老舗ホテル、木々が生い茂る小径をサイクリング、商店街食べ歩き、恒例の大人二人で迷子、地場野菜たっぷりのフレンチ、教会で心あらわれる、ホテルのバーで酔っ払う。あ、「テニスコートの出会い」で有名なテニスコートも見てきましたよ(ミーハー)
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(お野菜のオードブル)

数日間は、戦利品のパンやワイン、ピクルス、チーズを味わいながら、歩きすぎて足裏にできた水ぶくれの経過を見守ろうと思います。マジで痛い。

私の鬼門
さて、タイトルに書いた「遠くへ行けなくても」。
私は、ここ10年以上海外旅行をしていません。結婚してもうじき5年になりますが、夫との旅行は、結婚前も含めて1番遠出したのがお互いの実家(香川、山口)、あとは京都、名古屋、熱海、そして今回の軽井沢。
まわりがヨーロッパやらアメリカやらじゃんじゃんいくなか、近場ばっかりです。

これは、ひとえに私の事情によるもので。
私は移動が苦手です。苦手と言っても程度がありますけど、薬の力を借りても上に挙げた新幹線で1時間ちょっと、がなんとかギリギリ。。というレベル。乗り物に酔う、とかそういうんじゃなくて、言葉では表現し尽くせない恐怖と体の拒否反応が起こります。持病のせいです。

日常生活でも、実は移動が得意ではありません。山手線半周は、私にとって大冒険。体調が優れないときは、地下鉄二駅でも負担になります。

付き合いの長い近い友人はよく分かってくれてて、集まるときはさりげなく「由梨、この場所大丈夫?遠い?」とか、「行きやすいところでオススメある?」とか配慮してくれるので、ほんとうにありがたい。ありがたく甘えてます。

そんな私なので、私の出かける先はほんと限られてしまっていて。

飛行機必須の場所、却下。
電車で2時間〜3時間、却下。
駅から車で1時間、車酔いするから、却下。
え、飲み会日本橋? …やめとく。

こうして行き先は狭まっていく。

夫や友人にゴメンネ、という気持ちと、婚家にも実家にもほとんど顔を出してないだめ嫁だなぁという自覚が苦しい。義両親が理解してくれてるのが救いですが。仕事でも、出張や長距離移動をともなう取材は引き受けられません。

冗談抜きで、1番ほしいものはどこでもドアです。


そのことで気が狂いそうなほど悔しいとき、なんで私がこんな目にと思うとき、ちょっとそこまでの外出で異常に疲れてしまうとき、自分の運命を呪いたくなるけれど、もう10年たったいま、その中で私ができること、楽しめることを探すしかないよな……と静かに境遇を受け入れつつあります。もちろん、治りたいのが大前提だけど。

遠くにいけなくても、家の近くでも会える人はいるし、美味しいお店はたくさんある。
遠くに旅行にいければ、そりゃ楽しいし視野は広がるし異文化に触れられるんだろうけど、近くの旅行だって気分転換は十分できる。現に今回の軽井沢でも、19時半に予約してたレストランに徒歩で向かってたら信じられないくらいどっぷり暗くなって、「あぁ、そっか、夜って本来こんなに暗いんだ」と驚きました。東京の7時半なんて、煌々と明るいからすっかり忘れてた。他にも、ハイシーズンなのに17時や18時にシャッターおろしてしまう、商売っ気あるんだかないんだかわからない商店街を通りながら、「なんとなくここは、自然のリズムと一緒に過ごす土地なのかな」と思う場面もありました。朝涼しいうちに気持ちよく起きて、日中は活動して、日が暮れたら家庭に戻って休む。体内時計の狂った都会生活で忘れた感覚が、そこにはあるなと。 
些細な気づきでも、日常生活の感覚を一瞬リセットするには、意外と十分です。

インドやブラジルに行けば、そりゃ価値観のコペルニクス的転回があるかもしれない。でも、無理なんだから仕方ない。私は私の動ける範囲で価値観の硬直化を防いで、楽しんで、そのぶん本や映画で想像力をたくましくしよう、解像度をあげよう、というところに今は着地しています。アクセスがよく、情報も物も手に入りやすい都心に住んでいるのも、自分の特性を踏まえた対策の一つです。

あなたの鬼門は、なんですか
私にとっての鬼門が「移動」であるように、おそらく誰にでも鬼門はあって、「くっ…。これさえなければ…生きやすいのに!」っていうもどかしさを抱いているのでは、と思います。

よほど悟った人でない限り簡単に割り切ることは無理ですが、自分の手の届く範囲、できる範囲の中で、自分の「快」を得られる手段を増やしていくのが、最善の策ではないでしょうか。その過程で、多少周りの理解や協力を得るのは、べつに自己中でもなんでもないです。勉強が得意な人・不得手な人、運動が得意な人・不得手な人、いろいろな得手・不得手があるように、私の鬼門もあなたの鬼門もひとつの個性。それを「いやだ」とか「受け入れられない」という人とは、悲しいけれどご縁がなかったか、人間としての相性が悪かったか……。拘泥するより、理解してくれる人を大切にするほうが、結果的に幸せになれる気がします。


暑さで脳ミソがトケぎみで、まとまりが悪い感じですね。
つまり、無いものをねだる気持ちは人間として当然の心の動きだけれど、それよりも自分がもってるもの、持ち得る範囲で感じられる「快」をいっぱいコレクションしていきたいねって話です。

すごい当たり前のこといってるな。でも最近改めてそんなことを考えてます。
暑さ厳しい折、御自愛くださいませ!
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無理は禁物ーー分かっていたはずなのに、いつの間にかまた無理したようです。

ご無沙汰しております。

タイトルにあるように、6月はロクでもなく、7月は屍でした。どんどん具合を悪くして、ひたすら療養してました。てか、ほんと酷いタイトルだな……。


さかのぼること6月の上旬
あるきっかけで持病の自律神経発作を起こし、その場はなんとかしのいだものの、その後も無理に通常通り稼働しようとしたこと、神経をすり減らす出来事が多かったことで、どんどん体調が悪化してしまいました。

だましだましやるために薬が増え、頭の動きも日増しに鈍くなり、下旬には脳がショートしたかのように何を読んでも理解できず思考もままならない状態に。原稿を書くなんてとんでもなく、PCに向かうだけで「あぁまたこの鈍い頭で、ロクでもないものを書いてしまうんだ」と恐怖と緊張でがんじがらめになる日々。

主治医からも「いい加減、いったんちゃんと休まないとどんどん悪くなりますよ」とドクターストップがかかり、自分でもさすがにヤバいと思ったので、お仕事先ほぼ全てに7月の仕事をいったんストップさせて欲しいとお願いし、6月納期のものだけなんとか納品して療養生活に入りました。



7月。
お休みだーと思ったら、扁桃炎も起こしてしまい、高熱出るわ喉痛いわで泣きっ面に蜂。
楽しみにしていた予定もガンガンキャンセル(泣) なんとか友人の結婚式だけは気合いで出席したものの、やっぱりしんどかった……。それ以外、ほとんど近所しかでかけず、夫としか会わない生活。
あ、扁桃炎は治りました。心配してくださった方、ありがとうございます。

仕事を休んでるので時間がたっぷり出来たのですが、医師から「2∼3週間は、テレビとネットと読書、あわせて1日3時間まで」と指示されていたので、やることがない!
もうひたすら、食っちゃ寝、食っちゃ寝、のエンドレス。
「そんな昼も夜も眠れないでしょう」と思ってましたが、蓋を開けてみれば毎日泥のように眠ってました。案外疲れてたんですね……。

数週間たって、すこーしずつ頭も働くようになり、文章も簡単なものなら頭に入るようになりました。書くのも、こういう何が言いたいのかよくわからない日記程度なら書けるようになり、復調の兆しかな〜と思っています。

でも、特に原因の見当たらない微熱だけは続いてるんですよね。検査しても異常はなく……。うーん。ちょっと気持ち悪いししんどいですが、気長に体のバランスを整えていくしかなさそうです。
はやく屍生活から脱したい。



私は20代で体を壊して以来、自分の中での微調整を日々繰り返して生きてきました。多少の不調は慣れっこです。
でも、今回のはヤバかった。
こじらせて、越えてはいけない一線を越えそうでした。本来の仏教的な意味からは外れますが、一線を越えてしまった状態を自分の中で「彼岸」と呼んでいます。彼岸まで行っちゃうと、月単位の療養が必要になる、下手すると入院する、夫以外のサポートが必要になる。などなどシャレにならない事態が発生します。

だから、なんとしても此岸の領域でくい止めたいんですね。
今回のドクターストップも、自分が「休もう」と腹をくくったタイミングも、ギリギリだったと思います。もう一週間遅かったら、多分彼岸いってました。
改めて、自分は何かテーマを見つけるとノイローゼになるぐらい熱中してしまうことを自覚しましたし、ハイになってて気づかないけれど、それがすごく脳や神経に負担をかけてることもわかりました。
あと、ストレスにならない環境を作る大切さも。


私はフリーランスで仕事をしています。こうしてのんびり療養している間に、もしかしたら仕事がなくなるかもしれません。フリーランスには有休も病気休暇もありませんし、大抵は業務委託なので、休んだ後に変わらず仕事がいただけるかなんてなんの確約もないわけです。だから休むのはすごく怖い。
それでも、彼岸にいくよりはいい、と少し落ち着いてきた今、思います。

言い古されたことを言いますが、元気があればなんでもできます。逆に言えば、元気がないとにっちもさっちもいかないんです。

体が、脳が、悲鳴をあげたら(できればその一歩手前で)、こじらせる前に休んでほしい……と、声を大にして言いたい。けど、選挙演説にかき消されそうなのでブログに書いています。


6月はロクでもない、7月は屍、8月は……張り切る? いや、張り切ったらダメだ、また無理する。は、は、這う? あ、いいかも。屍よりは動きがある感じ。


暑い日が続きますが、みなさまご自愛くださいね。









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