アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

Twitter:@yuriyoshihara 

仕事

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年に一度恒例の健康診断も無事終わり、(結果はまだですが)
とりあえず体重と腹囲は問題なし。

そして産まれて初めて
「きれいな肝臓ですね」と誉められました(笑)
き、きれいな肝臓…?

3時過ぎに終了し、低血糖と暑さと空腹でフラフラになりながら(昨日の夜中からなにも食べてない)近くの駅ビルへ駆け込み、サンドイッチを瞬殺してなんとか帰宅したところです。


さて、Twitterを始めてちょうど4ヶ月が経ったちました。
ようやく扱い方にも慣れてきて、楽しみ方も分かってきた、ような気がしています。


◇私のSNS歴◇◇◇
私が初めて触ったSNSはmixiで、当時大流行していましたからほぼ毎日のように日記を書いたり友達のを読んだり、リアルなコミュニティーの延長として使っていました。ちょうど暇な学生時代でしたしね。

で、mixiが下火になった頃Facebookがどーんと流行り、私もそっちへ移動。
mixiで繋がってたリアル友達に加えて、本名の登録だから古い友達も探しやすくて、地元を離れている私にはとても有り難いツールです。公開範囲が設定できるのも安心。
現在も使っています。

あとはLINE。これは連絡ツールとして便利なのでメールがわりに。

で、その間多分ずーっと流行ってはいたんだろうけど全く興味がなく、一度も手を出さなかったのがTwitter(笑)
なんでだろう?140文字という制限に面倒臭さを感じてたのか、もしくはmixiやFacebookで事足りていたので、あえて手を出す気にならなかったのか…。おそらく一番大きな要因は、リアル友達以外の匿名の人達とネットで繋がるということにピンと来なかったことだと思います。



◇はじめてのTwitterに挑戦した理由◇◇◇
そんな私がどうしてTwitterを始めたかというと、理由はただひとつ、仕事の参考にするためです。
あ、ごめんなさい嘘つきました。もうひとつ、ふなっしーの情報が欲しいからです。。
その2つです。

全く未知の「webライター」という世界に突然足を突っ込んだ私は、その世界の全体像も分からなければ、具体的にどんなメディアがあるのか、どんな人達がそこで活動してるのか、どんな情報が流通しているのか、その世界では何が「良し」とされているのか、さっっっぱり分かりませんでした。

だから、Twitterでそういう世界に属する人達とうっすらとでも繋がり、どんな活動をしていてどんな発言をするのかに触れれば、少しでもその世界の片鱗が見えるんじゃないか…そんなふうに思ったんです。
藁をもつかむ、とでもいいましょうか。

そんな思いで始めたTwitter、やはり何人かライターさんやエディターさん、webメディアにかかわる方々をフォローしていると、これまで自分がいた世界とはぜんっぜん違うなと強烈に思いました。
もちろん社会人として必要とされるマナーやスキルは基本的には変わらないんですが、やはり「良し」とされる価値観が違います。
たった4ヶ月しか覗いていない私の短絡的な見解ですが、
「既存の概念にとらわれず個性的であること」
「文化的であること」
「人の心に何かひっかかること」
「予想の斜め上をいくこと」
「とにかく新しいこと」

これらが良しとされているのかな?と感じています。

ただしこれは、webメディアに関わってらっしゃるかたのうちでTwitterを利用されていて、かつ私がツイートを拝見してる方というごくごく一部の方のみへの印象ですから、非常に偏っているかもしれません(^-^;

そして、webというまだまだ未開拓なビジネスフィールドで、いかに新しい価値を創っていくか、つまりはビジネスチャンスを見出だして形にしていくか、ということに注力されているようにも感じます。

とにかく日々発見、勉強です。
特に、具体的にライティングの基礎やポイントに言及されている方のツイートなんて永久保存版です!!自己流で変な癖がつく前に、そういう基本に触れる機会が出来たのは、Twitterに飛び込んでみたからこその大きな収穫でした。


◇たった140文字でも伝わる。◇◇◇
webメディアの世界で働いている方、広く文筆業関係の方、ふなっしー関連ww、以外にも、純粋に「このツイート面白いな」と思った人のページに行ってみて、過去を遡って読んでみてやはり面白ければ、年齢性別職業関係なくフォローしています。ブログにお邪魔している方も何名かいます。

興味深いことに、私が「面白い」と思った人のツイートはやはり多くの人にとって面白いようで、その人のページに行ってみるとフォロワー数が桁違いで驚くことが多いです。

でも一方で、フォロワー数がめちゃくちゃ多くてあらゆる人が反応するので、私自身がフォローしていなくてもその人のツイートが私のタイムラインに流れてくることも多いのですが、読んでも「何が面白いのかさっぱりわからない」場合や、「気のきいたこと言ってる風だけどかなり偏っていて共感できない」場合も多々あります。


たった140文字ですが、人柄や感性が出るんですよね。
これはそっくりそのまま自分にも言えることなので、Twitterに限らず仕事で書く記事でも、その文章を通して私の人柄や個性はどう読者の心にうつるのか、少し気にしてみるきっかけにもなりました。

私は、Twitterでは直接面識のある人とは一人も繋がっていません。(仕事で、電話やメールでのやり取りがある方は数名いますが。)なので、その人に対して抱く印象は完全にTwitter経由のみ。それでも数日もフォローしていれば、よっぽど相手がブランディングやネタのためにキャラを作っていない限り、人となりがだいたい分かってくるので不思議なものです。

これは私が特に昔から、自分と感性の合う人を見つけるのが好きで、断片的な情報からその人の像を結ぼうとする習慣があるからなのかもしれませんが、
たとえば何をツイートしたいと思うか、その事柄についてどういう面を重視しているのか、それをどういった言葉を選択して、どういう語調で表現するか。。という一連の行為に、思考回路、感性、価値観、波長が現れます。
しみじみ面白いです。

価値観の合う人のツイートは読んでいて心地よく、合わない人のツイートは読んでいて疲れます。もしくはイライラします(笑)

おそらく、読んで心地よい方とは直接会えば気が合うでしょうし、逆もまた然り。まだ証明されてはいませんが、まぁきっと近いうちに。


◇情報を取捨選択する力◇◇◇
Twitterのタイムラインというのは様々な人の様々な発言で溢れており、そこには正負の感情や勢いも同時に詰まっています。上手に距離をとらないと、当たるというか酔うな、というのも4ヶ月使ってみての率直な感想です。

また、これは匿名性のネットの特性なのかもしれませんが、なにかひとつホットなトピック(最近ですと国立競技場問題とか)が起こると、議論とは呼べないレベルの学級崩壊のような現象がそこではおこります。各々浅い知識で勝手なことをいい、極論をぶつけ合い、ストレスをぶつけるかのように罵倒しあい、そしてときたま上から目線で纏めようとする人物があらわれる…
というような具合です。
言論の自由ですから、どれだけ浅い知識で何を言おうが自由なのですが、あまりに浅はかで極論で、揚げ足の取り合いのようなやり取りを見ていると、正直「これだから日本はダメなんだよ…」と思えてきますし、一個一個読んでしまう私みたいなタイプはものすごく消耗します。
もう懲りたので、今ではそういう人のツイートは読まない、と決めています。

いろいろな人がいますので、自分を守ることも大切です。


そして、時々Twitterの中にいて混乱するのは、マジョリティでいることはむしろマイナーで、マイノリティーでいることがメジャーもしくは優れているというような、多少倒錯した価値観が少なからず存在するように感じます。 個性重視、の空間だからかもしれませんが、それはそれで1つの価値観、と割りきって、いちいち自分の立ち位置を照らし合わせる必要はないなというのも気付きです。


☆文字数が限られているからこその醍醐味◇◇◇
ここまで、
Twitterを始めた経緯や4ヶ月なりの雑感を述べてきましたが、
今のところ、Twitterに飛び込んでみてよかったと思っています。

上に書いたようなことを心に留めつつ上手に使えば、自分の見識はどんどん広がり、多くの学びが得られます。私にとっては、読んでいて心地よく、こころから共感できる文章、言葉選びが秀逸だと思える文章に出会えることはこの上ない喜びです。また、そういう文章を編み出す方々との交流によって、自分自身の感性も刺激され、仕事にも活かされます。

…和歌の31文字とは凝縮度が比べ物になりませんが、140文字に表れる「詠み人」の心の内に思いを馳せるのも、なかなか趣あるものです。

ただその趣を感じるためには、フォロイーさんを上手に選ぶ必要がありますが…(笑)
私はいまだに、try&errorですよ!





では、今夜はFNS歌の夏祭りに、私の愛するたこ焼き頭の梨の妖精が出るので、この辺で







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人気ブロガー小林トシノリさんが、
こんな記事を書いてらっしゃいました。


「妥協」にならない、完璧主義のやめ方(仕事編)
http://enrique5581.net/not-compromise-perfectionism-stop-work/


耳が痛いですねー。
家族にも友人にも医者にも「完璧主義だねぇ」と言われ続けてウン十年の私には、そうだねぇそうだねぇと頷くご指摘ばかり。
あ、ただ私は期限は守りますよ。
「完璧じゃないから納期きたけどまだ出さない」とかそんなとんでもないことは言いません。むしろ、途中で体調不良で停滞してもいいように「自分納期」はクライアント納期の最低でも3日前です。

ただ、私の何がやっかいかというと、生来は怠け者のくせに、完璧主義なんです

そんなストイックな日々を送りたいわけでもないダラダラした人間で、なるべくのんびりしていたいのに、やるとなると自分にえらく高い要求を突き付ける。
結果、怠け者の自分に鞭打って完璧主義者的結果を出そうとするので、その過程は大変なハードシップになってしまい、人の何倍もの精神力と自律心を必要とします。

もう本当に厄介です。

どのくらい厄介かというと、、

■怠け者の完璧主義者が歩むいばらの道

中学三年→英単語を3000語覚えろという母校独特の鬼のような試験があり、勉強なんて嫌いなのに受けるからには合格したい私は仕方なく勉強する。なんか連日胃がキリキリムカムカするようになり、おかしいなぁと思い親に症状を説明したら、「それ胃潰瘍のはしり」と言われて薬を与えられる。結果合格。

(うちは中高一貫だったので高校受験はありません)

高校一年→校内弁論大会でクラス代表になり、そんなの適当にやっときゃいいのに立派にやろうと思うあまり本番2時間前から吐き気を催し、直前に吐く。結果入賞。

放送部のお仕事で校内行事の司会(数えきれないくらいやった)→さすがにこれは吐きはしないが緊張で吐き気に苦しむ

高校→勉強が嫌いなのに、勉強が好きな人しか行かない大学に目標を設定してしまい、決めたからには絶対合格したくて、過酷な受験勉強に息切れ。

大学入試センター試験→「ここでしくじったらすべて水の泡」のプレッシャーで当然吐く

二次試験→いわずもがな

大学一年→周りの優秀な同級生と同じ試験を受けることにとんでもないプレッシャーを抱き、試験期間はずっと体調不良。食べられない、お腹が痛い、吐き気、とにかくありとあらゆる不調。
試験後胃カメラ。
(そして蓋をあけてみると以外と成績がよかったりする)

これ、在学中四年間続きます。

すべてに共通するのは、

別に誰も強制してないのに勝手に目標を高く掲げ自分を追い詰める
頑張るのはいいことだが頑張りすぎる
結果がすべてだと思っている
身体に影響がでまくる
悲観的


面倒くさい人間ですね~。何より自分が一番しんどいです。


仕事をするようになってからも基本的にはかわりません。
ただ、自分との戦いだけしてればよかった学生時代とは違って、チームで仕事をする場合その仲間、カウンターパートがいる場合そちらの利益も関係してきますから、少し私の完璧主義も現れかたが変わってきました。
「人に迷惑をかけてはいけない」というプレッシャー、
「ミスは許されない」というプレッシャー、
「常に評価されている」というプレッシャー、
「速く成長しなければ」というプレッシャー。

いま考えれば、新卒の新人に誰も完璧を期待しているわけもなく、新人のミスなんて計算のうち、むしろ失敗しながらじっくり成長してほしいと思われていただろうに、

自意識過剰な私は一人プレッシャー地獄へズブズブと沈んでいったわけです。自滅。


教授秘書への転職後は、 民間企業のように利潤追求を目的としない分ノルマも営業成績もなく、そういう点では精神的に楽でした。
ただ、どこにいっても良い点悪い点あるもので、結局またプレッシャー地獄に陥ります。
どういすうことかというと、チームで仕事をするわけではなく、私一人で研究室の業務を回していたので、とても神経を消耗しました。
大学院生にかかわる手続きというのは、博士論文審査のための書類作成や、奨学金の申請、留学生受け入れのための大使館とのやりとりなど、学生の進路を決定付ける非常に重要なものが多く、きっちりとした正確さとスケジュール管理が必要とされました。学生は50人います。
そして上司の教授は、典型的な「事務的なことどうでもいいよ」タイプなので、大学から来ている重要なメールなどもほぼスルーです。

そうなると、私の預かり知らないところで期限は着々と近づき、下手すると過ぎ、真っ青な顔をした学生が「どうしよう!」と私のところへ駆け込んでくるわけです。
私 ポカーン。

学生と一緒に状況を把握し、方々に謝罪して回って期限をなんとか延ばしていただき猛スピードで準備します。そんなことが何度あったかわかりません。大学のあらゆる部署から苦情催促のメールを受けまくりました。謝る技術は上がりましたね…。

そういうことがあった翌日、一連の経過を報告すると定番のお言葉「ぼくはアカデミックな本質的なことはやるけど、つまらない事務事はどうでもいいんだよ」

・・・でしたらそのつまらないどうでもいい事務事は私がやりますので、全部私に転送してください!!(アルカイックスマイルで話しつつ、内心はらわたが煮えくり返っている)


そんな具合でしたので、新卒の頃とは別の意味での「私が見落としたらダブルcheckする人は誰もいない。きっちり網羅しないと」というプレッシャーが半端なく、責任感から来る完璧主義に日々苦しみました。

唯一の救いは、ここでは私の完璧主義は私自身を苦しめはしたものの、仕事を全うすると言う観点では役に立ちました。(上司いい加減、秘書いい加減だと、想像するのも恐ろしいカオスが待ってますからね…。)


☆二の轍、三の轍…いや十の轍を踏まないために


とまぁこんな具合に自分の性格はよーくよーく分かっているので、
現在のライターの仕事も
健康を損なわず、細く長く、positiveに続けることを第一に考え
○無理かもと思う量を引き受けない
○ストレスで健康を害するほど根詰めるならやめる
○原稿の質も完璧を求めない
○性急に結果(アクセス数、収入など)を求めない


という大原則
をいつも意識しています。

これは、現在も私自身が完全な健康体でないこと、そして私の本業は主婦として多忙な夫を支えることである、という2つのことも理由です。(時代錯誤かもしれませんが、主婦業が疎かになるような働き方はしないと決めています)

参考 専業主婦に憧れる女子たちへ vol.1 ~私はなぜ専業主婦になったのか~ |
専業主婦に憧れる女子たちへ vol.5 ~結局どうなの専業主婦!?~


ありがたいことに、先月担当コラムの本数を大幅に増加しないかというオファーをいただきました。ほぼ倍増です。
とても光栄なことですし、やりたい気持ちもありました。
下積み期の仕事人としては、一も二もなく二つ返事で引き受けるべきでしょう。
でも、引き受けたら私はきっとプレッシャーで眠れなくなり、胃がいたくなるまで根を詰めます。
本数をこなすためにやっつけ仕事の原稿を量産し、そのことにストレスを感じるでしょう。

手に取るように分かります。

ですので、大変申し訳ないのですが、倍増はお断りし、微増、にさせていただきました。(他にも大人の事情もありました)

仕事人失格かもしれませんが、「自分の気質、体質とつきあっていく」とは、そういうことだと割りきっています。


そして、
「まいっか」←小林さんも実践されてるそう
「何事も適当に←ふなっしーの名言
を敢えて口癖にし、ともすれば完璧主義にぐぐぐーっと傾きそうな自分に歯止めをかけるようにしています。


適当万歳!といいたいわけでは決してなく、
何事も
真剣になるのは良いけれど、深刻になるのは良くない
と思うのです。
深刻になってしまうと、取り組むことや頑張ることそのものが苦行になってしまい、思考回路もどんどん悲観的になります。下手すれば健康を損ねます。
最悪のケースを仮定してそれに備えるのは大切なこと。でもそれは淡々と備えれば良いのであって、憂いや深刻さを伴う必要はありません。



☆完璧主義も、役に立つこともある

ここまでの話では、私がいかに完璧主義に苦しんできたか、いまいかにそれと付き合っているか、という「完璧主義撲滅論」になってしまいそうですが、
そう悪いことばかりではありません。

先程秘書の業務において、自分は苦しかったが業務を全うするうえでは役に立ったと書いたように、効を奏する場面もあるのです。

たとえば、
私は数年前に大事な友人の結婚披露宴で友人代表スピーチを頼まれました。
「緊張で吐くから勘弁して…」と断ってしまえばそれまでですが、大好きな友人の晴れの舞台で一役かえるなんて幸せなことです。
あえて引き受けることにしました。

やるからには、この上なく喜ばれるスピーチをしようと思いました。(早速完璧主義の私がムクムク顔を出しますw)
緊張に対処するには周到な準備しかありません。一ヶ月前から原稿を書き、起承転結、友人の人となり、ユーモア、二人のなれそめ、友人としての心からの祝福が漏れなくダブりなく入っているか、マナー的に問題がないかをひたすらチェック。
声に出して読んでは時間を計る。親しい友人二人に聞いてもらい、忌憚のない意見をもらう。推敲する。
最終的にはデジカメで動画を撮影しながら一人リハーサルを暗記するまで何度も何度もこなす、という仕事のプレゼン張りの準備をしました。

個人的に、スピーチを読み上げるのはみっともないと感じるので、完全に頭にいれて、でも万一のお守りのために小さく畳んだ原稿をハンカチと一緒に手にもって(ここら辺に心臓の小ささがでてる 笑)本番に挑みました。

夢中で喋りましたが、棒読み感も出ず、堂々と、笑いもとりながら非常にあたたかいスピーチをすることができたと自負しています。何回も飽きるほど読んだ原稿なのに、友人本人を目の前にして喋ると自然と涙が出ました。本当に、この大切な役目を私に任せてくれてありがとう、そう思いました。

友人代表スピーチというのは、「友人」を通して「新婦」の人柄や品性まではかられます。類友ですからね。私がきちんとスピーチをすることは、花嫁自身の評価にもつながります。手前味噌で恐縮ですが、私は役割をきっちり果たしたといまでも思っています。


このように、完璧主義も場面によっては長所です。度が過ぎないように、周りまで巻き込まないように気を付ければいいだけ。
完璧主義をすべて捨ててしまう必要はない、バランスの取り方を身に付ければ良いのだと思います。

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☆「満点」でなく「沸点」を目指すともはや芸術

冒頭でご紹介した 小林トシノリさんのblog にもあるとおり、
仕事の場面においては完璧主義者は敬遠されがちです。
なぜなら、
質にばっかりこだわってスピードが遅い
量を捌けないから周りがわりをくう
所詮自己満足にすぎない場合が多い
痛々しい
からでしょう。

一理あると思います。

ただ、たまにいるんです。
自己満足とかそういう次元をはるか越えて、
同僚もクライアントも関係者全員が感動するレベルの成果物を生み出す完璧主義者が。
まれではありますが、
そういう人物のやりあげた仕事をみていると、もはや芸術です。ロジックの緻密さ、発想の斬新さ、論拠の手堅さ、さらには一匙の遊び心さえもが調和がとれており感動すら覚えます。
もちろん仕事が遅いなんてわけはなく、納期に間に合わせるなんて地動説並みの常識です。

そういう人をみると、私は
「この人は満点でなく沸点を目指してる」
と感じます。
低い順にならべて、及第点→満点→沸点。
つまり沸点とは、単に「ミスがなくて完璧」な満点をはるかに通り越して「人に感動を与える」レベルです。
そして沸点を目指すレベルの人は、(端から見ると苦行レベルのハードな邁進ぶりなのですが)本人はそれを楽しんでいる。「こんなことできて幸せ!」とすら感じながらイキイキやっているので痛々しさもなく、周りをポジティブに巻き込んでいきます。

ジャンルは違いますが、例えばフィギュアスケートのキム・ヨナ選手。彼女のバンクーバーオリンピックでの演技はまさに沸点でした。


仕事で沸点に達することが出来るのは、ある程度以上の天賦の才と、努力、レジリエンス、ニーズを汲み取る力、多面的なものの見方、あらゆるものを兼ね備えた一握りの人かもしれません。
私のような普通のありふれた人間が、真似しようと思ってもなかなかできません。

ただ、こんな怠け者完璧主義者の私でも取り入れられそうだと思ったことがひとつあります。

満点を目指すとき、人はどこか息苦しく、減点方式になる。
沸点を目指すとき、人はどこか楽しく、加点方式になる。


ということです。これは人を観察したり、自分自身の経験を通しても感じたのですが、
満点をとろうとすると「ミスをしてはいけない」というほうに視点が行き、思考方法が「あるべき状態」からの減点方式になっていくんでね。


他方で沸点を目指してみると、しっかり基本的なポイントをおさえたら、あとはミス云々ということより、いかに工夫を凝らすか、相手が喜んでくれるものになるか、と考え方が加点方式になります。そして相手が喜んでくれるということはすなわち相手意識ですから、自己満足から1歩脱します。(もちろん、それを本当に相手が喜ぶかは蓋を開けないとわかりませんが、意識するのとしないのとでは雲泥の差でしょう。)


これは精神衛生上、そして仕事への取り組みとして大変大きな差です。


☆完璧主義を完璧にやめようとしないで

長々と書きましたが、
完璧主義を脱することができれば、自分も周囲もかなり楽になるでしょう。
ただ、長年の気質とは怖いもので、なかなか根っこから変わるというのは難しい部分もあります。

ウン十年間、完璧主義者の酸いも甘いも味わってきた(ちっとも嬉しくありませんが)私としては、完璧主義の人が完璧主義をやめようとすると、完璧にやめなければと思いすぎてかえって神経質になる。という世にも恐ろしい事例もみています。

ですので、あまり深く考えず

まずは、
納期を守る、相手意識を持つという社会の基本をおさえながら、
「まいっか」
「何事も適当に」
「完璧主義も役に立つこともあるけど、バランスバランス」
「真剣はいいけど深刻はよくない」
と、傾きすぎる自分のシーソーをぐぐぐーっと戻してあげてください。


そしてそれでもどうしても完璧主義がニョキニョキ顔を出すときは、
腹を括って、「どうせなら沸点を目指そう」と明るく加点方式ではりきってください。
そして周りとの調和を大切にしてください。


生まれもった気質、長年の考え方の癖と付き合うのは骨がおれます。
でも、心と体の健康を守れるのも自分しかいませんので、まずはちょこちょこっとした工夫からはじめてみるのはいかがでしょうか。


では、今日はこの辺で





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中学生のころから、女の子同士がやたらめったら「かわいいー❤」「○○ちゃんのほうがかわいいー❤」と言い合うのが、大っ嫌いでした。

例えば誰かが髪型を変えたとして、明らかに前の方が似合ってるのに
「えっ、超いいよ!成功だよ!」
とか言ってると、
それって全然やさしくないよなー…っと隣で思ってしまう。
私は
「爽やかになったね」とか「夏らしいね」とか
少なくとも嘘ではないことを言います。

また、
顔の造作が美しい人は「きれい」「可愛い」と誉めますが、
造作が特別美しいわけじゃないんだけど雰囲気が可愛いとか、性格の良さがにじみ出てる顔だちの場合は、
「可愛らしい」「上品な顔立ち」「愛くるしい感じ」「優しい顔立ち」などなど
それぞれに合った誉めかたを探します。

そして、目上の人。たとえば教師だからといって無条件には尊敬したことはありません。
「この人は肩書きは先生だけど、つまらない人だな」と思えば、文句言われないだけのこと(勉強や諸々の活動)はやっていましたが尊敬の念や服従の姿勢は微塵も見せませんでした。
そのかわり、この人は好き、尊敬できると思えば、どこまでも信頼してなついていましたが (笑)

周りの大人の顔色はおそらく普通の子供より見ていたと思います。でも、だからっておべんちゃらを言ったり媚びたりはしない。
期待を先読みし、それに応えることで信頼を勝ち得ようとする少女でした。


要は、
とりあえずテキトーに相手を誉めてりゃ人間関係うまく行くだろう

という考えが嫌いで、(こちらは意識的)

偉い人には媚びてほめそやして、いい気分になってもらおう

という考えが毛頭無かったのです。(こちらは嫌いとかでなく、思い付きもしなかった)


ただし、目上の人に対して不遜な態度をとっていたとか、意気がって反抗してたとかそういうことではありません。礼節は尽くしていました。両親からしっかりしつけられていましたし、周りからの評価も「しっかりしてきちんとした子」だったと思います。(自分でいうのもおこがましいですが)


その価値観は大学生になってからも変わらず、
愛想はいいし誰とでも感じよく接しはするけど、社交辞令は苦手、女同士の訳のわからない誉めあいも苦手。
本当に素敵と思ったときに「素敵」と言い、好きと思ったときに「好き」と言いました。
それは先輩が相手でも、教授が相手でも変わりません。

いろんなコミュニティーで本音と建前を使い分けては上手に立ち回る友人を見て、器用だなぁとは思いましたが、真似したいとは不思議と思わず、 まぁ私はこれでいっか、くらいに考えていました。
幸い周囲の友人や先輩後輩にも恵まれ、「ゆりって、ほんとに真摯だよね」と私の性格をポジティブに捉えてくれる人が多かったので、人間関係の苦労はほぼ全く無いといっていいくらいの大学生活でした。


ところが、

就職するとちょっと事情が変わったのです。


社会に出て仕事をするということはつまり、気のあうあわないに拘わらず、色々な人とうまくやっていく必要があります。

新卒で入った会社は外資系だったこともあってか非常に風通しがよく、上司であっても肩書きではなく「○○さん」と呼ぶのがルールでした。
緊張しまくりながらも私なりに精一杯の敬語と礼儀正しさで上司・先輩と接していたのですが、
ここでも、マネージャーだろうが本部長だろうが「対・人」であることに変わりはないので、ごますりもおべんちゃらも一切言わず、ほめそやしもしない私。

「今年の新人は、落ち着いてるね~」と、マネージャー陣のなかで話題だったそうですww

出来ればずっとここで働きたかったくらい良い会社でしたが、生来の生真面目さに加えて新人ならではの気負い、体力不足、レジリエンスの低さ、業務の複雑さ、色々な要因が重なりあって体を壊し、退職を余儀なくされました。


次についた職は、大学教授の秘書です。
何のコネか愛人かとさんざん聞かれた就職でしたがww普通に履歴書を送って面接を受けたことをここに明記します!ww

仕事をしはじめて知ったのですが、こちらの教授、秘書の入れ替わりが非常に激しいので有名だそう。つまり、教授の要求レベルが高いのか、もしくは秘書が愛想をつかすのか…。
でももうせっかく見つけた仕事ですから、それはそれは必死にこなしました。
大学院生をを50人かかえ、巨大な額の研究費をあてがわれている研究室の教授でしたので、秘書の仕事は教授の個人的な業務にとどまらず研究室の活動全体に及びました。秘書、総務、財務、経理、庶務を全部やる感じですwあ、あとお問い合わせ窓口(英語可)…これが一番きつかったかも。
先輩も同僚もいない状況で、全く知らない仕事をよくまわしたもんだなぁと今でも思います。

秘書の入れ替わりが激しいのが、何に起因していたのかは結局いまだもって不明ですが、
慣れてくるにつれてわかったことがあります。

●機嫌の良し悪しの波が激しい
●京都の方だからか、本音と建前が非常にはっきりしている(つまり二枚舌)
●適当に人をおだてて面倒なことを押し付ける(笑)
●控えめなようで、プライドが高い(まあ当然ですが)
そしてご機嫌が悪ければ
秘書は一番にその割りを食う


最後の一点がつらいところです。
段々と私も、上司との関係や異常な業務量にストレスを覚えるようになってきました。
「仕事とはそんなもんだ」と頭ではわかっていても、あまりに理不尽なことを言われたり、大切な業務報告をスルーされたりすると、胃が痛くなりましたし、イライラを押さえきれなくなりました。


そんな最中、私の状況をとある知人の年配女性に話したところ、私の目をじっと見て
「貴女、ちゃんとその先生をおだてて、気持ちよく仕事ができるようにしてる??」
と聞かれたのです。

へ??おだてて気持ちよく??

いえ、全然…。

「あのね、貴女は本当に人柄が誠実で、相手の身分や立場によって態度を変えたりしない。もちろん礼儀正しいけど、偉い人だからって、媚びたり、おべんちゃらをいったりもしないで、対等な人間同士という前提で堂々と接するわよね?」

はい…。

「それはね、身近な人たちにとってはこれ以上なく信頼できる人柄だし、きちんと人間の本質を見られる人にはとても重宝がられるの。でもね、世の中そういうひとばっかりじゃない。むしろ、もっと薄っぺらい人が大半なの。そういう人たちは、お世辞とわかっていても誉められたいし、プライドをくすぐってほしいし、特に社会的身分が高い人は持ち上げられることに慣れてるから、それをされないとなんとなく不満なのよ。」


目からウロコでした。

私にとっては、「教授」は勿論偉い人ですが、自分がきちんと実直に仕事をこなせば必要十分な上司と部下に過ぎず、お世辞をいったり持ち上げたりする対象では全くなかったのです。


さらに彼女の話は続きます。

「魑魅魍魎、有象無象な人が入り乱れてる世の中で、貴女だけが全員にその誠実さと正直さでぶつかって、いちいち傷つくのは損でしょう?価値観を変えるんじゃないの。貴女の根本はそのままでいい。ただ、場面や相手に応じてうまく相手をいい気分にさせることは、それが心からの言葉でなくても貴女自身を守ることになるのよ。大人になるにつれて、少しずつ身につけなさい。」

これは本当に、コペルニクス的転回とでもいうべきアドバイスで、
思ってもいないお世辞や誉め言葉を口にすることが自分を守ることになる。
という発想が前述の通り全くなかった私には、軽い衝撃ですらありました。

でも、不思議とスッと、腑に落ちたのです。


そこから、ぎこちないながらも、アドバイスを実践してみました。
「先生、さすがのご指摘ですね」
「やっぱり人望が厚くていらっしゃいますね」
「それは先生のお人柄ですよ~!」
何かにつけて「素敵ですね」「さすがですね」
もしかしたら最初は不自然だったかも知れませんが(笑)、ためしてみると不思議なくらい手応えがあるのです。
「いやいやー、僕はそんなそんな」
と言いながら、満面の笑み!
すると、そのあとの打ち合わせもするすると進みます。

人を持ち上げるって、こんなにも簡単なことだったのか…。そして、こんなにも効果的だったのか!


それまでなんとなく、本音でないことを口にするのは「良くない」イメージでしたが、子供の頃ならまだしも、大人になって広い世界で多くの人と関わるには、ずるいことではなく必要な処世術だと割りきることができました。
もちろんプライベートな付き合いや、ちゃんと向き合いたい相手にはこれまで通りです。
ただ、ちょっとお世話になるクリニックの医者、ブライダル関係のスタッフさん、仕事で円滑に業務を進めたい相手などとの間では、適度な「潤滑油」が効果的で、自分を守ってくれるんだといまでは思えます。


日本では、「不器用さ」や「実直さ」は、正直な人間としてのイメージが強く、ポジティブに捉えられます。

それ自体は良いことです。

でも、「不器用さ」や「実直さ」は、行き過ぎるとときに自分自身を苦しめます。
繊細なひとであれば傷つき戸惑うでしょうし、
強情なひとであれば軋轢を起こすかもしれません。

自分自身や、自分にとって本当に大切な人を守るためにも、

言葉のワンクッション

を、上手に使って、ほんの少し器用に生きてみるのも良いかもしれません。
自分の幹はそのままに。
「いつもありがとうございます。」「さすがですね」とちょっと口にしてみる。

それはずるいことではありません。
人の心の動きを、ちょっと滑らかにするだけです。


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最近人との関わり方について考えるきっかけがあり、今日はこんなことについて書いてみました。考えてみた結果、根本はやはり私は変わっていないようです(笑)
どの人にも愛想は良いけど、心を開いたり本当に親しみや尊敬を感じるのはごく一部。

でも、ワンクッションは使ってますよ!病院とか歯医者とか美容院とか不動産屋さんとかクリーニング店なんかで!(笑)



ではではまた暑いので体調管理には気を付けてすごしましょうね~






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こんばんは、今日はもうすっかり夜中になってしまいましたお月様

夜遊びしていたわけではなく、一件仕事が詰めの段階に入りつつあります。

まだ未発表の記事なので詳しくは書けませんが、
吉原初めての取材記事に取り組んでおります。

これまでは「コスメレビュー」や「ライフハック」「美容や健康についての情報発信」「恋愛コラム」的な記事が多かったので、一人での執筆作業がほとんどでした。

取材対象者を見つけ、取材を申込み、ご承諾いただけたら基本的な構想から細かい内容まで先方と詰めていく…という作業は、
当然マニュアルなどあるわけもなく、すべて手探りで、緊張感のある日々です。

私はライターでいわば媒介者。
取材対象者が発信したい、伝えたいと思っていることを、正確に、よりわかりやすく読者に届けるのが仕事です。

なので、取材対象者が発するたくさんの言葉を整理し、ひとつの流れにまとめていきながらも、その真意が決してぶれず、むしろよりクリアに伝わる表現を探して文章化しなければいけません。

人間は自分が経験したことのある事柄や感情については言語で表現しやすいのですが、未経験の部分についてはなかなかしっくりくる言語表現がみつからない…。想像で補っても、的確とは言いがたいのです。
私も例に漏れずそのタイプで、今回もその点で苦戦した箇所がありました。

取材対象者も、「ここ、伝えたいことははっきりあるんですけど、それをうまく言葉で説明できなくてもどかしい……」と悩んでいらっしゃったので、
とことん繰り返し話し合い、噛み砕いて質問をし、そこで得られた回答の背後にある気持ちまで伺いました。その解釈をもとに論旨をつないで表現を補い、修正に修正を重ねた文章をお見せしたところ、

「これです、まさにこれ!ばっちりです!的確に、簡潔にまとめてくれてありがとうございます!」

とのお言葉。


本当に、心から嬉しかったです。


……すみません、やっていることはフツーなんです。
編集者さんや記者さん、ライターさんなら365日やっているであろうことなのですが、
なにぶん初めてなもので自分の中ではプチエポックメイキングで。
新入社員の日報みたいな青臭い文章ですが、
ゆるしてください。 
ひよっこライターなので、アラサーだけど新入社員のようなものなのですヒヨコ


もちろん原稿はまだまだ完成ではなく、私の中での推敲作業や写真のレイアウト考案、編集スタッフさんによるチェック後の修正もあります。

道のりは長いですが、
誰かと感覚を共有し、それを的確な言葉で文章化できたというささやかな喜びを励みに、
完成まで頑張ろうと思います。


……心おれそうになったら、今日のブログを読むことにします(笑)


さて、すっかり深夜も深夜なので、SKⅡステムパワーアイクリームをがっつり塗って、いやケチケチ大切に塗って
よく眠りますにひひ



いまも雨がザーザー降っていて、クローゼットの水取りぞうさんが、ものすごいスピードで水を吸っています……叫び カビ対策、必須ですねDASH!

それではおやすみなさいクローバー
皆様良い週末を!あ、7/4はふなっしーの誕生日ですから、それもお忘れなく!!ドキドキ


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