アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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家庭

結婚5年目、31歳。事情があってうちには子供がいない。夫婦ともそれを不幸なこととはとらえてなくて、「一生二人でも十分楽しい」と納得している。というか、付き合って結婚を決めるまでの二週間で、そこの価値観は擦り合わせている。どちらの実家の両親も、事情を解してか特にせっついてこない。

ただ、外からの善意の刺激は避けられない。病院、大学のOBOG会、買い物先、とにかくありとあるゆる場所で投げかけられる「お子さんは?」のせりふ。特に上の世代の方が多い。そういわれるたび、一方では「ほっとけよ」と内心毒づきながら、他方でなにか自分がものすごく悪いことでもしているのかという思いにかられる。割りきっているはずの心が揺れる。
いちいち私に言わないだけで、夫もいろんなところで言われてるんだろう。

相手が「傷つけてやろう」と悪意でいってるなら楽だ。でも善意だ。もしくは単なる世間話。当たり前のように、もしくはよかれと思ってにこやかに言われると、反論したり相手を憎んでやり過ごしたりもできず、もやもやするはめになる。
これまでは「まぁ、授かり物ですからそのうち……」と言っていたが、最近は二度と言われないように「うーん、うちはずっと二人かもしれないです」と言うようにしている。

     ****

先日、中学からの親友の結婚式に出席した。
素晴らしい時間だった。
この日のために大幅なダイエットに成功した友人は幸せオーラをふりまき、これまでで一番綺麗だった。私はバージンロードを歩く友人の姿にあっさり涙腺が崩壊し、そのあとは何回うるっとしたか覚えてない。昔から知ってるお母様は相変わらず穏やかで、ずっと涙ぐみながら娘を見守り、お父様と一緒に私たち友人の席にいらして「いつまでも娘をよろしくお願いします」とご挨拶してくださった。

披露宴は職場の方々が多かったので、新婦高校友人は私を含めて3人。小児循環器科の医師として働く独身の友人、第2子妊娠中の専業主婦の友人、私。
それぞれ日頃の生活は全然違えど、長年の友人だ、話に花が咲く。特に医師の友人の生活はすさまじく、強い使命感をもって仕事にあたる凛々しさが随所に感じられた。

いい時間だった。披露宴自体も素晴らしく、お料理、会場装花、盛り上がり具合、余興やスピーチのクオリティ、どれをとっても存分に上質な祝宴だったと思う。

……思いもよらない心の揺れが生じたのは終盤だった。
花束贈呈がおわり、両家を代表して新郎のお父様がスピーチなさった。
「……今日結婚したこの新しい夫婦に、多くのことは望みません。ただただふつうに家庭を築き、ふつうに子供を育ててほしい。自分の人生を振り返って、それがどんなに難しいことかがわかります。……」

“ふつうに子供を育ててほしい”

このくだりを聞いて、なんともいえない感情が私のなかを駆け巡った。
とっさに命を宿している隣の友人のお腹を見、毎日多くの子供の命を救う友人の顔を見た。

私に向けられた言葉ではないと百も承知だ。でも幸せな時間に心の鎧をすべてはずしてしまっていた私には、思いの外ずっしりきた。
私の子宮は、一生胎児の家となることはないのか、私は一生我が子を抱くことはないのか、そして夫と私のDNAを継ぐ我が子を夫に抱かせてあげられないのか。両親に、孫をみせられないのか。
“ふつうに”子供を産み育てる経験をしないまま歳をとったら、後悔するのだろうか。


新郎父を批判したいわけではない。「大層なことを成し遂げてほしいのではなく、身近な当たり前の幸せを大切にしてほしい」という趣旨のあたたかいスピーチだった。自慢の息子が結婚したら、次は孫をと願うのは自然な感情だと思う。
腹が立ったわけでもない。
単純に、私にはいろんな意味で響いたというだけ。

混乱した私の心のなかは、退場していく主役二人の笑顔でいくらか落ち着きを取り戻した。
1列席者の機微なんてどうでもいいのだ。
今日はこの二人の日だ。
ただただ、そういう「ふつう」を望むご家庭と縁を結んだ彼女が、順調に子宝に恵まれますようにとだけ心から願って、複雑な感情は忘れてしまおうと思う。

ご結婚、おめでとう。
19年来の友より。


追伸) 結婚してからが本番。

今年も気づけばあと二ヶ月半。

はやい…。

Webライターを始めた、Twitterを始めた、ブログを始めた、はじめてマンション購入を検討した

など「やった」こともそれなりにありますが、

「やり残したこと」もたくさんあります。

年末までにすっきり終わらせたいことをここで一度リストアップ。

体重を戻す
 今年、ぶくぶく太ったんです。ほんとにまずい。去年の今頃より五キロ増!!どんだけ自己管理できていないんだ…
 ひとまず、グルテンフリーから取り組んでいます。

○虫歯を治す
 奥歯にぽちっと黒い点。磨いても磨いてもとれる気配なし。はい、虫歯ですね。
 あと下の前歯が微妙に割れた気がします。
 「なんで定期的に来ないの!」と怒られるのが目に見えてるし、歯医者こわいしなかなか足が向かないんですが、そんなこと言ってないで行かないと。。
 歯が元気じゃないと、おばあちゃんになったとき美味しいもの食べられないですからね!

○確定申告の準備
 青色申告を毎年している我が家。
 先日、保険会社から生命保険控除証明書が届いて「もうそんな季節!?」と頭を殴られたくらいの衝撃…。私が新しく仕事を始めたこと、夫も今年は輪をかけて忙しかったこともあって、全く記帳をしておりません。(青色申告は、複式簿記で記帳をして、貸借対照表や損益決算書を提出する必要があります) 
 領収書もきっちり整理されているとは言いがたい。
 まずいです。年明け大変なことになります。
 せめてそれなりに下準備を年内に!!

○春画展にいく
 これはマストではないものの、これを逃したらもう死ぬまで行けないかも。来月の平日を狙って、必ず行きます。興味津々。

○乳ガン検診にいく
 正直、「この年齢ならまだいいだろう」と思っていました。実際、自治体から「無料検診クーポン」が届くのは40歳以上。私の年齢だと、子宮がん・子宮頸がん検診のみです。
 でも、同世代の方が乳がんでなくなったり、北斗晶さんのニュースがあったりと、がんについて何かと考えさせられた最近の出来事…。費用は自己負担で決して安くはありませんが、命には代えられないので一度きちんと行こうと思っています。

○夫の課題達成を支える
 今年後半に入ってから、夫が新しい課題に取り組んでいます。仕事上、今後のキャリア向上のため必要にせまられて。その達成期限の一つの目安が今年いっぱいです。
 本来ならもっと時間をかけて取り組む課題なのですが、通常業務の多忙さが災いして取り組むスタートがかなり遅れてしまい、周りの何倍ものスピードで準備しなければいけない状況になっています。

 傍で見ていて、「まぁそんな忙しい仕事と並行してよくやるな・・・」と思うくらい努力はしているのですが、やっぱり人間ですから、怠けたくなったり、愚痴りたくなったり、疲れすぎて弱気になったり・・・。いろいろあります。そこをどうにか慰め、労わり、ときには叱咤激励してcheer upするのが、家族である私の役目かなと思っています。
 
 正直なところ、夫が取り組んでいる課題が達成された場合、この先私はちょっとしたハードシップを課されることになるので、心の底からwelcomeではありません。不安すぎて悪夢さえみます。
 でも、それについては何度も話し合い、彼のキャリアにとっては欠かせない通過点であることを理解して、そして私もいま彼が描いているキャリアパスを応援しようと決めたので、「一年や二年のハードシップは、この先何十年の人生のための踏ん張りどころだ」と腹をくくることにしました。
 どうのこうの言っても、そういう人生を送る男性を伴侶に選んだのは自分です。それに、私の気持ちも聞かずに「俺の生き方についてこい。」と言われたわけではなく、きちんと話し合った結果。仮に私が「何が何でもいやだ。」といえば、夫はキャリアパスを描き直すかもしれない。でも、それはしたくないんです。私と結婚したことで相手の人生がマイナスに振れるのは絶対にいや。

 ということで、最近はもっぱらその課題のことが我が家の中心なのですが、支えるって難しいですね。

 自分が努力すればいい場面は、もちろん苦しいけれどやることは単純明快。でも支える立場は、そのとき何が必要なのか、最適なのかを見極めるのに苦心します。
 母親じゃないんだから、ぎゃーぎゃー口うるさく言いすぎてもいけない。でも適度に励ましたい。そして労わってもあげたい。出過ぎず、引きすぎず、適度な熱感で「見守る」ことの難しさを痛感しています。

 そして、それを通じてこれまで自分の人生を見守ってきてくれた家族の苦労みたいなものが、うっすらとですが理解できました。受験や就職活動、仕事を始めてから、そして闘病生活・・・。
 手を貸せるところ、本人に任せてひたすら祈り見守るしかないところ、そういう色々にやきもきしながら娘を支えてくれた親の目線に、いまさらながら感謝です。


○自分の新しい挑戦
夫のことばかり支えている場合でもありません。自分も成長しなきゃ。
 ライター・コラムニストとして仕事をさせていただくようになってから半年と少し。フリーランスですから同僚もおらず、編集者の方に助けてはいただけるものの、基本は単独作業。未経験から飛び込んだのではっきりいって「ズブの素人」です。何の知識もありません。
 いま、「Webライターを名乗れば誰でもWebライター」と揶揄する人もいるくらい、巷にはライターが溢れています。なかには信じられないくらい安い単価で書いている人も。掃いて捨てるほどいるライターがこれから少しずつ淘汰されていく中で、細々とでもいいので、私は生き残りたいです。
 「ズブの素人」がどうやったら生き残れるか…。半年間、いただけるお仕事をとにかく誠実に納品し、あやふやな日本語の用法や表記については一つ一つ確認し、「読んでもらうための文章」とは何ぞやかを知るために本を読みました。変な書き癖がつく前に、基本を知りたかったのです。
 ツイッターで有名ブロガーさんや、ライターさん、編集者さんをフォローさせていただいて、何でも吸収しようとまめにチェックするのも習慣になりました。皆さんやはり基本的な文章力はもちろんですが、独特の切り口、感性、そして(インタビューの場合)取材対象者の意図を的確に伝えようとする姿勢がひしひしと伝わってきます。複数のメディアで書かれている方は、当然ながらメディアごとのカラーやニーズによって文体も言葉選びもしっかり使い分けていらっしゃいます。基礎がある上でのアレンジ、という視点で読むととても興味深い。そして具体的なライティングスキルについて言及される方もいらして、そういう記事はもう私にとっては宝の山!本当に勉強になります。
 
 でも、正直言って、「生き残るための王道」はよく分かりません。というか、無い気がします。無いがゆえに先輩方も模索しながら進んでらっしゃる。
 
 基礎的な文章力と日本語力を鍛え、
 着眼力や取材力・構成力を磨き、
 読み手の気持ちを考え、
 目の前の原稿を精一杯書く。
 謙虚に教えを乞い、
 現状に甘んじないで、新しいチャンスを得られるようアンテナを張る。

いま私にできることはそこに尽きる気がします。

 新しい挑戦は年内にできるか、来年に積み残しになるか。最後の最後で情けない締めですが、いろいろと模索しております。経験上、「潮目」のようなものが人生にはあり、動かないときはまったく動かないけれど、進むときは自分でも驚くくらいトントン物事が進みます。いい潮の流れを待つ、もしくは流れを起こす、どちらのタイミングも逃さないよう、Q4精進します。


それでは今日は、この辺で!


 



少し更新の間があいてしまいました。気候のせいか、少し低調気味の吉原です。
 
たくさん読んでいただいている 
「付き合って3週間で結婚を決めるまで」シリーズ、その①その②の続きを書いていませんでしたので、そろそろ続きをば!

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そんなこんなで会う約束は取り付けた私。 

当日、待ち合わせ場所でまっていると、でっかいトランクを転がしながら現れた夫氏。
そう、香川に帰る当日ですからね。

夫氏「お待たせしてすみません~!お昼たべました?」
私「うん、I君は?」
夫氏「あ、俺も済ませました。じゃあ、カフェかどっか入りましょうか。」

となったものの、そこはおしゃれなカフェがあるような街並みではなく、基本的にオフィス街と学生街…

まぁ「デートじゃない」という大前提で来てますし、そんなしゃれたとこじゃなくていいよな、と
近くにあったエクセルシ〇ールカフェに入りました。

ソファ席で向かい合ってお茶を飲みながら
大学時代の思い出話や、
夫氏の前の彼女との別れ際の修羅場(ほんとうにヤバかった…)、
それぞれの就活についての話、
今後の人生の話なんかをとりとめもなくしていたのですが、


もう30分も話すころには

「大学時代の私、どこに目を付けて毎日過ごしてたんだ」

と後悔と自責の念でいっぱいに。

結果的に自分の配偶者となった人物のことをこんな風に言うのも手前味噌というかお恥ずかしいのですが、
探していた人そのものだったんです!


特に恋愛の終り際の顛末(そしてそれをどう語るか)や、就職試験の面接の話なんかは、人柄や価値観、思考回路がはっきりと表れます。
その日話している限りでは夫氏のそれは私の求めている人柄そのものでしたし、
そのうえ話のリズムやテンポ、波長もしっくりきました
何気に描く家庭像まで一致しています。

「いわゆるビビビとはこのことか!」と理解した瞬間でした。

……あぁ、大学時代のつまらない恋愛の思い出全部返上するから、彼が入学する瞬間からやりなおしたい。


と、ドラマ『プロポーズ大作戦』での山Pのようなことを思いましたが、何分待っても三上博史さんは現れません。



そして忘れてはいけない事実、

夫氏には彼女がいるということ


上に紫の文字で書き連ねた数々の後悔と動揺、そして三上博史さんを待つ気持ちを抑えながら必死に平静を装って、

私「で、いま彼女がいるんだよね?○○ちゃんからきいたよ~。どんな人なの?」

夫氏「あ、そうなんですよ。ついこの間付き合い始めたんですけど、明るくて、何ていうかいろいろ自分でストレスも処理できる子です。
 前の彼女に振り回され過ぎて心底疲れたんで、楽ですね~!」


…そっか。いろいろ自分でストレスを処理できる子か…
私とは違うタイプだな。
ちーん

と絶望を濃くしながらも鉄壁のアルカイックスマイルのまま
「それは大事なことだよね。おめでとう。」と言葉を振り絞った私。


夫氏「でも、遠距離なんですよね。香川と○○(某地方)で、まぁめちゃくちゃ遠いってわけじゃないですけど、どうなるか分かんないです。中間地点で会う感じですかね。」

私「あ、遠距離なんだ。大変だね…。でも彼女がそういうタイプなら大丈夫なんじゃない?頑張って!」


一瞬で恋におち同時に失恋し、さらに相手の恋愛の応援までしてしまうという貴重な経験をしました。



そうこうしているうちに夫氏の新幹線の時間が迫ってきたのでお互いの連絡先を交換してお開きに。
夫氏「香川、来てくれたら案内しますよ~」
私「ほんと?ありがとう!一年後東京戻ってきたら、また○○ちゃんとかとみんなで飲んだりしようね」
お互いどこまで本気でどこまで社交辞令なのか分からない会話をしながら、
香川へと旅立つ彼を見送りました。


見送り後、一人東京に残った私は何とも表現しがたい気分に。

探して探して全然いないと思っていた人に、実は八年前に会っていた。感じの良い人だなとは思っていたけど、恋愛云々にはならなかった。そしてようやく気付いたときには二週間差で時すでに遅し。
神様、私のことがお嫌いですか?とずぶずぶ落ち込みそうになりましたが

「まぁでもこればっかりは仕方ないよな。お友達にはなれたし、私は私で東京でがんばるかっ。」
と気をとり直して


その夜の合コンに向けて気持ちを切り替えたわけであります。←



それでは今日はこの辺で

台風が近づいていますから、皆様身の安全と体調にお気を付け下さい!





 

忙しすぎる夫
私の夫は「リアル9時5時(朝)」といわれる業界で働いている。
午前中から働き始め、夜中タクシーで帰宅し、また朝まで自宅で仕事する。そんな生活を揶揄した言葉だ。
結婚して以来、平日に顔を会わせるのはせいぜい15分、という生活がほとんどだ。
週末も半分くらいの時間は仕事に費やしている。

もちろん、夫はその状況を承知の上で就職しているし、職業自体は、夫が長年努力して努力してやっと就いた職業だ。
そんな夢を実現した夫のことが誇らしくもあるし、尊敬もしているし、全力で応援している。

けれど、妻としては夫の心身が心配だ。

時々疲労がピークを越すと「やめたい…疲れた…」というので、
「職場を移れば?」というと
「路頭に迷う…」と言う。

いや、たしかにずっと無職だと私の収入じゃまるで足らないけど、何も今ほど働かなくてもいいよ!?そりゃ多少収入は減るけど…
自分で「十分やった」って納得したならやめたらいいよ。
と繰り返すのだが、いっこうにやめる気配はない。

年次があがって中堅になれば楽になるかと思いきや、一層仕事がふってきているようだ。もう最近は本人も家族も訳がわからなくなるくらい忙しい。



弱い妻
一方私は、体調が安定しない妻である。
命にかかわる病気ではないが持病があり、ときに生活に支障がでたり、行動が制約されたりすることがあり、悪い時期にはいると家事もままならず、実質的に一人での生活が難しいこともある。(本当に最悪の時だけですが)

そうなると、双方実家は遠方で近くに親族もいないので、家の中のことはまわらなくなるし、何より私が静養できる環境がととのわない。悩んで悩んだすえ、数年前にはしばらく実家で療養させてもらったこともあった。
そのときのことを思うと、夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

私みたいな妻と結婚することはなかったんじゃないか、
別の女性と結婚すればもっと不自由しなかったんじゃないか。

自分のせいで、自分が愛する人の人生がダメになるのが怖い。離れた方がいいんじゃないか。

でもその思いを決死の覚悟で口にする度に、
「それも込みでゆりを選んだんだ。それで結婚したんだから、ゆりは存在してればいいんだよ。」
と泣きじゃくる妻に夫はいう。

その言葉を体現するかのように、夫は転職を考えたことがあった。今よりもワークライフバランスがとれて、妻と共に家にいられることを求めて。
具体的な話もいくつか来ていた。

ありがたいことこのうえない話である。「仕事したいのに妻が邪魔」ではなく、「妻のために仕事先を変える」という選択肢をとろうとしてくれた。
心底感動したが、実現にはいたらなかった。もちろん、条件面の事情もあるが、夫のこの先のキャリアを考えたとき、私は自分のせいで本人が納得してない方向転換をさせるのは嫌だったのだ。

「あなたが納得するまでいまの職場でたたかって、自分でここぞと思うときに動いてほしい」
そう伝えた。


そのためにも、私もしっかりしなくてはいけない。
評判のよい病院をさがし、食生活や体のケアに気を配っている。よい主治医に恵まれたお陰かここ数年は長期間療養を必要とすることもなく、時季によって波はあれど、なんとか東京での生活をほそぼそとまわせる程度には保てている。



二人の綱渡りと、大切な約束
とはいえ、
我が家の暮らしに、たぶんに綱渡りの要素があるのは否めない。これまでも、おそらくこれからも。
でも、その綱はきっと最初は絹糸みたいに細くて今にもちぎれそうなものだったかもしれないけれど、年月を経るごとに撚りあわされて確実に太く強くなってきていると思う。綱引きの綱くらいにはなっている。もしくはひょっとすると、単によりあわせるのではなく、名曲『糸』にあるように、夫の縦糸と私の横糸が織られていて、この先織り成す布が強く暖かく自分達を包んでくれるかもしれない


未来を予測することはできないが、ただただ力を合わせて1日1日過ごしていくのみだ


ただし、約束していることがある。
いくら「納得できたらワークライフバランスとれるとこに移ったらいいんだよ!」と妻が繰り返し言っていても、やっぱり大黒柱の責任感はずっしりくるんだろうと思う。過酷な状況で踏ん張ってくれてありがたいと感謝している。
でも、無理がたたって突然倒れるのがほんとに怖い。実際に倒れて辞めていった人も存在する。

真剣に体と神経がヤバイと思ったら粘らない。そうなったら納得とか関係ない。こじらせる前に絶対やめる!
妻が夫に絶対守ってと口を酸っぱくしている約束である

夫にブログを読まれた。

夜、いつもの習慣でアクセス解析をしていたら、閲覧者のドメインに夫の職場ドメインを発見したのだ。

そういえば、最近作った名刺にはblogのURLが印刷してある。それを夫に渡したんだった。なんて迂闊な私…!
困惑してすぐさま夫にLINEした。
「ブログ読んだでしょ!?名刺でURL分かったんだよね?あー失敗した…」

すると返事
「え?なんのこと?吉原由梨で検索したら出てくるよ」


そりゃそうか…。ブログだもんな…。

改めて自分の迂闊加減にげんなりした。


これまで、ブログを書いていることは夫にも話していたが、見せたことは1度もない。
読まれてやましいことは別にないのだが、なんとも言えず恥ずかしいのである。


もともと我が家はオープンだ。夫婦のプライバシー云々にはあまり厳密ではない。
もちろん夫の仕事用PCには触らない、書類をいじらない、封書を勝手に開けないなど常識レベルのプライバシー観念はある。
でも、お互いのスマホのロック用指紋認証にはお互いの指紋も入っていて、単純に便利だから特に意識もせず相手のスマホを使うこともある。よく「夫の携帯を見たらろくでもないことしか出てこない」というが、いまのところろくでもないことは出てこない。もしかしたら単に、わたしが「ろくでもないこと」を探そうとしていないだけかも知れないが。
私のスマホにも、見られて困るようなものは特にないと思う。あ、フリマアプリのお気に入りリストくらいだろうか。


そして、私が仕事で書いた記事もほぼ全て読んでいる。
というか、私が読ませている(笑)
彼は文筆業とはなんの縁もないが(書いても専門書くらい)、何気なく的確な指摘をするのだ。
「タイトルがいまいちキャッチーじゃない」
「斜め読みしづらい」
「情報量が多すぎる」
「文章が説明的」
「論文じゃないんだから」
など、超上から目線のアドバイスをくれる。
悔しいが、なかなか的をえているし、身内だけに遠慮なく言ってくれるので、結局毎回読んでもらっている。
私の記事を読んでくださったことのある方はお分かりだろうが、恋愛ネタも多い。実体験をもとにした内容もあるが、彼はその手の記事も顔色ひとつ変えないで読み、超上から目線のアドバイスか、「うん、今回はいいんちゃうか」という誉め言葉のみ発する。まぁ、所詮過去は過去だと思っているのだろう。


だから、ブログを読まれてもなんら困ることはないのである。
夫の悪口を書いてる訳でもなく、昼顔願望を綴っているわけでもない。
なのになぜか恥ずかしい。

この不思議について自分なりに考えてみた結果、
思うにブログは私にとって、おそらく非常にプライベートな空間なのだ。
全世界に公表しておいてプライベートも何もないのだが、スマホの中にもない、仕事の記事にもないプライベート空間が、ブログの中には広がっている。

仕事で書く記事はまず「何が読まれるか」ありきだ。読み手のニーズを想像し、読み手が読む過程を想像しながら書く。読み手の存在を強く強く意識している。

対してブログは、私の経験、感じたこと、考えていることを自由に書いている。もちろんブログとして公開する以上読み手の存在は意識するし、自分の書いたことが誰かを楽しませたり心に染みていってほしいと願っている。
でも、仕事で書く記事とではその比率が違う。ブログは、私自身の心や頭の整理、感情の吐露という側面も多分にある。思考回路や、心の奥底がチラチラっと姿を現すこともあるのだ。

そして、そこに現れている私は、日頃夫が見ている私と完全には一致しないかもしれない。
夫の前で自分を偽っているとか、演じているとかそういうことではない。が、私が彼の心の奥底や内面の全てを知り尽くしているとは言えないのと同様に、彼もまた私の心の全てを知り尽くしているわけではない。
故意に隠していなくても、出ていない部分もあるのだ。「一人モード」のときの私、とでも言おうか。

そういう「一人モード」のときの私が、このブログには顔を出している。

それを見られるから、恥ずかしいのであろう。
おかしな喩えだが、1人で部屋にいる姿を「実は録画してました」と言われたような気分なのだ。


夫以外の読者さんには、読んでいただければいただけるほど嬉しいので、「恥ずかしい」の感情は夫にしか発生しない。
一番身近なのに、一番見られて恥ずかしい。

夫婦と言うのは不思議な関係だ。


しかしすでに一度見られてしまったし、私も「絶対もう読まないで!」とは言っていないので、彼はまた何度でも読みに来るだろう。私ももう腹をくくって、書き続けるのみだ。


ところで、ブログを読まれた当日、夫に感想を求めたところ
「俺の花火の写真さすがに綺麗やな」(花火大会の写真は彼が撮影したものを拝借した)
他には?
「旦那さんええ人やな」(自分について書かれた記事に満足したらしい)
他には?
「日常感あってええんちゃうか」


日常感?


「由梨、普段あんなことも考えてるの?知らなかったよ。」ではなく、日常感…。


…私が散々見られて恥ずかしいと感じ、自分で「プライベート空間」だの「一人モードの私」だのと思っていた部分は、彼はもうとっくに知っているのかもしれない。

追究はしないが、つくづく夫婦というのは不思議だ。

結婚何年目になれば「夫婦」を語れるようになるのだろうか。
人生の先輩方にお訊きしたい気持ちでいっぱいである。





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