夫にブログを読まれた。

夜、いつもの習慣でアクセス解析をしていたら、閲覧者のドメインに夫の職場ドメインを発見したのだ。

そういえば、最近作った名刺にはblogのURLが印刷してある。それを夫に渡したんだった。なんて迂闊な私…!
困惑してすぐさま夫にLINEした。
「ブログ読んだでしょ!?名刺でURL分かったんだよね?あー失敗した…」

すると返事
「え?なんのこと?吉原由梨で検索したら出てくるよ」


そりゃそうか…。ブログだもんな…。

改めて自分の迂闊加減にげんなりした。


これまで、ブログを書いていることは夫にも話していたが、見せたことは1度もない。
読まれてやましいことは別にないのだが、なんとも言えず恥ずかしいのである。


もともと我が家はオープンだ。夫婦のプライバシー云々にはあまり厳密ではない。
もちろん夫の仕事用PCには触らない、書類をいじらない、封書を勝手に開けないなど常識レベルのプライバシー観念はある。
でも、お互いのスマホのロック用指紋認証にはお互いの指紋も入っていて、単純に便利だから特に意識もせず相手のスマホを使うこともある。よく「夫の携帯を見たらろくでもないことしか出てこない」というが、いまのところろくでもないことは出てこない。もしかしたら単に、わたしが「ろくでもないこと」を探そうとしていないだけかも知れないが。
私のスマホにも、見られて困るようなものは特にないと思う。あ、フリマアプリのお気に入りリストくらいだろうか。


そして、私が仕事で書いた記事もほぼ全て読んでいる。
というか、私が読ませている(笑)
彼は文筆業とはなんの縁もないが(書いても専門書くらい)、何気なく的確な指摘をするのだ。
「タイトルがいまいちキャッチーじゃない」
「斜め読みしづらい」
「情報量が多すぎる」
「文章が説明的」
「論文じゃないんだから」
など、超上から目線のアドバイスをくれる。
悔しいが、なかなか的をえているし、身内だけに遠慮なく言ってくれるので、結局毎回読んでもらっている。
私の記事を読んでくださったことのある方はお分かりだろうが、恋愛ネタも多い。実体験をもとにした内容もあるが、彼はその手の記事も顔色ひとつ変えないで読み、超上から目線のアドバイスか、「うん、今回はいいんちゃうか」という誉め言葉のみ発する。まぁ、所詮過去は過去だと思っているのだろう。


だから、ブログを読まれてもなんら困ることはないのである。
夫の悪口を書いてる訳でもなく、昼顔願望を綴っているわけでもない。
なのになぜか恥ずかしい。

この不思議について自分なりに考えてみた結果、
思うにブログは私にとって、おそらく非常にプライベートな空間なのだ。
全世界に公表しておいてプライベートも何もないのだが、スマホの中にもない、仕事の記事にもないプライベート空間が、ブログの中には広がっている。

仕事で書く記事はまず「何が読まれるか」ありきだ。読み手のニーズを想像し、読み手が読む過程を想像しながら書く。読み手の存在を強く強く意識している。

対してブログは、私の経験、感じたこと、考えていることを自由に書いている。もちろんブログとして公開する以上読み手の存在は意識するし、自分の書いたことが誰かを楽しませたり心に染みていってほしいと願っている。
でも、仕事で書く記事とではその比率が違う。ブログは、私自身の心や頭の整理、感情の吐露という側面も多分にある。思考回路や、心の奥底がチラチラっと姿を現すこともあるのだ。

そして、そこに現れている私は、日頃夫が見ている私と完全には一致しないかもしれない。
夫の前で自分を偽っているとか、演じているとかそういうことではない。が、私が彼の心の奥底や内面の全てを知り尽くしているとは言えないのと同様に、彼もまた私の心の全てを知り尽くしているわけではない。
故意に隠していなくても、出ていない部分もあるのだ。「一人モード」のときの私、とでも言おうか。

そういう「一人モード」のときの私が、このブログには顔を出している。

それを見られるから、恥ずかしいのであろう。
おかしな喩えだが、1人で部屋にいる姿を「実は録画してました」と言われたような気分なのだ。


夫以外の読者さんには、読んでいただければいただけるほど嬉しいので、「恥ずかしい」の感情は夫にしか発生しない。
一番身近なのに、一番見られて恥ずかしい。

夫婦と言うのは不思議な関係だ。


しかしすでに一度見られてしまったし、私も「絶対もう読まないで!」とは言っていないので、彼はまた何度でも読みに来るだろう。私ももう腹をくくって、書き続けるのみだ。


ところで、ブログを読まれた当日、夫に感想を求めたところ
「俺の花火の写真さすがに綺麗やな」(花火大会の写真は彼が撮影したものを拝借した)
他には?
「旦那さんええ人やな」(自分について書かれた記事に満足したらしい)
他には?
「日常感あってええんちゃうか」


日常感?


「由梨、普段あんなことも考えてるの?知らなかったよ。」ではなく、日常感…。


…私が散々見られて恥ずかしいと感じ、自分で「プライベート空間」だの「一人モードの私」だのと思っていた部分は、彼はもうとっくに知っているのかもしれない。

追究はしないが、つくづく夫婦というのは不思議だ。

結婚何年目になれば「夫婦」を語れるようになるのだろうか。
人生の先輩方にお訊きしたい気持ちでいっぱいである。