アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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社会

熊本、大分の状況が気がかり。
どちらの県も家族旅行で何回も行ったし、中学・高校は福岡だったので熊本に進学したり転勤したりした友達が沢山いました。
幸いにもいまは熊本には知り合いはおらず、避難生活を余儀なくされてる人はいませんが、友達の友達とか、親戚とか、たくさんいるんだろうなぁとニュースを見るたびに思います。距離的には離れてるのに、震災がすごく近いものに思える。

そんなわけでなんとなく落ち着かなくて、今週はやけにガツガツ働いています。
福岡の人たちはSNSを活用して民間で物資を集めて、被災地に自力で運び込んでいるそうです。却って被災地の迷惑にならないよう、受け入れ先をきちんと確保しながら。
そんな様子をみていると、「何を私は東京でぬくぬくと……」と思ってしまうんですが、私が落ち込んだり何かを自粛しても誰も救われないので、開き直ってフツーに過ごしてます。
いつもよりちょっとガツガツ働いて、そのぶん寄付したほうが現実的だなと。

普段、ボランティア活動もしないし、募金箱にもあまり縁の無い私ですが、今回ばかりは義援金を送りました。といっても、サエコさんとは桁が2つ違いますけどね……。
やっぱり被災地との精神的な距離って行動に直結するんだなと、自分を通してしみじみ思います。(東日本大震災のときはもっと後になってからだった)

はやく余震が落ち着いて、日常に向けて復興が進みますように。


ちなみにこちらで義援金送りました。金融機関もたくさん対応しています。
日本赤十字社


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高校時代からの友人が、新卒で就職した企業を退職しました。日本を代表する航空会社の1つで、CAをしていた彼女。
結婚し、第一子を妊娠して産休&育休、その間に第二子を妊娠したので再度産休&育休。育児をしながら、今後の仕事をどうしたもんかとずっと考えていたそう。
1年くらい前だったか久しぶりに会ったとき、
「やめるか続けるか迷ってるんだよねぇ」
と言うので
「んー、旦那さんの収入で十分やってけるだろうけど、せっかくだから一旦復帰してみたら?職種的に時短は無理にしても、なんか復帰後の制度ないの?」
と聞いたところ、驚きの答えが。
「ない。国内線か国際線かの希望すら出せない

えっ!?
いやいや、子育てしながら国際線って……鬼?

だって、CAさんって泊まり勤務がどうしても発生しますよね。国内線ならせいぜい一泊だから、旦那さんがその日だけ早く帰るとか、帰れるまでシッターさんを頼むとか、まぁやってやれないこともない気がする。
でも国際線だと……。下手したら4〜5日帰れない。もうそれって、旦那さんが専業主夫か、絶対6時に帰れるか、3世代同居でもしてない限りまず無理だと思うんです。
友人は夫婦とも実家が遠方だし、旦那さんも忙しい。

「グランドホステスに社内異動って言う道はないの?」
「うん、採用のラインがもう全然別だから、それも無理なの」

結局、彼女は退職を決めました。

専業主婦になって子供といっぱい一緒にいられる生活も幸せだと思う。でも、そこに彼女が選択する余地はなかった。
厳しい採用試験をパスして、訓練うけてやっと1人前になったのに、家庭人としての役割を全うしようとすると辞めざるを得ないシステムなんだなぁと、なんとも言えない気持ちになりました。しかも零細企業じゃなくて、名だたる大企業で。

会社のシステムの壁、預け先の不足、周囲の無理解、ママの復帰を阻むものは沢山ある。
政府も、企業も、男性も、本気で女性に「産め、そして働け」というなら、根本から意識・制度改革してくれないとこりゃ無理だよ……と身近なところでしみじみ感じた今日この頃です。


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不倫スキャンダルはもういい。
盛り上がりすぎだ。

週刊誌が絶妙なタイミングで続報を出す。ワイドショーがそれを取り上げる。ツイッターはまたしても、叩き大喜利合戦で埋まる。

確かに不倫はよくない。倫理に反するから不倫。人の倫(みち)にあらず、で不倫。傷つく人もいる。
当事者が悪くないとかそんなことは決して言えない。擁護するつもりはない。
でも、それにしたって騒ぎすぎだろう。


●スキャンダルを好き放題批判してる人たちに問いたい。
倫理をおかしたことは一度もないの?人を傷つけたことは全くないの?
胸を張って「無い」と言える人がどれほどいるんだろう。
法律の世界で言えばクリーン・ハンズの原則(悪いことをしている者に他人を訴える権利は無い)、イエス・キリストの言葉を借りれば「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」だ(その時代、姦通罪を犯した女は、石打ちの刑とされていた)。

犯罪でもなければ自分と直接の関わりのない他人の行為を、大仰に批判できるほど、みな品行方正なのか。


社会的制裁はもう十分だろう。あとは当事者間で解決すればいい問題だ。


●マスコミの報道がくだらないと嘆く人が多い。
気持ちはおおいにわかる。もっと取り上げるべきことはあるだろうと私も思う。第四の権力としての使命を全うしてほしい。(正確にいうと、マスメディアか)
でも現実問題、民放はビジネスだ。視聴率から算出される広告料で利益を上げている。視聴率がとれないことには経営が成り立たない。

そして忘れがちなのが、「視聴率がとれる=人々がみてくれている」ということだ。本当に皆が、スキャンダルなどくだらない、見る価値無しと思えば、視聴率は下がる。そうすればスキャンダルを取り扱う頻度も時間も減るだろう。
見たがる人がいるから、流れる。マスコミを「マスゴミ」にしてしまう一端を視聴者も担っていることを、忘れてはいけない。
私たちはもっと、賢くならなきゃいけない。

     ーーーーー
スキャンダラスな話題を隠れ蓑に、重要な政治的決定が進められているのでは、と危ぶむ皆さん(私もその一人)。
こうなったら国会中継を録画して見ましょう。それが1番確実かと。

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明石家サンタが流れる聖夜、皆様いかがおすごしでしたしょうか。
ほんとはあれやこれや絡めて長々と書きたかったのですが、深夜書いてるのでサクッとサクッといきます。……なるべく。
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『聖おにいさん』という漫画をご存知だろうか?東京の立川で、休暇中のイエスとブッダがルームシェアするというブッ飛んだ設定の漫画だ。
イエスは言わずとしれたキリスト教におけるの神の子、ブッダは仏教の開祖。その二人の仲睦まじい共同生活の様子が面白おかしく描かれている。ギャグ漫画といっても差し支えないくらい、キリスト教と仏教の教義ネタを組み込んだギャグが散りばめまくられているが、ちっともどちらかを揶揄したり愚弄したりする空気はないし、本当にただただ面白く笑える。
でも、この漫画が何事もなく出版され、一般市民が手にとって爆笑してる国なんて、日本くらいじゃないかと思う。

知人のアメリカ人女性にこの漫画の話をすると、「あぁ、それは日本ならではね〜。アメリカでだったら問題になりそう。」と言っていた。
実際そうだろう。
クリスマスも初詣も楽しんでしまう、宗教へのこだわりが薄い日本だからこそ、問題にならないんだと思う。

私はクリスチャンホームに生まれた。両親は教会に通っていて、小さい頃は私も一緒に礼拝にいった。なので、お宮詣りも七五三もやってない。代わりに教会で「幼児洗礼」という儀式をうけた。
そして中学高校もキリスト教の学校だったので、
行事ごとにミサがあったし、宗教の授業もあった。だから私はキリスト教にはそこそこ詳しい。
ただ、私自身がクリスチャンかときかれると、そうでもない。どの宗教を信じているか絶対選べと言われればキリスト教だが、教会にも行ってないし、日常的に祈りを捧げる習慣もない。初詣にもいくし、おみくじもひくし、厄払いにもいく。お守りも持ち歩く。仏教の本も読む。無宗教といっても差し支えないだろう。

私がこういうふうになったのは、皮肉なことに育った環境が1番の要因だと思う。
我が家はプロテスタントだった。学校はカトリックだった。同じキリスト教でも、教義や戒律が微妙に異なる。マリア信仰があるか、偶像崇拝を認めるか、労働や財をなすことをよしとするか……そもそもカトリック教会に反発した宗教改革からはじまったのがプロテスタントなので、哲学が違う。
そんな2つの宗派どちらにも関わってみて、10代の私が感じたこと。
「アプローチが違うだけで、求めているものは同じなんじゃないか」

そもそも教義も戒律も、そのときの権力者にとって都合がいいように定められていることが多々ある。世界史を勉強した方ならご存知だろう。イギリス正教会がカトリック教会と袂を分かったのは、当時の王が離婚したいがためだった(カトリックでは離婚はタブーだ)。

でも、同じ神を信じ、一般の信者が祈ることは、今日も明日も食べるものがありますように、平和でありますように、死後の魂が救われますように、だ。

その思いは、高校で世界史や倫理を勉強してより強くなった。
仏教の思想はクリスチャンホームに生まれた私には新鮮だったが哲学として学ぶところが多いと思ったし、日本の歴史と強く結びついているだけに感覚的に理解しやすかった。
イスラム教は輪をかけて新鮮だった。完全に異文化だ。身近にイスラム教徒がいなかったし、遠い国の宗教という印象だったが、やはり哲学として興味深い。
そして勉強すればするほど思う。
「アプローチが違うだけで、求めているものは一緒なんじゃないか」

雑な考え方かも知れないが、結局、人智をこえた大いなる存在というものを人間は感じていて、それを探究したい、もしくはその大いなる存在にすがり祈ることによって、現世での平安や死後の魂の救いを得たい、どの宗教もそこに尽きるのではなかろうかと高校生なりに感じた。
もちろん、来世があるかとか、一神教か多神教かとか、宗教としての大きな違いはある。
でも信心の根本は同じな気がした。
人智をこえた大いなる存在の捉え方は、ちょうど手塚治虫さんの『火の鳥』の中で繰り返し描写されているイメージにも近い。大人になって初めて読んだとき、「これだ」と思った。

いまでもその考えは変わっていない。
宗教に、政治が結びつくからややこしい。政治や権力や民族の闘いに、大義名分として宗教がかかげられるからややこしい。
一部の過激な人々を除けば、真理を求め、魂の救済を求める素朴な一般市民の見ている先はきっと同じだ。方法論が違うだけだ。



平和ボケした日本人ならではの発想かもしれない。
聖☆おにいさんに、イスラム教の神アラーか、(アラーは描いてはいけないらしいので)預言者ムハンマドかが登場して、イエスとブッダと三人で仲良く立川でルームシェアしてほしい。
銭湯に行ったりTSUTAYAに行ったり、お互いの天使やら弟子やらを巻き込んでドタバタ劇を繰り広げてほしい。教義ネタをギャグにもりこんで大いに笑わせてほしい。
そしてそれが世界中で翻訳されるくらい、互いの
宗教や思想に寛容な世界であってほしい。
漫画の例はちょっと突拍子もないし、何千年の歴史がある宗教問題がそうあっさり解決するとは思わない。
でも、他の宗教を受容することは、自らの信仰を全うすることと何ら矛盾しない。自分が一神教を信じていて、隣の人が違う神を信じていても、自分にとっては自分の神が唯一神、隣人にとっては隣人の神が神。それで良いんじゃないのか。方法論が違うだけ。
この世に(あの世に?)もし神がいるとしたら、人類に争いを望んではいないだろう。不穏な空気に眉をひそめているはずだ。宗教は争いを希求するものではない。平和を希求するものだ。


クリスマスくらいは真剣に、宗教観と平和について考えてみました。
本当は映像の世紀と半沢直樹とリーガル・ハイも絡めたかったけど、とてつもなく長くなりそうだったのでこの辺で!

メリークリスマス!

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参院特別委員会で安保法案が可決された。

60年安保闘争の勢いを私は知らないが、
今回は一般市民のデモに専門家も加わってかわるがわる拡声器でスピーチをするという異様な光景であった。
日本の歴史に大きな一頁が刻まれる。

安保法案自体の是非を論じるのは私なんかより知識の深い方々におまかせするとして、
デモの異様なまでの熱狂状態を画面越しに見ていて思った。

この中の何人が、前回の衆議院議員選挙に行ったんだろうかと。

昨年末の選挙で、自民党を絶対安定多数を超える議席で大勝させたのは、紛れもなく日本国民である。そして与党で3分の2以上の議席を獲得させたのも、日本国民である。

投票した人ばかりの責任ではない。
投票率は戦後最低の52.66%だった。
半分近くの国民が選挙にいっていない。

彼らがきちんと選挙権を行使していたら、違う結果もあり得たのではないだろうか。

「たられば」を語っても仕方ないが、そう思わずにはいられない。
それくらい、テレビ画面に映し出されるデモの熱狂ぶりと、52.66%という冷えきった数字からうける印象とが乖離しすぎているのだ。


デモに行くことが悪いとは思わない。無意味だとも思わない。
政治に無関心だった若者が関心を持ったのだとしたら、国にとっても良いことだ。
だがデモで政治を変えることは、難しい。


日本は間接民主制をとっている。
民意を表明する場はデモではない、選挙だ。


今回の熱狂がお祭り騒ぎやはたまたただの鬱憤ばらしではなく、真に政治的な関心・参加意欲に基づいたものであるのかがはかられるのが、次回の選挙だろう。

そこでまた前回のような投票率を記録するようであれば、日本人に民主主義は無理だといわれても
反論の余地はない。


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