アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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ことば

ここ一か月ほど私の脳みそのほとんどを占めていた、ある「課題」があった。

ただでさえ要領が悪くてマルチタスクは苦手なのに、「ぼやぼやしてる暇はない」と普段の生活にその課題クリアのためのタスクの時間を押し込み、情熱を注ぎ、寝ても覚めてもそのことを考えていた。

 

そう、私は昔から何か「課題」を見つけると、根を詰め過ぎて、解決するまで24時間それが頭から離れない。夢にもみるし、ひどいときは心身ともにオーバーヒートして文字通り発熱する。(ウソみたいな本当の話)

 

大学入試も(毎晩命を狙われる夢を見た)

大学の期末試験も

就職活動も

物件探しも

仕事でトラブルが起こったときも

家庭の問題も

 

思考回路がうまく切り替えられないのだ。……社会人として致命的である。いや、人としてか。

 

こういう猪突猛進な気質は、短期決戦には強いのだが、長期戦にはめっぽう弱い。

特に、運やめぐりあわせにも左右されるような事柄になると、努力したからといって必ずしも結果に結びつくわけでもなく、消耗度合いが激しいため脳も体も心ももたない。

 

今回は一か月で、「あ、そろそろヤバいかも」に達してしまった。

(察知できるようになっただけ、少しは成長したのかもしれない)

テレビの音がうるさい、本屋で隣にいる人の咳ばらいが物凄く神経に触る、呼吸が浅い、体がほてる、などなど黄信号サインが全身から発されている。

 

全身が「この件については、休め」と私に訴えている。

 


ちょうどいいことに、明日からよーやくとれた夫の夏休み。

(夏どころか、もう秋から冬に入ろうとしているけど)

課題はクリアできていないけれど、原稿も前倒しで書いたし、一週間ほどはこの一か月の異常な根詰め状態から解放されようと思っている。

そして休み明けも、いまほどの過熱状態にはならず、長い目でやろうじゃないかと構えて淡々と取り組みたい。

 

これまたちょうどいいことに、いま少しずつ進めている勉強がある。

「勉強」と名のつくものがすべて嫌いな私が、珍しく飽きずにやっている。休み明けは、こちらの作業に軸足を移して、力を注ごうと思う。(気が変わらないうちに……)

案外そんなときのほうが、行き詰っていた「課題」をクリアするひょんなきっかけに出会えたりするものだ。

 

ひとは、悩みや考え事の渦中に居すぎると、「引き」で見ることが出来なくなって大局を見失う。少なくとも私はいま見失っていると思う。

一週間かけて落ち着きと客観性を取り戻し、大局を見ながら冷静にやろう。仕切り直し!

 

 

タイトルの「考えろ!考えるな!」は、松岡修造氏の言葉である。

最初きいたときは「え、何それどっち!?!?!?」と思ったが、「自分が出来る範囲のことは考えつくしたら良い。だけど、明日の天気とか人とのめぐりあわせとか、そういう自分の力の及ばないことについては考えるな。思い悩むな。という意味だそうだ。そう言われれば大いに納得である。

従来の諺で言えば「人事を尽くして天命をまつ。」に近いかもしれない。

 

思えばここのところの私は、考えて、考えていた。自分の出来ることも考えたし、自分ではどうしようもない範囲のことまで思い悩んでいた。

人事を尽くして天命を思い煩っていた。ある意味謙虚さに欠けている。天命をどうにかできるわけないじゃないか、身の程を知れという話だ。

 

自分の力の及ぶ範囲、及ばない範囲の線引きをしっかりとして、

情熱を注ぎ過ぎず、

一喜一憂せず、

大局を見て、

ゆっくりやっていこうと思う。

 

 

ちなみに本日116日は松岡修造さんのお誕生日らしい。どおりで温かいはずだ。

どうかこれからも日本列島に高気圧をもたらしていただきたい。

 

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情けは人のためならず、ということわざがある。

ご存じの通り、「人にしてあげた親切は自分に返ってくるよ」
という意味だ。


昨夜Twitterで、あるフォロワーさんとやり取りしていて、その方が「頭も容姿もいい知人が、憎まれ口ばかり叩くので人間関係で損していてもったいない」とおっしゃっていた。

私はそれを読んで
レコーディングダイエットみたいに、自分が口にした言葉を記録してみたらいいのにと思います。
とお返事したのだが、
我ながらいい思いつきだと思った(笑)

レコーディングダイエットとは、自分が食べたものをひたすら記録して、どれだけ沢山食べているかを可視化するという方法論です。


ひとは意外と、自分が発している言葉の内容に無頓着だ。
ときにはそれで人を傷つけたり、自分自身の印象を悪くしたりもする。

これは本当にもったいない。


言葉巧みになればいいという意味ではない。
私はやたらと饒舌で口八丁な人のことはどちらかというとあまり好きではないし、寡黙で朴吶な人から誠実さを感じることも多々ある。

そうではなくて、自分が発している言葉を見張った方がいいと思うのだ。


◇◇◇見張りが必要な理由◇◇◇◇

その理由は、さきほど書いたように、心ない言葉で人を傷つけたり、自分の印象を損なったりしないように、ということももちろんある。


それに加えて、言葉には「言霊」が宿るという考え方を私は結構信じている。
成し遂げたいことをずっと口にし続ければ叶うというし、実際(それにみあった努力があってこそだけど)実現させた人をたくさん見てきた。
何度も何度も口にすることで、潜在意識に刷り込まれるのだろう。
ポジティブな人はやはりポジティブな発言が多いし、ネガティブな人はネガティブな発言が多い。

「口は悪いけど根はいい人」の存在を否定はしないが、ある程度、口出す言葉のベクトルと内面のベクトルの向きには相関関係があると思う



さらに、脳は主語を認識できない、という学説がある。
どういうことかというと、もちろん意識のうえ(大脳新皮質:理性や知性の脳)では「私」「あなた」「Aさん」の区別がつくが、無意識つまり潜在意識の部分(大脳新皮質以外の感情を司る部分)では主語抜きで言葉を受け取ってしまうのだ。

たとえば、私が「Aさんて美人だね」と言うと、潜在意識は「美人」と言われているのが私だかあなただかAさんだかわからず、「美人だね」だけ吸収する。
つまり自分が「美人だね」と言われているのと同じように脳には作用するのである。

逆に、品のないたとえで申し訳ないが、私が「Bさんってブスだよね」と言ったとしたら、私自身が「ブスだよね」と言われているのと脳にとっては変わらない。


プラスの言葉や褒める言葉を口にすれば、それだけ自分に良い言葉をかけることになり、

マイナスの言葉や悪口を口にすれば、それだけ自分に悪い言葉をかけることになる。



「誉め言葉は人のためならず。」なのだ。


毎日毎日これが積み重なれば、結構な差が出るのではないだろうか。



◇◇◇◇◇◇◇

なんでこんなことを考えるようになったかというと、
私はもともとがネガティブ思考の人間で、放っておくとどんどんネガティブ発言を連発する。
しかも中高6年間を、クラスは女子ばかりという環境で過ごしたため、思春期女子特有の「ちょっとでも目立てば叩かれる」現象を回避するためにひたすら謙虚に謙虚に謙遜を重ねる習慣が骨の髄まで染み込んでしまった。
謙虚も謙遜も行きすぎるともはや卑屈で(笑)周りの人も愉快でないし、私自身にも不必要な自己評価の低さをもたらす。
そんなとき「脳は主語を区別できない」という説を本で読んで知った。

そういう経緯があって、二十歳くらいから自分の言葉に少し気をつけるようになった。
なるべくポジティブな言葉を口にする、卑下しすぎない、人の悪口を言わない。


アラサーになったいまはあまり溜め込むと体によくないかとちょっと自己検閲をゆるめていて(笑)ちょいちょいTwitterにネガティブ発言を転がすこともある。 
お目汚しですが、口に出すよりは文字で書く方がマイナスパワーは小さい気がするし、頭の整理をしているので、フォロワーの皆様におかれましては読み飛ばしていただくか寛大にお許しいただけると幸いです…。

◇◇◇◇◇◇◇
人間、綺麗事ばかりでは生きていけないし、愚痴や悪口を言わなきゃやってられないこともある。それも人間らしい愛すべき一面だと思う。

ただ、日々の発言の大半が愚痴や憎まれ口や悪口では、周りも愉快でないし自傷行為も同然だ。

ためしに少し自分の言葉を見張ってみるのもオススメである。



それでは今日はこの辺で

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年に一度恒例の健康診断も無事終わり、(結果はまだですが)
とりあえず体重と腹囲は問題なし。

そして産まれて初めて
「きれいな肝臓ですね」と誉められました(笑)
き、きれいな肝臓…?

3時過ぎに終了し、低血糖と暑さと空腹でフラフラになりながら(昨日の夜中からなにも食べてない)近くの駅ビルへ駆け込み、サンドイッチを瞬殺してなんとか帰宅したところです。


さて、Twitterを始めてちょうど4ヶ月が経ったちました。
ようやく扱い方にも慣れてきて、楽しみ方も分かってきた、ような気がしています。


◇私のSNS歴◇◇◇
私が初めて触ったSNSはmixiで、当時大流行していましたからほぼ毎日のように日記を書いたり友達のを読んだり、リアルなコミュニティーの延長として使っていました。ちょうど暇な学生時代でしたしね。

で、mixiが下火になった頃Facebookがどーんと流行り、私もそっちへ移動。
mixiで繋がってたリアル友達に加えて、本名の登録だから古い友達も探しやすくて、地元を離れている私にはとても有り難いツールです。公開範囲が設定できるのも安心。
現在も使っています。

あとはLINE。これは連絡ツールとして便利なのでメールがわりに。

で、その間多分ずーっと流行ってはいたんだろうけど全く興味がなく、一度も手を出さなかったのがTwitter(笑)
なんでだろう?140文字という制限に面倒臭さを感じてたのか、もしくはmixiやFacebookで事足りていたので、あえて手を出す気にならなかったのか…。おそらく一番大きな要因は、リアル友達以外の匿名の人達とネットで繋がるということにピンと来なかったことだと思います。



◇はじめてのTwitterに挑戦した理由◇◇◇
そんな私がどうしてTwitterを始めたかというと、理由はただひとつ、仕事の参考にするためです。
あ、ごめんなさい嘘つきました。もうひとつ、ふなっしーの情報が欲しいからです。。
その2つです。

全く未知の「webライター」という世界に突然足を突っ込んだ私は、その世界の全体像も分からなければ、具体的にどんなメディアがあるのか、どんな人達がそこで活動してるのか、どんな情報が流通しているのか、その世界では何が「良し」とされているのか、さっっっぱり分かりませんでした。

だから、Twitterでそういう世界に属する人達とうっすらとでも繋がり、どんな活動をしていてどんな発言をするのかに触れれば、少しでもその世界の片鱗が見えるんじゃないか…そんなふうに思ったんです。
藁をもつかむ、とでもいいましょうか。

そんな思いで始めたTwitter、やはり何人かライターさんやエディターさん、webメディアにかかわる方々をフォローしていると、これまで自分がいた世界とはぜんっぜん違うなと強烈に思いました。
もちろん社会人として必要とされるマナーやスキルは基本的には変わらないんですが、やはり「良し」とされる価値観が違います。
たった4ヶ月しか覗いていない私の短絡的な見解ですが、
「既存の概念にとらわれず個性的であること」
「文化的であること」
「人の心に何かひっかかること」
「予想の斜め上をいくこと」
「とにかく新しいこと」

これらが良しとされているのかな?と感じています。

ただしこれは、webメディアに関わってらっしゃるかたのうちでTwitterを利用されていて、かつ私がツイートを拝見してる方というごくごく一部の方のみへの印象ですから、非常に偏っているかもしれません(^-^;

そして、webというまだまだ未開拓なビジネスフィールドで、いかに新しい価値を創っていくか、つまりはビジネスチャンスを見出だして形にしていくか、ということに注力されているようにも感じます。

とにかく日々発見、勉強です。
特に、具体的にライティングの基礎やポイントに言及されている方のツイートなんて永久保存版です!!自己流で変な癖がつく前に、そういう基本に触れる機会が出来たのは、Twitterに飛び込んでみたからこその大きな収穫でした。


◇たった140文字でも伝わる。◇◇◇
webメディアの世界で働いている方、広く文筆業関係の方、ふなっしー関連ww、以外にも、純粋に「このツイート面白いな」と思った人のページに行ってみて、過去を遡って読んでみてやはり面白ければ、年齢性別職業関係なくフォローしています。ブログにお邪魔している方も何名かいます。

興味深いことに、私が「面白い」と思った人のツイートはやはり多くの人にとって面白いようで、その人のページに行ってみるとフォロワー数が桁違いで驚くことが多いです。

でも一方で、フォロワー数がめちゃくちゃ多くてあらゆる人が反応するので、私自身がフォローしていなくてもその人のツイートが私のタイムラインに流れてくることも多いのですが、読んでも「何が面白いのかさっぱりわからない」場合や、「気のきいたこと言ってる風だけどかなり偏っていて共感できない」場合も多々あります。


たった140文字ですが、人柄や感性が出るんですよね。
これはそっくりそのまま自分にも言えることなので、Twitterに限らず仕事で書く記事でも、その文章を通して私の人柄や個性はどう読者の心にうつるのか、少し気にしてみるきっかけにもなりました。

私は、Twitterでは直接面識のある人とは一人も繋がっていません。(仕事で、電話やメールでのやり取りがある方は数名いますが。)なので、その人に対して抱く印象は完全にTwitter経由のみ。それでも数日もフォローしていれば、よっぽど相手がブランディングやネタのためにキャラを作っていない限り、人となりがだいたい分かってくるので不思議なものです。

これは私が特に昔から、自分と感性の合う人を見つけるのが好きで、断片的な情報からその人の像を結ぼうとする習慣があるからなのかもしれませんが、
たとえば何をツイートしたいと思うか、その事柄についてどういう面を重視しているのか、それをどういった言葉を選択して、どういう語調で表現するか。。という一連の行為に、思考回路、感性、価値観、波長が現れます。
しみじみ面白いです。

価値観の合う人のツイートは読んでいて心地よく、合わない人のツイートは読んでいて疲れます。もしくはイライラします(笑)

おそらく、読んで心地よい方とは直接会えば気が合うでしょうし、逆もまた然り。まだ証明されてはいませんが、まぁきっと近いうちに。


◇情報を取捨選択する力◇◇◇
Twitterのタイムラインというのは様々な人の様々な発言で溢れており、そこには正負の感情や勢いも同時に詰まっています。上手に距離をとらないと、当たるというか酔うな、というのも4ヶ月使ってみての率直な感想です。

また、これは匿名性のネットの特性なのかもしれませんが、なにかひとつホットなトピック(最近ですと国立競技場問題とか)が起こると、議論とは呼べないレベルの学級崩壊のような現象がそこではおこります。各々浅い知識で勝手なことをいい、極論をぶつけ合い、ストレスをぶつけるかのように罵倒しあい、そしてときたま上から目線で纏めようとする人物があらわれる…
というような具合です。
言論の自由ですから、どれだけ浅い知識で何を言おうが自由なのですが、あまりに浅はかで極論で、揚げ足の取り合いのようなやり取りを見ていると、正直「これだから日本はダメなんだよ…」と思えてきますし、一個一個読んでしまう私みたいなタイプはものすごく消耗します。
もう懲りたので、今ではそういう人のツイートは読まない、と決めています。

いろいろな人がいますので、自分を守ることも大切です。


そして、時々Twitterの中にいて混乱するのは、マジョリティでいることはむしろマイナーで、マイノリティーでいることがメジャーもしくは優れているというような、多少倒錯した価値観が少なからず存在するように感じます。 個性重視、の空間だからかもしれませんが、それはそれで1つの価値観、と割りきって、いちいち自分の立ち位置を照らし合わせる必要はないなというのも気付きです。


☆文字数が限られているからこその醍醐味◇◇◇
ここまで、
Twitterを始めた経緯や4ヶ月なりの雑感を述べてきましたが、
今のところ、Twitterに飛び込んでみてよかったと思っています。

上に書いたようなことを心に留めつつ上手に使えば、自分の見識はどんどん広がり、多くの学びが得られます。私にとっては、読んでいて心地よく、こころから共感できる文章、言葉選びが秀逸だと思える文章に出会えることはこの上ない喜びです。また、そういう文章を編み出す方々との交流によって、自分自身の感性も刺激され、仕事にも活かされます。

…和歌の31文字とは凝縮度が比べ物になりませんが、140文字に表れる「詠み人」の心の内に思いを馳せるのも、なかなか趣あるものです。

ただその趣を感じるためには、フォロイーさんを上手に選ぶ必要がありますが…(笑)
私はいまだに、try&errorですよ!





では、今夜はFNS歌の夏祭りに、私の愛するたこ焼き頭の梨の妖精が出るので、この辺で







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こんばんは、今日はもうすっかり夜中になってしまいましたお月様

夜遊びしていたわけではなく、一件仕事が詰めの段階に入りつつあります。

まだ未発表の記事なので詳しくは書けませんが、
吉原初めての取材記事に取り組んでおります。

これまでは「コスメレビュー」や「ライフハック」「美容や健康についての情報発信」「恋愛コラム」的な記事が多かったので、一人での執筆作業がほとんどでした。

取材対象者を見つけ、取材を申込み、ご承諾いただけたら基本的な構想から細かい内容まで先方と詰めていく…という作業は、
当然マニュアルなどあるわけもなく、すべて手探りで、緊張感のある日々です。

私はライターでいわば媒介者。
取材対象者が発信したい、伝えたいと思っていることを、正確に、よりわかりやすく読者に届けるのが仕事です。

なので、取材対象者が発するたくさんの言葉を整理し、ひとつの流れにまとめていきながらも、その真意が決してぶれず、むしろよりクリアに伝わる表現を探して文章化しなければいけません。

人間は自分が経験したことのある事柄や感情については言語で表現しやすいのですが、未経験の部分についてはなかなかしっくりくる言語表現がみつからない…。想像で補っても、的確とは言いがたいのです。
私も例に漏れずそのタイプで、今回もその点で苦戦した箇所がありました。

取材対象者も、「ここ、伝えたいことははっきりあるんですけど、それをうまく言葉で説明できなくてもどかしい……」と悩んでいらっしゃったので、
とことん繰り返し話し合い、噛み砕いて質問をし、そこで得られた回答の背後にある気持ちまで伺いました。その解釈をもとに論旨をつないで表現を補い、修正に修正を重ねた文章をお見せしたところ、

「これです、まさにこれ!ばっちりです!的確に、簡潔にまとめてくれてありがとうございます!」

とのお言葉。


本当に、心から嬉しかったです。


……すみません、やっていることはフツーなんです。
編集者さんや記者さん、ライターさんなら365日やっているであろうことなのですが、
なにぶん初めてなもので自分の中ではプチエポックメイキングで。
新入社員の日報みたいな青臭い文章ですが、
ゆるしてください。 
ひよっこライターなので、アラサーだけど新入社員のようなものなのですヒヨコ


もちろん原稿はまだまだ完成ではなく、私の中での推敲作業や写真のレイアウト考案、編集スタッフさんによるチェック後の修正もあります。

道のりは長いですが、
誰かと感覚を共有し、それを的確な言葉で文章化できたというささやかな喜びを励みに、
完成まで頑張ろうと思います。


……心おれそうになったら、今日のブログを読むことにします(笑)


さて、すっかり深夜も深夜なので、SKⅡステムパワーアイクリームをがっつり塗って、いやケチケチ大切に塗って
よく眠りますにひひ



いまも雨がザーザー降っていて、クローゼットの水取りぞうさんが、ものすごいスピードで水を吸っています……叫び カビ対策、必須ですねDASH!

それではおやすみなさいクローバー
皆様良い週末を!あ、7/4はふなっしーの誕生日ですから、それもお忘れなく!!ドキドキ


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