アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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社会

東大が推薦入試を導入するそうです。


なんとまぁ…!!驚嘆!


それだけは絶対無いだろうと踏んでいましたが、これも時代の波なのでしょうか。

私には迷走しているようにしか思えません。


そもそも推薦入試自体、たいていは学生本来の学力・偏差値よりもいくらかランクが上の大学に入りやすい仕組みです。
それは制度本来の趣旨ではないのでしょうが、自分自身の学生時代の記憶を掘り起こしてみても、推薦入試ははっきりいって、結果的に受験生に「お得」な制度になっているのが現状です。

だからといって、私は推薦入試制度自体に否定的な訳ではありません。


⚫私立大学の場合⚫

私立大学はそれぞれに独自の校風があり、それに馴染む学生がほしかったり、逆に多様性を重視しているため入試の形式を多く設けてバラエティーに富んだ学生を求めたりと、その運営方針はまちまちです。そこも含めてその大学の校風で、他との差別化につながるのでしょう。

また現実問題、大学経営もビジネスですから、少しでも早い時期に「お客さま」を確保しておきたいのは当然の欲求です。(推薦入試はたいてい秋に行われます)

こうして大学側のニーズと、ガリガリ受験勉強せずに早く進路を決めたい受験生のニーズが合致するわけです。


⚫東大は国立大学⚫

一方で、東大は法人化されたとはいえ国の教育機関です。
そして最高学府です。

東大が推薦入試を導入するというニュースをみて、まず「何がしたいんだろう?」と思いました。

考えてもみてください、
東大が最高学府であるということは、現行の一般入試制度で入ってくるのは、雑な言い方をすれば日本でもっとも優秀だろうと推測される学生たちです。(もちろん、自分の意思や家庭の事情で地元の大学に進む優秀な学生さんもいますが、いまは一般入試と推薦入試との比較ですので、そこには言及しません。)

東大は、推薦入試制度で、いったいどんな学生がとりたいんでしょうか?よっぽどこれまでとは違う学生がほしいのでしょうか?
要項を読めば「国際感覚」や「理解力」などあちこちでよく見かける単語が頻発していました。

・推薦入試合格に必要とされるセンター試験の得点の目安は900点中720点。これは、一般的には高得点ですが、東大を一般入試で受ける学生であれば平均的な点数です。
そもそも東大はセンター試験の点数をあまり重視しておらず、二次試験の倍率を3倍にするためのいわゆる足切りの際と、圧縮した点数を二次試験の点数に加えて総合判断をする際に使用する程度です。
なぜならセンター試験は、東大に合格するレベルの受験生にとっては“標準的”すぎるレベルで差がつきにくいのです。
また、二次試験の準備に必要とされる勉強とはレベルも量も次元が違いすぎます。



学科試験はそんな“標準的”なレベルしか課さず、あとは語学力や、これまでの執筆論文、留学経験、社会奉仕経験などを参考にし、試験会場での論文やディスカッション、面接で判断するとなっています。(法学部の場合)

・また、高校での成績は「各校上位5%以内」が目安とされています。一学年300人として15位以内…よほどの有名進学校でなければ、東大を目指す学生の順位としては緩いくらいでしょう。


結局、どんな学生がとりたいのか!?正直あまり見えてきません。
仮に大学関係者に
「一般入試で受けて合格するほどの学力はないけど、その他の面で秀でたところがある学生をとりたいのでしょうか?
それじゃ結局「お得な」入試制度になって、学生の学力は担保されないのでは?
最高学府が、学力を妥協してどうするんですか?」
という疑問をぶつけたら、

大学は「いやそんなことはない、合格者は学力的にも一般入試の学生と変わらないレベルで、さらに個性も持ってるんだ!」と主張するかもしれません。


しかしそんな人はわざわざ推薦入試なぞ受けなくても、一般入試で合格します。

つまり、東大の推薦入試で予想される合格者は、
1・一般入試でも受かったであろうけど、時期もはやいし保険のつもりでうけたら合格した人
2・一般入試じゃ受かりっこなくて、せいぜいセンター対策やって、あとは課外活動にせいを出していた人


1なら現行制度のままでいいし、
2なら学生の学力の質が下がります。


東大が
「これからはダイバーシティの時代だー!」
と声高に掲げるならそれも良いでしょう。

しかしそんなことよりも、法人化したとはいえ由緒ある国立大学の代表として、本質を大切にしてほしいのです。大学入試は就職試験とは違うのですから。

どんな人も公平に、バックグラウンド関係なく、鉛筆一本で、己の学力のみで一発勝負のふるいにかけられる、という方針を貫いた方がよほど筋が通っているのではないでしょうか。

また最高学府として、第一に求めるのは「学力」であるという凛とした姿勢を保つべきです。


いまひとつ、腑に落ちる「哲学」を感じさせてくれない制度改編。
推薦入試制度が「肩書きを手に入れるお得な抜け道」化されないよう、くれぐれも厳格な実施をお願いしたい。

最高学府の威厳と格式を決して損なわないでください。


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オリンピックのエンブレム問題に端を発し、マスコミでは来る日も来る日も「パクり疑惑騒動」が報じられている。
佐野氏のパクり疑惑のどこまでが黒でどこからが白なのかは、本人のみぞ知るなので私がここで言及するつもりはないが、「パクり」といわれる行為については日々感じていることがある。

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半年前にライターを始めて以来、私の頭は来る日も来る日もネタを探している。
たまに夢でも。
そして「まとまらない!」ってガバッと起きることも(汗)

一方で、「人に読んでもらう文章を書く」ということを一から学びたくて、魅力ある諸先輩方のブログやWebメディアの記事、紙媒体の記事にも以前より広く目を通すようになった。
以前はただぼけーっと読んでいたが、いまは言葉選びや文章の運び方、構成の仕方、情報の密度、「この書き手の方は誰に何をどう伝えたくて書いたんだろう」など、書き手の思考回路を意識しながら読むことも増えた。


それがパクり疑惑騒動とどうリンクするのかと疑問に思われるかもしれないが、
触れる文章が増えると、「意識なく」パクってしまう、似てしまうのが怖いなと、ここ半年ずっと感じてきたのだ。

自分では完全に自分の脳内もしくは日常のなかで生まれたネタ、切り口、文章だと思って書いていても、いつかどこかで目にした文章が脳のどこかにうっすら残っていて、知らないうちになぞらえていたらどうしよう、という不安がふと頭をよぎる。
あまりにも心配なときは、記事の完成後に、同じテーマで書かれた記事を検索して似通ったものがないか確認してしまうくらいだ。

もちろん、読者の引き込み方、文章の組み立て方など技術的な面で他の書き手さんの文章を参考にすることはある。(そういったスキルを紹介してくださる書き手さんもいるくらいだ)
それに、テーマが同じなら、内容に少し共通点があるくらいは仕方がないと思っている。(たとえば「結婚披露宴での服装マナーについて」などある程度「正解」があるテーマの場合は特にそうだ。)
でも、導入、筋立て、内容、結論、どれも似ているとなると故意でなくても「パクり」と判断されるだろう。そうならないための自衛策…。
小心者なのだ(笑)

最近では、タイトルをみて、自分が近々書こうとぼんやりとでも考えているテーマに関わりそうな記事は、敢えて読まない。「知らない」以上のパクり防止策はないと思うから。
そして自分の原稿の完成後に読んで、「なるほど~そういう視点もあったか」と悔しがったり楽しんだりしている。

また、誰かのブログにインスパイアされて、同じテーマで自分の意見を書きたいと思い、なおかつ内容が多少かぶってしまいそうな場合は筆者の方に連絡して許可をいただく。「引用元を明記しますので、かれこれこういう風に書いても構いませんか」と。意外とOKしてくださるものだ。「自分の文章が広く読んでもらえるのでむしろ喜んで」と言ってくださった方もいる。


やりすぎだと思われる方もいるかしれないが、世の中には山のように文章が溢れていて、そして「似ている」「似ていない」の受け取り方は読み手によって様々だ。
用心するに越したことはない。
自分の書いた文章を、堂々と世の中に出したい

半年の新人が語るのも甚だおこがましいが、何かを創っている人間にとって根も葉もない「パクり疑惑」をかけられるのはかなりの侮辱だ。仕事人としてもそうだが、人間としての尊厳を傷つけられた気分にさえなりそうだと思う。


もともと私が持つ小心者ゆえの防衛本能は、
今回の一連の報道によって一層研ぎ澄まされるだろう。
意識的模倣はいうまでもなく、しない。もうこれは職業倫理とかいう以前の問題だ。どうしても書けなくて弱い心が自分を誘惑することが万が一あれば、しばらく書くことをやめる。
そして、一番こわい「無意識の模倣」にも用心しないと、と改めて身が引き締まる思いだ。



それにしても、「痛くもない腹を探られる」という言葉がある。佐野氏の迅速な会見をみたときはその手の疑惑かと思った。それを晴らそうとしているのかと。が、あとからあとから出てくる疑惑をみていると、痛いところは多少なりともありそうな気配である。


痛くもないのに自覚のない病気があったらどうしようとブライダルチェックよろしく検索までしてしまう小心者の私と、自覚する痛いところがおそらくあるのに会見までしてしまう彼。

…人間って多様性に溢れているなぁと、そんなことまで感じさせられる今日この頃である。

もし、痛みの裏に膿があるなら、ごっそり出してしまってほしい。







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今日、ライターを始めてから、初めて原稿案がポシャりました!
ざんねんっ!

とはいえ、まだまだ「案」の段階でしたし、寄稿させていただいているメディアのカラーにそぐわないだろうなぁ…でも一応提案してみようかなぁ…VERYにも憲法特集が乗る時代だし…と恐る恐るダメ元での提案だったので、
「やはり方針にそぐわないので」というご丁寧なお返事をいただいたときも、やっぱりかという感じでした(^-^;

日頃自由に書かせていただいているので、こればっかりは仕方ないですよね。
読者層に合った記事を書くのが仕事です!



で、その案、
どこか書かせていただける媒体を探そうかなーとも思ったのですが、
時事問題なので、探している内に話が古くなりそう…
ということで、
ここで書きます(笑)
さくっと骨子だけ。


最近すっかり話題沸騰の新国立競技場の改築について。
賛成なり反対なり、それぞれ意見はあると思うんですが、
まずやみくもに騒いで批判してる人たちの根本的な政治に対する姿勢に首をかしげたい。
そして、なんとなく世論の方向がずれている気がするんです。

Twitterでも書きましたが、Twitter上にも改築案の設計デザインをあれこれコラージュしてupし、それを面白がってる人が多数います。
そんなことしてる貴方に貴女、当然欠かさず選挙には行ってますよね??
行っていないとしたら、文句を言う権利はありません。日頃政治に関心を持たず、自らが果たすべき最低限の政治的役割である投票行動もしないくせに、わかりやすい標的を見つけたからと鬼の首をとったように批判してるのは、首をかしげたくなる愚かな行為です。
日本は代表制民主主義なのだから、舵取りは代表にまかせるしかない。国民はその代表を選ぶことによって、政治に参加するわけです。
選挙にも行かずに批判だけする、なんて、無い権利を行使するようなもの。無茶苦茶です。

さらに、国民が果たすもう1つの役割は「健全な世論の形成」でしょう。正しい情報を得て、冷静に考え、意見を表明することで民意というものが出来上がっていきます。
しかし、いま世間に溢れているのは、一つ一つの小さいニュースに対する過敏なほどの大騒ぎ。改築額があがったといって騒ぎ、森氏の発言に騒ぎ、安藤氏が会議欠席となれば騒ぐ。あまり本質的とは思えません。(もちろんマスコミの取り上げ方も一因でしょうが)
安藤氏自身が「どうしてあんなに改築費が膨れ上がったかわからない」というくらい、こんがらがった裏の事情があるのでしょう。民主党時代から始まったプロジェクトで政権交代もしてますから、かなりごちゃついた経緯があると思います。国は、そこをきちんと開示する義務があります。

ですから、いま求めるべきなのは、代表者(つまりは政治家)の国民に対する正確な事実経緯の開示、責任の所在の明確化、そして何故いまの設計案で進める必要があるのかという説明と説得、そこに尽きるのではないでしょうか。

それをきちんと理解し把握し、咀嚼したうえで、国民にとって何が必要なのか、必要でないのかを判断し、意見を表明してこその健全で力を持つ民意、世論です。


我が家も(私にとっては)少なくない額の税金を納めています。予算の無駄遣いに憤る気持ちは同じです。

でも、表面的なニュースやイメージでやみくもに「中止だ!やめろ!」とだけ叫ぶのは、賢明とは思えません。説得力もありません。

自戒も込めてこの文章を書きました。
このオリンピックが、日本にとって「真の政治参加」を考える良き契機となりますように。





そろそろ暑くて全身溶けそうなので、かき氷を食べます!
ではっ☆



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