アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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恋愛、結婚

映画「オーバー・フェンス」の公開が待ち遠しい。



待ち遠しくて待ち遠しくて待ちきれないので、原作「オーバー・フェンス」が収録されている短篇集「黄金の服」を読んだ。

感想を書きたいが、「オーバー・フェンス」について書くと映画のネタバレになってしまうので、タイトルにもなっている収録作品のひとつ「黄金の服」について。
黄金の服 (小学館文庫)
佐藤 泰志
小学館
2011-05-10



佐藤泰志「黄金の服」
この作品は、起承転結! はい拍手! という感じではなく、ある若者たちの人生の一部をブツっと切り取ったような、静かな作品だ。静かではあるけれど、短い物語の中にいろんなものが渦巻いている。

20代前半の彼らは、プールとバーで『泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って』そんな単調で、無目的にも思える日々を送っている。まだ思春期を引きずっているような混沌を抱えていたり、目標を追い続けるか諦めるか葛藤したり、若い時代特有の衝動と悩みを持て余していて、だからプールとバーで切実に泳いで切実に酒を飲む。

主人公の「僕」は、仲間の一人でアキという年下の女性が気にかかっている。多分、アキもまんざらではない。何度か寝たこともある。アキは一度結婚生活に失敗したせいなのか、精神安定剤と睡眠剤が手放せず、外に出ると体中が汚れている気がして、帰宅するなり全身を徹底的に洗わなくては気が済まない。しかしその姿を見てショックは受けても、カラッとした性格で知的で快活な彼女に、僕はどんどん惹かれていく。

が、唐突に僕は知ることになる。
アキにはフィアンセがいて、もう来月にでも新居へ越すと。
物語の中でもそれは唐突に書かれていて、読者によっては「えーなんでなんで?」と思うかもしれない。ちなみにその点についてのアキの心理描写は一切ない。が、私はアキの気持ちが分かった。分かったというのは傲慢だ、勝手に想像しただけだから。でも、「そりゃそうだよね」と思ったのだ。

アキと僕は気が合う。一緒にいれば楽しいし、お互いを異性として受け入れてもいる。でも、だめなのだ。僕とじゃだめなのだ。
アキが何か喋るとしたら、こう言う気がする。「あんたと私じゃだめなのよ。今みたいに、泳いで、酔っ払って、泳いで、酔っ払って、それだけでいいなら楽しいかもね。でも、人生そうもいかないでしょ。あんたと私じゃ、きっと共倒れよ」と。

アキが必要とする相手は、しっかりと現実的に人生を見据えていて、かつ彼女の事情を承知したうえで、彼女が1人内省の洞穴に入り込んでしまいそうになったときには力強く、でもそっと太陽のもとに連れ戻してくれる、そんな男だ。
僕じゃ、自分のことすらよく見えてない。アキの事情は承知していても心を痛めるばかりで自分までオタオタする。アキの病状が悪化したら、彼女に共鳴するあまり一緒に洞穴に入りかねない。それじゃダメなのだ。
優劣ではなくて、種類が違う。小説の中で、僕はアキのフィアンセを『地面にしっかり足をつけて生きている男特有の自信に満ちた声で名のった』と描写している。

現実にも、そういうカップルを見かけないだろうか。お互いのことが好きで好きで、相性は抜群なのだけれど、どこか地に足がついてなくて、二人の世界に閉じこもる。何年かはべったりした時間を楽しめるけど、現実に対応しなければいけない壁にぶつかったとき、二人してぐらついてダメになってしまう。もしくは、どちらかが「これじゃダメだ」と終わりを決める。
恋愛の仕方なんて自由だからそれはそれでいいが、アキが避けたかったのはこういうことなんじゃないか。

著者は、1990年に享年41歳で亡くなっている。答え合わせはできない。読み手がそれぞれアキの心情を読み解くのも面白いかもしれない。




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STORYS.JPに朽木誠一郎さんが投稿された、
良心は元カノの声をしていた
を拝読した。

ひきこまれて夢中で読んているうちに、昔、私が初めて「お付き合い」というものをした男の子を思い出した。
もちろん全部じゃない。でも、ちょっとだけ共通する部分があったから。

15歳の頃。
いまとなってはもう何が好きだったのか思い出せないけど、顔が嫌いじゃなくて、共通の話題があって、自分のことを好きと言ってくれて、一緒にいてドキドキできれば、思春期ならではの恋愛への憧れと正体不明の寂しさを持て余していた私には、つき合う理由としては十分だった。

その人は音楽が好きで、作曲してシンセサイザーだかキーボードだかで打ち込んだ曲を聴かせてくれたけど、正直それが上手いのか、よく分からなかった。
でも、一緒にいる時間は楽しくて、学校の帰り道に河原で延々しゃべったり、映画を観たり、カラオケにいったり、いかにも高校生っぽいお付き合いを楽しんでたと思う。あ、クリスマスにはマフラーも編んだっけ。

ちゃんと好きだった。その証拠に、付き合ってることが教師にバレて進路指導室に私だけ呼び出されたとき、
「あなた、これから進路を考えたら大切な3年間でしょう。男女交際してる場合じゃないわよ。どちらか選びなさい」
と言われて、号泣しながらも
「無理です。進路は妥協しません。手は抜きませんから、別れません」
と毅然と答えていた。
(今思えば若い…。そんなの、しおらしくしといてこっそり付き合っとけばいいのに)
多分、付き合い出して3ヶ月くらいの頃。最初はただの「恋愛への憧れ」だったのが、いつの間にか「唯一甘えられる場所」になってたんだと思う。
私は3人兄弟の1番上にうまれて、なんとなくずっと「しっかりしたお姉ちゃん」だった。親に甘えるのがとにかく下手で、友達に甘えるのも下手で、どこかいっつも孤独感を抱えてたから、彼氏という存在が出来て、甘える私を可愛がってくれる人がいる状況が、こんなにも楽なのかと幸せを感じてたのだ。もはや「この人じゃないと」っていう属人的な愛情じゃなくて、「甘える相手」という立ち位置で彼のことを必要としていたんだろう。

私もそんな具合だったが、彼の方はもっとエスカレートしていった。彼はちょっと複雑な家庭に育っていて、母親との関係がこんがらがっていた。隣にいると、「母に愛されたい、でも憎い。強がっていたい」と、小さい男の子と思春期の高校生の思いとが内側で強烈にせめぎ合ってるのがひしひしと伝わってくる。
そして彼は、私に母を求めた。
もはやこれは、彼の責任ではないといまでも思う。そう思ったから、私はできる限り受け止めた。自分自身も甘えたい子供なのに、彼を支えたいと思った。頑張った。二人だけの世界で彼の心を守ろうとした。
でも、やっぱりだんだんと湧き上がってくる違和感は拭えなかった。たかが15,16歳のガールフレンドに母を求められても困る、と私の中の理性が叫びだしたのだ。自分が甘えたいとかもうどうでもいい。

ある日、意を決して言った。「もう別れよう。無理だよ」
そのとき彼が泣きながら言ったセリフはずっと忘れていない。
「由梨ちゃんいなくなったら、俺、ひとりだよ」

猛烈に卑怯だと思った。そんなこと言われたら、去れないじゃないか。

結局去れなかった。もう、愛とか恋とか愛情とかでなく、単なる「情」だ
一度そうなると、それまで目をつぶっていた彼の欠点がものすごく私を苛立たせるようになる。
当時、私達が通っていた高校は地方ではそこそこの進学校だった。当然、進路のことも早くから考える。彼は、何も目標らしきものを口にしなかった。不言実行とか、そんなカッコいいもんじゃない。斜に構えて、逃げてるのだ。そのくせプライドだけは高い。
「勉強しか能がないなんてダサい」
「中途半端な大学にはいきたくない」
「俺は音楽って道もあるし」
100回きいた。


勉強しか能がないなんてダサい!? 勉強してから言ってよ。全然パッとしないくせに。
中途半端な大学はいやだ!? 今のあなたじゃ中途半端なとこにも行けないよ。
音楽の道がある!? それならデモテープ送るなりコンクール出るなり、現実的に動きなよ。いままで一度でも、ちゃんとプロに評価されたことあるの?
本気出して負けるのが怖いから、自分のプライドが傷つくのが怖いから、「本気じゃないし」ってカッコつけて逃げてるだけじゃない。

口を開けば罵倒の言葉が次々飛び出しそうで、いつも聞いてないふりをした。

私が男性に「尊敬できること、その人の道で努力すること、実力とそれに見合ったプライドがきちんとあること」を求めるようになったのは、きっとこの辺りが原体験なんだろう。


結局、彼と最終的にどんな別れ話をしてどうやって別れたか覚えていない。つらすぎて忘却の防衛本能が働いたんだろうか…。
でもなんとなく、最後は泥仕合だった気がする。別れたい女と別れたくない男。どんなにすがられても絶対に去ると決めた女と、すがりまくると決めた男。
無事に別れられても、手紙やらメールやら、下校途中やらで随分うっとおしい思いをした。もう嫌気しかなかった。

そんなすったもんだの末、なんとか日常を取り戻して勉強に部活に忙しく過ごしていたら、なんとなく彼に対する嫌悪感も薄れて「好きでも嫌いでもないどうでもいい人」になっていった。やれやれだ。もう彼は彼で勝手に元気にしててくれればいい、そう思った。
なのに、嫌なニュースほど耳に入るものだ。
私と泥仕合をしてすがりまくっていたあの頃、他の女の子とすでに何かが始まっていたらしい。正直にいって、死ねよと思った。他に女がいるなら私をさっさと解放してくれればよかったのに。
さらにそれではすまない。
担任との進路面接で、「俺も1年本気出せば東大受かりますかねー」といい出したらしい。(もちろん瞬時に否定されたらしいが)
さっきの浮気の話より、さらに死ねよと思った。ふざけるな。努力するという努力を知らないあなたが、「1年本気出せば東大」だと? もはや不遜だ。プライドばっかり高くて、ほんとに何も変わってない。出せるもんなら出してみなよ、本気。そしたら私はあなたを2ミリくらい見直すよ。(当時すでにぼんやりと東大を目標に掲げていた私にとっては、自分の積み上げてる努力を愚弄された気分だった)

この2件で、彼はもはや人生で顔も見たくない人になった。
もちろん、今どこで誰と何をしてるか全く知らないし、興味もない。生死すらどうでもいい。


朽木さんの美しい文章から、比べものにならないほどのダメ男を思い出してしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだが(本当にごめんなさい)、元カノさんがクッションを殴りながらぶつけた言葉は、16歳の私の心の声とあまりに似ていて書かずにはいられなかった。
あのダメ男が朽木さんほどのひとかどの人物になっている可能性は、0ではない。世の中に絶対はない。

でも私は、限りなく0に近いと思っている。
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赤坂見附って知っていますか? 
東京以外の方はピンとこないかと思うので簡単に説明すると、東京メトロ(地下鉄)の駅名で、ビジネス街でもありますが、駅周辺はどちらかというと飲食店街、飲み屋街です。
歌舞伎町ほど巨大でも派手でもなく、渋谷ほど若くなく、六本木ほど猥雑でもなく、銀座ほどには高級でもなく。程々な大人感と色っぽさがありつつ気さくないい街です。
ランドマークは赤坂サカスのTBS、博報堂、ホテルニューオータニといったところでしょうか。

さて、タイトルで『酒と泪と男と女』的な恋愛物語を想像された方、ゴメンナサイ。そういうメロウなエントリではないんです。

ある女友達の恋の話。
彼女は才媛そのもの、整った顔立ちで、愛嬌もあり、男女ともに親しまれる人柄。あぁなんだか人生の表街道をいってるよなぁ……と会うたび思わされるなんともレベルの高い女性です。少し前に何人かで食事したとき、彼女の昔の恋の話になりました。
「あれ、あの時の彼氏と別れたのって、いつ頃だっけ?」
「夏頃、かな」
「え? じゃあ次の彼氏と付き合い始めたのは?」
「……夏頃(笑)」
あーーーーー、ね。みんな大人なのでそこら辺はニヤッと笑っておしまい。
そのときメンバーの一人がすかさず言いました。
○○ちゃんの恋は、赤坂見附だから

どゆこと??
(そのとき居たのは麻布十番。なんで突然赤坂見附がでてくるのか謎だった。)
数秒間みんなきょとーんとした後、合点がいって一気に爆笑。

赤坂見附駅を通る地下鉄は2線、銀座線と丸ノ内線です。
渋谷方面から東京や大手町、文京区方面に行く場合は、まず銀座線に乗って、赤坂見附駅で丸ノ内線に乗り換えます。
で、そのときの乗り換えが、ひとつのホームを挟んで両端に銀座線と丸ノ内線が走ってるので、とっても楽。ほとんど、ホームの向かい側で既に待ってる電車に乗るか、1分も待てばやってくる電車に乗ればいいだけ。

もうお分かりですよね。つまり、彼女の恋はいつも、ひとつの恋に終止符を打つときには次のお相手がすでに待っているか、少なくとも候補になりそうな人がいる、ってこと。それが、「○○ちゃんの恋は、赤坂見附だから」の意味です。
うまいこというなーと感心ました。

人によってはそれは不誠実だ、と思うかもしれませんが、まぁ恋愛なんて当事者にしか分からない事情があるし、実質もう関係が破たんしてて最後の泥仕合をしてるときに新しい人が現れた、という舞台裏もあります。形式的にはかぶってても、実質的にはかぶっていないというか。

いずれにせよ、
一方で恋愛の移り変わりを地下鉄の乗り換えにたとえてしまう友人の絶妙なセンスに脱帽し、他方でたとえられてしまった彼女の「赤坂見附っぷり」が羨ましいなぁと思ったのでした。
だってね、ニーズは途切れないほうがいいですよね。

GWに赤坂見附の街を歩いて、そんなことを思い出した今日この頃です。 


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わけあって、ここのところ自分の恋愛遍歴を思い返している。
とはいっても、私は決して「恋多き女」じゃないし、ましてや「モテ娘」でも「魔性の女」でもなかったのでそんな山ほど思い返すネタがあるわけじゃない。でも、なんかいちいち濃い。いや、濃いですめばまだ良くて、どっかしら変……。

その証拠に、結婚披露宴のスピーチを大学時代の友人3人に頼んだら、集まって内容を練ったとき、「ちょっと笑えるネタもいれたいよねー」とオモシロエピソードを大学入学時まで遡って考えてくれたらしいのだけど、出てくるネタがどれもこれも結婚披露宴で喋るネタにはまずいだろ、という代物ばかりだったらしい。結局、「ゆりは、元ヤクルトの古田敦也さんが大好きなのに、『野球って、バット振ったあと右と左どっちに走るんだっけ?』と言い出すボケボケなところもあります」とそつのない話にしてくれた。
後日、お礼を言ったら、「だって話せるエピソードほんとなくて!!!笑」と爆笑しながら非難轟々で、ほんと彼女たちの良識に感謝だわ…といまでも足を向けて寝られない。

**

恋愛なんて心のいっちばんやわらかい部分でするもので、いちばん無防備な自分が見えてしまうものだと思ってるので、もしかしたらみんなどっかしら変なエピソードばかりなのかもしれない。
(カッコいい恋愛だけしてる人なんて世の中どのくらいいるんだろう……?) 
それに一応私にも、ドラマみたいな感動的な体験とか、甘やかな思い出とか、心も体も引きちぎれるくらいつらい思いとか、王道(?)っぽい経験はある。でも、やっぱり、、どっかしら変。

これがなんでなのかがよく分からなくて、色々考えていたら、まず気づいたのは「私がおもしろエピソード作ってるんじゃなくて、殿方がつくってるんだ」。これ、責任転嫁だったらまずいと思って友達に確認しました(迷惑)。そしたら、「うん、そうだね(笑) なんか面白い人がどんどん寄ってくるよね」とのこと。やはり。
まぁでもそういう人を引き寄せてしまう私も、きっと変なんだと思うけど。

あともう一つ気づいたのが、私がこれまで恋愛したお相手は9割がた世にいう「草食系男子」。顔が猛烈に好みな肉食系男子に無性に惹かれたこともあるけれど、結局深く好きになって付き合うのは草食系男子が多かった。逆もしかりで、肉食系男子がデートに誘ってくれて何回かご飯食べたり映画を観たりしてみても、付き合うまではいたらないことがほとんど。
つまり私が好きになるのは、あんまり不器用過ぎると困るけどどこか「うぶさ」の残る男性で、同時に私に惹かれてくれる人もそういう男性だったので、恋愛シーンがどうにもこなれてない感じになる。
多分それが面白エピソードを量産してしまう最大の要因だ!ということに私の中ではなっています。

まぁリアルに変な人もいたんですけどね……ほんとに。(ヒマワリの花束をプレゼントしながら「二人の夏の始まりってことで」とナルシステイックに言われた時のゾワッと感は忘れられない。念のために断っておくと付き合ってもいなかった。)

でも、変なエピソードを量産してしまう自分の過去の恋愛を否定する気にはならなくて、相手の不器用さも自分のそれも含めて愛おしいと思っている。まぁそういう多少個性の強い相手を選んだの自分だし。

手練手管に長けたイケメンは「一夜の夢をありがとう」でよくて(贅沢言えば三夜くらいかな)、心があたたかくて○○にあふれてて○○家で○が低くてちょっと○○○な人が好き、っていう基本的なスタンスは、古田敦也さんを好きになった高校時代からずっと首尾一貫してるんだな好みって怖いなと思う今日この頃です。
(最初は伏字なしで書いてたんですが、自分の異性の好みを文字化して全世界にさらすって恥ずかしすぎるな、と思ってこうしましたスミマセン……)


ちなみに、誰も興味ないと思いますが、私の「結婚してほしい有名人」は、古田敦也さん→(大空位時代)→堺雅人さん→ふなっしー です。
ふなっしー、人じゃなくって妖精ですけどね。戸籍がないんで結婚できないんですけどね。





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「大きくなったらパパと結婚するの!」
円満な家庭の象徴のようなこのセリフを、私は一度も言ったことがありません。
思ったこともありません。
むしろ物心ついてから結婚するまでの約20年間、
「父親とは違うタイプの人と結婚しよう。」と心に決めていました。モラハラの連鎖をぶった切るために。

モラハラ夫である父のもとで育つ

私の父は、モラハラ夫でした。日常的な肉体的暴力は無いものの、激しい男尊女卑、母へのキツい物言いはあたりまえ。さらに一旦怒りのスイッチが入ったときの言葉の暴力は凄まじく、子供の目の前で手を上げることもありました。
私は小さい頃から感受性が強く、周りの大人の発する空気に敏感な子供だったため、いつもすぐに状況を察してしまい、母の様子を心配し、父の機嫌をうかがい、緊張しながら空気を取り持とうと明るく振る舞った記憶があります。

父は、どうしようもない人格破綻者だったわけではありません。 
仕事には人一倍情熱を傾け、子供には愛情を注いでくれました。
普段は超のつく倹約家でしたが教育にはお金を惜しまない人で、習い事は沢山させてもらったし、中学から受験して私立に通いました。バレエの舞台やミュージカル公演、アイススケートのショーなど、文化的な場所に連れて行ってくれた写真もたくさん残っています。大学受験のときには、第二志望の私立大にも入学金をいれてもらい、本命の国立の入試は「前日が雪で欠航になったらいけないから」と東京に前々日入り。4泊5日の旅でした。
良い思い出も、感謝している面もたくさんあります。

でも、夫としての父は、どうしても好きになれない。家の中で、誰かが我慢し、誰かが緊張して過ごすような家庭はまっぴらだ。

■夫婦間のモラハラは、子の恋愛観・結婚観に影響を与えるという説

大学生になって「夫婦間のモラハラを見て育った娘は、モラハラ夫を選んでしまう」という説を初めて知った時は恐怖で固まりました。「母親の『自分さえ我慢すれば』という考え方を、娘もまたしてしまう。」と。
また同様に、「モラハラを見て育った息子は、モラハラ夫になりやすい。」

モラハラの連鎖……それについて思い当たる節があったのです。
母の父、父の父、つまり私の二人の祖父は、両親の昔話を聞く限りでは、モラハラ夫でした。古い時代はどこの家庭もたいてい父親の立場が強いものですが、おそらくその範囲をこえた肉体的・精神的暴力があったようです。
……見事に、私の父も母もこの連鎖に巻き込まれてるじゃないか。メソッド通りじゃないか。

恐ろしい事実に気づいてしまい、自分はどうなるんだと憂いたのを、はっきりと覚えています。

そして、モラハラの連鎖について思い当たったことがもう一つ。
ある日、初めて父が、子供たちの前で母を激しく罵倒し、手を上げたとき。直後に母は私たち姉弟を連れて出かけて、話して聞かせました。「今日のことはね、びっくりしたと思うけど、お父さんが一方的に悪いんじゃないの。夫婦は長く暮らしていると喧嘩することもあって、そういうのを子供たちが(年齢的に)そろそろ知れたのは、良いことじゃないかと思うのよ。だから大丈夫。」と。
今にして思えば、そのときの母の心の中には、「まだ幼い子供たちの心に傷を作りたくない」という思いの他に、「モラハラの連鎖を断ち切りたい」という思いがあったように感じます。
だから、「これはモラハラ(当時はそんな言葉使いませんでしたが)じゃなくて、夫婦喧嘩なんだよ」と言い聞かせたんだと。

母には、自分がモラハラの連鎖に巻き込まれているという自覚がありました。
後々、聞いた話です。

■私の代で完全にぶった切るべく、慎重に相手を選ぶ。

母の願いでもあるモラハラ連鎖の断ち切り。
私の代で完全にぶった切ってやると、心に決めました。
私は見事に母の気質を受け継ぎ、実家では「自分が我慢して平和なら。」と思う娘に育ちました。
その自覚があるからこそ、自分が選んで作れる新しい家庭は、そこに属するメンバー全員が人格を尊重され、考えを自由に口に出来て、誰の顔色もうかがわずにリラックスして生きられる、そんな空間にしようと誓ったのです。
そしてそのためには、私のことを、アクセサリーでもなく、女中でもなく、性欲のはけ口でもなく、自尊心を保つための自分より劣った存在でもなく、人格をもった人間としてその人格と尊厳を認めてくれる人を伴侶にしようと、固く固く決心しました。

具体的に、どういう点に注意を払ったかを挙げておきます。

・彼の両親(とくに父親)をじっくり観察する
モラハラを見て育っていなければ、ひとつ安心です。

・実力以上の虚栄心をもっていないか
そういう男性は得てして社会で自意識ほどには認められず、その悔しさや憤りを家庭に持ち込みます。

・自信満々に自分の価値観ばかりを語らないか
家庭では絶対専制君主として君臨します。自分=ルールです。家臣の意見や価値観などどうでもよく、逆らえば罰します。

・必要以上のダメ出しをしないか
恋人にやたら細かいダメ出しをする男性は、モラハラ夫予備軍。「だから君はダメなんだ」なんて言い出したら、さっさと逃げ出すのが得策です。

・過剰な束縛をしないか
恋人に「他の男と話すな」「どこにいるか全て報告しろ」「友達と会うより自分を優先しろ」などと過剰な束縛をする男性は、恋人を所有物と捉えているので、対等な関係は築けません。
また、恋人から自分以外の交友関係をどんどん奪い、最終的に恋人が自分にしか頼れないように仕向けます。

・「女の子は何も分からないくらいが可愛い」と思っていないか
恋人を人格のある対等な人間と見ていません。愛玩動物扱いです。結婚後、妻が意見や口ごたえをしようものなら「どうせ何も分からないだろう。俺の言うとおりにしてればいいんだ」と言い出します。

・愛情が条件付きではないか
「可愛いから好き」「若いから好き」「尽くしてくれるから好き」条件付き愛情は危険です。恋人そのものでなく、その人から得られるメリットを愛してるから。
年を取って、見た目が崩れたら?病気や不慮の事故で、妻がそれまでほどの働きを見せられなくなったら?
きっと彼は妻に無関心になり、「足手まとい」扱いし、外に女を作ります。

・やたらと人を見下さないか
友人や同僚、周囲の人を何かにつけて見下す男性。彼らの根本思想は「自分以外はバカ。」その思想は結婚後の妻への目線に直結します。

・キレると手がつけられなくならないか
怒ることは人間誰でもありますが、問題は怒り方。人が変わったように暴れたり、人に当たり散らしたり、物を壊したりして、冷静な話し合いが通じないタイプの男性は、自分をコントロールできていません。その光景がそのまま家庭で再現される可能性大です。



前回の記事に書いた、取り憑かれたようなギラギラ婚活がむなしくなったのは、私の望む家庭像と、ギラギラ婚活との間に整合性が見出せなくなったのも一因です。
履歴書に書けるような条件、条件であさましく相手を選んで、果たしてお互いに「人間としての尊厳を認める」関係が築けるのか……?私の出した答えは否でした。

婚活からの離脱を経て、
上記の注意点と、内面の相性ーー価値観がすりあわせられるか、互いへの尊敬の念と愛情はゆるぎないか、一緒にいて自己肯定感が高まるか、のびのび本音がいえるかーーを慎重に吟味しながら、ありふれた恋愛してをして結婚しました。
結婚したとき夫と約束したことは、「本音で話すこと。」「何事も我慢しないこと。」
お互いに、モラハラの加害者にも被害者にもならないための約束です。


■夫婦間にモラハラの入り込む隙間をつくらない 

私が結婚して数年後、妹も結婚が決まりました。そのとき母は電話の向こうで、「うちの娘達は、お父さんあんな感じなのに、本当にやさしい旦那さんを見つけてくるねえ。よかったわ。」と笑っていました。娘としては切ない笑いです。


結婚5年目、今のところ我が家にはモラハラの影は見当たりません。
でもこれから40年、50年連れ添うなかで(連れ添えれば)、少しずつ関係性が変質してしまうことだって、ありえます。
良い変質ならウェルカム。むしろ柔軟で素晴らしい。
でも、モラハラに少しでも繋がりそうな兆候を嗅ぎ取ったら、芽になる前に引っこ抜くと決めています。

つい先日、夫の発言で初めて少し「えっ?」と思うことがあったので、納得行くまでとことん本音で話し合いました。そこで飲み込んではダメなのです。「私が我慢すれば……。」のモラハラ引き寄せマインドが育ってしまう。
あくまでも穏やかに、でも本音で話し合う。主張するべきことは主張する。
それができるはずの相手を選んだんだから。自信を持つことも、大切なモラハラ除けです。

■最後に

モラハラ家庭に育ってしまい恋愛や結婚で悩んでいる人がいたら、「大丈夫だよ」と言いたい。「自分は人格を愛されるに値する人間だ」と信じて(もちろんそのための研鑽は必要)、注意深く相手を選べば、親と同じことにはなりません。客観的に見てくれる友達を大切にする、そして交際相手が「変だ」と思ったら、情にひきずられず即逃げる。

「モラハラの連鎖は断ち切れる」ということを、人生をもって証明する所存です。




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