マンションの契約更新の時期が来た。

また高い更新料を払うと思うとため息しかでないが、住める家があるだけありがたいと思おう。と、自分に言い聞かせている。

これで2回目の更新なので、今のマンションに4年近く住んだ。
遡っていくと文京区に3年、世田谷区に1年半、文京区に3年半、杉並区に1年半。

もう東京に来て13年近い。

■田舎娘、東京へいく
地方の田舎娘だった思春期の私は、とにかく東京に行きたかった。
親が厳しくて、高校を卒業するまでは携帯電話禁止、男女交際禁止、女友達の家であっても外泊禁止。

そんな家庭だったので、
もうとにかく親元から離れたい!
そして娯楽がある華やかな場所に行きたい!
それなら東京だろう!

ということで、私の進路は
「とりあえず東京にある大学にいくこと」と中学3年生で固く決意した。The 不純。

その決意と努力の甲斐あってか、無事に志望大学に合格し、華の東京ライフがスタートした。

……はずだった。


蓋を開けてみると、東京は恐ろしいところだった。
まず人が多い。渋谷駅の井の頭線乗り場へ向かう通路。この人通りはなんだ!?スクランブル交差点は毎日が夏祭りなのか!?電車の恐ろしい混雑はなんなんだ!?
そしてみんな歩くのが速い。のんびり歩いてると押し流されそうになる。前に進めない。

どんなに都会に憧れても体内リズムが田舎仕様の私には、東京の人口密度とスピード感は息苦しく感じられ、

1週間でホームシックになった。はやっ

入学式に出るために上京してくれた母の顔をみたときどんなに嬉しかったことか……!
母が田舎へ帰る前夜、明日からまたこの東京の狭いワンルームに一人なんだと思うとこっそりベッドで泣いたくらいだ。

あんなに親元から離れたいー!と執念を燃やしていたのに、情けない話である。


もちろん、しばらくすれば恐い東京にも少しずつ慣れていき、友達も増えて、それなりにおしゃれをして、恋をして、東京で過ごす楽しさがちょっとずつ分かってきた。

それでも、長期休暇に入るとさっさと帰省して、地元でだら~っと力を抜いてひたすら英気を養わずにはいられなかった。一人あたりの空間の広さ!美味しい空気!ゆったりした時間の流れ!懐かしい友達!
まさに東京で消耗して、地元で充電して、また
東京で消耗して……そのサイクルの繰り返しだった。



少しずつ変化する故郷への思い

詳しく書くと長くなりすぎるので省略するが、私は東京生活の最中にややこしい病気を患ったせいもあって、節目節目で「地元に帰って職を探そうか」「結婚は地元の人としようか」と家族のいる故郷に戻ることを検討してみた。病状はかなり深刻だったのだ。

でも結局帰らなかった。

理由はまぁいろいろあったが、
つまるところ、ホームであるはずの故郷にいるときの「ホーム感」が少しずつ減っていたこと、そして一度はホームシックにより美化されていた故郷の、良いところ悪いところを段々冷静に見られるようになったことが大きかった。

実家を出て何年もたつと、街の様子も、家の中の様子も変わる。昔の友達もそれぞれの人生を歩んでいて少しずつ価値観がずれてくる。(もちろん、ずれることなく一生つきあいたい友人もいる)
そして私自身も変わる。
東京で広い世界を見てしまうと、田舎のしがらみが面倒くさく感じられる。ずっと地元にいる人の一部に見られる独特の視野の狭さ、井の中の蛙感、そういったものも冷静に見つめられるようになった。

ここは愛する故郷だけど、一生を暮らす場所ではないな、と私の中のなにかが判断したのだ。


ただし、あくまでもこれは私のケースに限った話だ。ずっと故郷で心豊かに幸せに暮らす人はたくさんいる。
私は凡庸な人間なので、一度離れないと故郷を客観的に見られない。
自意識過剰さゆえに、狭い地元で少しでも名が知れて「肩書き」がつくと、どこへ行ってもそれにふさわしい振る舞いをしなければと勝手に気負う。
人目を気にするので、古い世代から「当たり前」とされる女の人生のレールに乗っていないと、落伍者のように言われるのに耐えられない。

そんな私に田舎暮らしは向かない。
単なる向き、不向きの話。


ホームになった東京

いまもって、私の体内リズムは田舎仕様だ。東京のスピード感についていくには心身のギアをアップしなければいけない。
人口密度の高さ、満員電車は狂気の沙汰。
バカ高い家賃もどうかと思う。
空気は汚いし、交通騒音もひどい。
そして個人主義で、無縁社会で、ともすれば砂漠とまでいわれる東京。

でも、いまやここが私のホームだ。
憧れの華やかな都会でもなく、恐い場所でもなく、ひたすら日常をつみあげる場所。

確実に何かを消耗している。
でも、ここで充電もできる。
そうなったのは、単純な慣れ、引っ越しを繰り返して物理的に居心地のいい空間を見つけたこと、そして13年かけて友人知人の輪という精神的な居場所を得たことによるんだろう。

何より私が魅力に感じるのは、群衆に紛れられることだ。
何者でもない自分になれる瞬間が、ここにはある。
レール通りの人生を歩めない人間には、このうえなくありがたい。


最近、興味深い話を聴けた。
東京生まれ、東京育ちのその方は、
「私がかつて育って好きだった東京はもうない。」と語っていた。「変化するのが東京の宿命のようなものだ」と。

変化を苦手とする私には少々都合の悪い証言だったけれど(笑)東京出身の方のそういう視点は新鮮だった。
果たして自分が変化についていけるかーーやってみないことには分からないが、変わらない確かなものも私は東京で得ていると信じて、根を張るべく日々を積み重ねようと思う。

槇原敬之さんの『遠く 遠く』はいつ聴いても心にしみいる。
『遠く遠く 離れた街で
 元気に暮らせているんだ
 大事なのは“変わってくこと” 
 “変わらずにいること”

 僕の夢をかなえる場所は 
 この街と決めたから           』