アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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多様性

私がいま日本で1番好きな俳優、堺雅人さん。

彼のもはや代表作といっていい大ヒットドラマ、『半沢直樹』は、銀行を舞台にした、社会派人間ドラマだ。正義感あふれる銀行員役が記憶に新しい。
「倍返しだ!」……流行りましたねえ

もう一つ、その前後にシリーズ1と2が放送された『リーガルハイ』こちらは弁護士活動や法廷でのやりとりを舞台にした社会派……コメディ?
それまでの芸風をガラッと変えた、拝金主義者で自己中で自信家でときに退行する無敗弁護士役……という振り切ったコミカルな堺さんの演技が話題になった。

みなさん、どちらがお好きだろうか?
視聴率でいえば半沢直樹が圧勝。


でも
私は絶対に、リーガルハイ派だ。

もちろん半沢直樹も素晴らしい。普段組織の理不尽を味わっている人なら、あれを見てすっきりしたことも一度や二度ではないだろう。
敵役として出てくる上司の不正や責任転嫁、金融庁との対立、さまざまなしがらみを主人公が見事に痛快に乗り越えていく様子は、日曜日のお茶の間をスカッとさせた。上戸彩さんの妻役もよかった。
言ってみれば現代版『水戸黄門』ではなかろうか。家族で楽しめる「勧善懲悪」の世界。


でも、私はリーガルハイなのだ。その理由を今日は書きます。

■善悪、正義は多元的なものである
こちらは半沢直樹とは打って変わって、
「この世に正義などない。神でない我々人間に正義などわかるわけがない。
あるのは、立場によって変わる善悪と、立場によって変わる正義だけだ。」という哲学が繰り返し繰り返し、視聴者になげかけられる。あるときはユーモアで、あるときは世相に対する痛烈な批判で、またあるときは部下役の新垣結衣さんへのダメ出しとして。

弁護士を主人公にするドラマはどうしても「正義の実現のために、依頼人のために、利益度外視で全力をつくします」という綺麗な弁護士像が描かれがちだ。
このドラマはこれを根底からひっくり返した。
古美門研介は拝金主義で、勝つためなら手段を選ばない。それはある意味「依頼人のために全力をつくす」ことにつながるが、それは依頼人の主張が真実だからとか、そういうことではない。真実なんてどうでもいい、そもそも真実なんて分かるわけないんだ、という前提にたったうえで、あくまでも報酬のために勝利を貪欲に求める。

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日本新聞協会広告委員会が実施した2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」で最優秀賞を受賞した作品をご存じだろうか?

「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」
小鬼のイラストとともに。

桃太郎は正義の味方として語り継がれているが、小鬼からすればおとうさんを殺したとんでもない鬼畜である。

誰かのしあわせや正義の裏には、誰かの不幸や犠牲がある。一つの物語でも立場が違えばこんなに捉え方が違う。

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リーガルハイで繰り返し伝えられているのも、これと同じことである。物事を一面からしか見ないと絶対的正義が存在するようにみえるが、多面的に見れば、それぞれの正義は異なっていて、完璧な善も、完璧な悪も存在しない。

だから、「この世のすべてをわかってもいない弁護士が、正義の実現のために働くなんて傲慢だ。依頼人の利益を考えるだけだ。」という仕事哲学に繋がる。
とても筋が通っている。


■鋭い風刺と「人間の欲の肯定」

そういった世界観をもとに、時事ネタをパロってがんがん斬っていく。子役、アイドル、大物政治家、芸能人の離婚、マンション建設反対運動、大物音楽プロデューサーのパクリ疑惑、etc.
これまでの「綺麗な弁護士ドラマ」では絶対に脚本に書かれなかったであろう毒がふんだんにもられ、古美門研介によって語られる。
でもその毒は、非常に鋭く世相をついている。そして人間の利己的な心や欲をもあぶりだす。
世相についての鋭い指摘は的確で納得がいくし、人間の欲の描写も、現実問題人間ってそんなもんだよなーと思わせられるリアリティがある。

でも、その「欲」を決してこのドラマは否定しない。むしろ伝わってくるのは「欲」に正直に生きろ、人間なんてそんなもんだ、という強烈な肯定。


■そんな世の中だけど、でもそれが良い。『この世はすべて、コメディだ!』
このドラマは、とにかく、綺麗事をかかない。いい話で終わるのかと思うと、必ずどんでん返しがある。
人間は欲深い、利己的な生き物である。そしてこの世に絶対的な善悪など存在しないのだから、世の中はカオスになる。醜い争いごとが山ほど起こる。そんな世の中だけど、まぁ捨てたもんじゃないよね。楽しくやってきましょー。

とでも言うような、現実を現実としてしっかり冷静に受け止めたうえで、それが人間社会の面白いとこでしょといわんばかりに決して暗くならず、コミカルに味付けしてしまう。
毎回ゲラゲラ笑える。

脚本家の古沢良太さん、制作スタッフのみなさん、そして役者のみなさん、実にあっぱれと言いたいドラマだ。

ご覧になってない方は、ぜひ見てみてほしい。
※実は私はこのドラマの中でハイライトともいえるシーン、最重要回のテーマについては触れていない。リーガルハイが面白おかしいだけのドラマではない、社会的意義のあるドラマだと必ず感じていただけると思う。



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どうも私には、勧善懲悪がなじまない。
みんなが「こっちが善!こっちが悪!」と声を揃えるのがどうも苦手だ。

見方によっちゃあ、逆かもしれないし、大衆が知らない込み入った事情があるのかもしれないじゃん、と思ってしまう。
うがってるんだろうか……。

価値観は多元的で、立場や時代が変われば善悪なんて一瞬で入れ替わる。 
これはNHKの新・映像の世紀をみてもつくづく思うことだ。昨日までの正義が今日から悪とされるなんて、これまで世界中でどれだけ起こってきたことか。

ドラマに話を戻すと、
つまりは善悪二元論を根底にする半沢直樹より、価値観の多様性を根底にするリーガルハイが、私の感覚にすっと馴染む。
人間もそう。決めつけるようないい方や極論しか言わない人は苦手。物事を多面的にとらえられる人が好きだ。 

振り返ると、多様性、多様性と言い続けた2015年だった。私にとって、キーになる概念だったんだと思う。
おそらく今年最後になるであろうエントリーで、この半沢直樹とリーガルハイについては書いておきたかった。


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よく聞かれる。
「なんでライターに?」と。
そりゃ聞きたくもなるだろう。30代、出版にもWebにも関わったことはなく、全く違う職種からブランクを経ていきなりフリーの物書き。
わけがわからない。

質問される度、私は二つある動機のうち、現実的なほうの回答をかえす。
「文章を書くことは好きですし、結婚したこともあって、これから場所を問わず長く続けられる仕事がしたい。体力的な無理がきかないこともあって、フリーランスを選びました。」
これも本音だ。
30代になって、「自分は30代何がしたいのか」が全く描けてないことに気がついた。20代は盛りだくさんだった。病気をこじらせてほとんど谷、崖、ばかりだったと記憶しているけれど、そのなかでも自分の足で立つんだと必死にもがいて、その結果得たものもあったし、奇特な人とめぐりあえて結婚もした。
漫然と生きた感はない。
おそらく私は、40歳になったとき、30代を振り返る。そのとき「夫のことは支えたけど、自分名義では特になにもしなかったなぁ……」ではあまりにむなしい。主婦も立派な仕事だが、私はそれじゃ納得しないだろうと思った。じゃあ何をやろうかと模索していたときにアンテナにひっかかったのがライティングだった。
本格的にやるなら、どこかの編プロに弟子入りするのが一番に違いない。でも、体調面でフルタイムで勤めるのは難しい。コンスタントな出勤も難しい。遠回りだと分かっていてもフリーを選んだ。
そんな次第。

でも動機はそれだけじゃない。
むしろ、書いていくうちにもうひとつの方の理由が大きくなってきている。
それは「誰かの生きづらさを和らげたい」

なにをえらっそうに、と思われるのを覚悟でここに書いている。
8か月前まで三点リーダの使い方も知らなかった十把一絡げ素人ライターだ。日本語の表記のルールも全部書籍やネットで独学。現在進行中。記者ハンドブックは必須。身の程はわきまえているつもり。

それでも敢えて書く。
「誰かの生きづらさを和らげたい」
生きづらさを自分がさんざん感じてきたから。

アプローチはいろいろあると思う。

実用的なライフハック、仕事術などのhow to記事。これらは分かりやすく役に立つ。また政治や経済、社会について分かりやすい情報を伝えることは、生きやすさにつながる。
そこまで直接的でなくとも、たとえばめちゃくちゃ笑える記事を書いて日常の悩みから束の間離れる時間をつくることだってあてはまるし、ほっこりしたエッセイや、しっとりしたコラムで心を豊かにできるひとときを提供するのもそのひとつだ。
むしろ、実体験をもとに見解を述べたコラムやエッセイなどのほうが、筆者の切り口でものごとの新しい解釈を提示できるし、読者が「自分だったらどう思うかな」と考える余白があって、気づきを促す力は大きいと思う。自らを投影するひともいるかもしれない。

そう考えるとどんな記事でも私の目標は達成できるしゆくゆくはそんなマルチな書き手になりたいが、いまは特に2つの点に思いが集中している。

1つは、レール通り、型通りの人生(女性なら恋愛・結婚・出産)を歩まなきゃと生きづらく感じているひとに、「そうじゃなくてもいい。強迫観念から解放されよう。」というメッセージを発したい。ありふれた言葉を使えば、多様性という概念をもっともっと世の中に浸透させたい。(先日のアドベントカレンダーの記事でも書きました)
自分の人生を主体的に自由に生きていいんだ、と気づいてほしい。世の中はメディアが切り取るよりよほど混沌としていて、王道を行く人は実際にはごく一握りだ。性的マイノリティや、いわゆるこれまでの「ふつう」とはずれていて、自分は王道を歩めないと悩む人に、肩の力が抜けて心にすっと風が通るような感覚を得てほしい。本や哲学や様々な知見を紹介することで、新しい視点や気付きのきっかけを得てもらえたら嬉しい。

2つ目は、心身の不調に悩むひとに向けて。
このブログには、自分の内面や、病気で生きづらくて苦しかった体験もかなり赤裸々に書いている。
【メンタル】「生きたい」と思った自分に驚いた
思い出すのは、正直辛い。自慢できることでもない。
それでも書くのは、もしいま当時の私と同じような苦しみを抱えているひとがそれを読んでくれたとき、
「自分だけじゃないんだ」
「どん底から這い上がって行けたひと、いるんだ」
と少しでも救いを得てほしいから。
医者ではないから上から目線のアドバイスはできないし解決もできない。でも、同じ目線で苦しんだからこそ理解できる心情、苦しさ、現実的に解決しなければいけないことへの対処法など、共有できることがきっとあるはず。苦しむ当人や、周りの人たちのヒントに少しでもなればいい。
読んでくれたひとの「生きづらさ」が少しでも和らいでくれたら、こんなうれしいことはない。



このふたつに限らず、ほんの些細なことから大きなことまで、生きづらさは世の中に溢れている。仕事、家庭、人間関係、病気、お金……。
それに毎日ぶつかって、それでもどっこい、幸せや楽しさをみつけてなんとか生きていこうかねーと前を向いてる人がほとんどだろう。
あらゆる(まっとうな)ビジネスが最終的には「生きづらさの解消」につながると思うが、私は現時点ではライティングという手段で、微力でもその一端を担いたいと思っている。

2015年もあと10日、残りあとどのくらい更新できるか分からないので、現時点での思いをここに書きとどめておく。



追記)昨日の情熱大陸で、羽田圭介氏の「小説は誰かを救うことだってできる。」という言葉が紹介されていた。これまで、私が彼に惹かれるのは、小説そのものや、独特のキャラクター、ストイックさとユーモアのバランスだろうかと漠然と考えていたが、根底にある彼の思想に惹きつけられていたんだなとようやく分かった。
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