よく聞かれる。
「なんでライターに?」と。
そりゃ聞きたくもなるだろう。30代、出版にもWebにも関わったことはなく、全く違う職種からブランクを経ていきなりフリーの物書き。
わけがわからない。

質問される度、私は二つある動機のうち、現実的なほうの回答をかえす。
「文章を書くことは好きですし、結婚したこともあって、これから場所を問わず長く続けられる仕事がしたい。体力的な無理がきかないこともあって、フリーランスを選びました。」
これも本音だ。
30代になって、「自分は30代何がしたいのか」が全く描けてないことに気がついた。20代は盛りだくさんだった。病気をこじらせてほとんど谷、崖、ばかりだったと記憶しているけれど、そのなかでも自分の足で立つんだと必死にもがいて、その結果得たものもあったし、奇特な人とめぐりあえて結婚もした。
漫然と生きた感はない。
おそらく私は、40歳になったとき、30代を振り返る。そのとき「夫のことは支えたけど、自分名義では特になにもしなかったなぁ……」ではあまりにむなしい。主婦も立派な仕事だが、私はそれじゃ納得しないだろうと思った。じゃあ何をやろうかと模索していたときにアンテナにひっかかったのがライティングだった。
本格的にやるなら、どこかの編プロに弟子入りするのが一番に違いない。でも、体調面でフルタイムで勤めるのは難しい。コンスタントな出勤も難しい。遠回りだと分かっていてもフリーを選んだ。
そんな次第。

でも動機はそれだけじゃない。
むしろ、書いていくうちにもうひとつの方の理由が大きくなってきている。
それは「誰かの生きづらさを和らげたい」

なにをえらっそうに、と思われるのを覚悟でここに書いている。
8か月前まで三点リーダの使い方も知らなかった十把一絡げ素人ライターだ。日本語の表記のルールも全部書籍やネットで独学。現在進行中。記者ハンドブックは必須。身の程はわきまえているつもり。

それでも敢えて書く。
「誰かの生きづらさを和らげたい」
生きづらさを自分がさんざん感じてきたから。

アプローチはいろいろあると思う。

実用的なライフハック、仕事術などのhow to記事。これらは分かりやすく役に立つ。また政治や経済、社会について分かりやすい情報を伝えることは、生きやすさにつながる。
そこまで直接的でなくとも、たとえばめちゃくちゃ笑える記事を書いて日常の悩みから束の間離れる時間をつくることだってあてはまるし、ほっこりしたエッセイや、しっとりしたコラムで心を豊かにできるひとときを提供するのもそのひとつだ。
むしろ、実体験をもとに見解を述べたコラムやエッセイなどのほうが、筆者の切り口でものごとの新しい解釈を提示できるし、読者が「自分だったらどう思うかな」と考える余白があって、気づきを促す力は大きいと思う。自らを投影するひともいるかもしれない。

そう考えるとどんな記事でも私の目標は達成できるしゆくゆくはそんなマルチな書き手になりたいが、いまは特に2つの点に思いが集中している。

1つは、レール通り、型通りの人生(女性なら恋愛・結婚・出産)を歩まなきゃと生きづらく感じているひとに、「そうじゃなくてもいい。強迫観念から解放されよう。」というメッセージを発したい。ありふれた言葉を使えば、多様性という概念をもっともっと世の中に浸透させたい。(先日のアドベントカレンダーの記事でも書きました)
自分の人生を主体的に自由に生きていいんだ、と気づいてほしい。世の中はメディアが切り取るよりよほど混沌としていて、王道を行く人は実際にはごく一握りだ。性的マイノリティや、いわゆるこれまでの「ふつう」とはずれていて、自分は王道を歩めないと悩む人に、肩の力が抜けて心にすっと風が通るような感覚を得てほしい。本や哲学や様々な知見を紹介することで、新しい視点や気付きのきっかけを得てもらえたら嬉しい。

2つ目は、心身の不調に悩むひとに向けて。
このブログには、自分の内面や、病気で生きづらくて苦しかった体験もかなり赤裸々に書いている。
【メンタル】「生きたい」と思った自分に驚いた
思い出すのは、正直辛い。自慢できることでもない。
それでも書くのは、もしいま当時の私と同じような苦しみを抱えているひとがそれを読んでくれたとき、
「自分だけじゃないんだ」
「どん底から這い上がって行けたひと、いるんだ」
と少しでも救いを得てほしいから。
医者ではないから上から目線のアドバイスはできないし解決もできない。でも、同じ目線で苦しんだからこそ理解できる心情、苦しさ、現実的に解決しなければいけないことへの対処法など、共有できることがきっとあるはず。苦しむ当人や、周りの人たちのヒントに少しでもなればいい。
読んでくれたひとの「生きづらさ」が少しでも和らいでくれたら、こんなうれしいことはない。



このふたつに限らず、ほんの些細なことから大きなことまで、生きづらさは世の中に溢れている。仕事、家庭、人間関係、病気、お金……。
それに毎日ぶつかって、それでもどっこい、幸せや楽しさをみつけてなんとか生きていこうかねーと前を向いてる人がほとんどだろう。
あらゆる(まっとうな)ビジネスが最終的には「生きづらさの解消」につながると思うが、私は現時点ではライティングという手段で、微力でもその一端を担いたいと思っている。

2015年もあと10日、残りあとどのくらい更新できるか分からないので、現時点での思いをここに書きとどめておく。



追記)昨日の情熱大陸で、羽田圭介氏の「小説は誰かを救うことだってできる。」という言葉が紹介されていた。これまで、私が彼に惹かれるのは、小説そのものや、独特のキャラクター、ストイックさとユーモアのバランスだろうかと漠然と考えていたが、根底にある彼の思想に惹きつけられていたんだなとようやく分かった。