アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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心身症

無理は禁物ーー分かっていたはずなのに、いつの間にかまた無理したようです。

ご無沙汰しております。

タイトルにあるように、6月はロクでもなく、7月は屍でした。どんどん具合を悪くして、ひたすら療養してました。てか、ほんと酷いタイトルだな……。


さかのぼること6月の上旬
あるきっかけで持病の自律神経発作を起こし、その場はなんとかしのいだものの、その後も無理に通常通り稼働しようとしたこと、神経をすり減らす出来事が多かったことで、どんどん体調が悪化してしまいました。

だましだましやるために薬が増え、頭の動きも日増しに鈍くなり、下旬には脳がショートしたかのように何を読んでも理解できず思考もままならない状態に。原稿を書くなんてとんでもなく、PCに向かうだけで「あぁまたこの鈍い頭で、ロクでもないものを書いてしまうんだ」と恐怖と緊張でがんじがらめになる日々。

主治医からも「いい加減、いったんちゃんと休まないとどんどん悪くなりますよ」とドクターストップがかかり、自分でもさすがにヤバいと思ったので、お仕事先ほぼ全てに7月の仕事をいったんストップさせて欲しいとお願いし、6月納期のものだけなんとか納品して療養生活に入りました。



7月。
お休みだーと思ったら、扁桃炎も起こしてしまい、高熱出るわ喉痛いわで泣きっ面に蜂。
楽しみにしていた予定もガンガンキャンセル(泣) なんとか友人の結婚式だけは気合いで出席したものの、やっぱりしんどかった……。それ以外、ほとんど近所しかでかけず、夫としか会わない生活。
あ、扁桃炎は治りました。心配してくださった方、ありがとうございます。

仕事を休んでるので時間がたっぷり出来たのですが、医師から「2∼3週間は、テレビとネットと読書、あわせて1日3時間まで」と指示されていたので、やることがない!
もうひたすら、食っちゃ寝、食っちゃ寝、のエンドレス。
「そんな昼も夜も眠れないでしょう」と思ってましたが、蓋を開けてみれば毎日泥のように眠ってました。案外疲れてたんですね……。

数週間たって、すこーしずつ頭も働くようになり、文章も簡単なものなら頭に入るようになりました。書くのも、こういう何が言いたいのかよくわからない日記程度なら書けるようになり、復調の兆しかな〜と思っています。

でも、特に原因の見当たらない微熱だけは続いてるんですよね。検査しても異常はなく……。うーん。ちょっと気持ち悪いししんどいですが、気長に体のバランスを整えていくしかなさそうです。
はやく屍生活から脱したい。



私は20代で体を壊して以来、自分の中での微調整を日々繰り返して生きてきました。多少の不調は慣れっこです。
でも、今回のはヤバかった。
こじらせて、越えてはいけない一線を越えそうでした。本来の仏教的な意味からは外れますが、一線を越えてしまった状態を自分の中で「彼岸」と呼んでいます。彼岸まで行っちゃうと、月単位の療養が必要になる、下手すると入院する、夫以外のサポートが必要になる。などなどシャレにならない事態が発生します。

だから、なんとしても此岸の領域でくい止めたいんですね。
今回のドクターストップも、自分が「休もう」と腹をくくったタイミングも、ギリギリだったと思います。もう一週間遅かったら、多分彼岸いってました。
改めて、自分は何かテーマを見つけるとノイローゼになるぐらい熱中してしまうことを自覚しましたし、ハイになってて気づかないけれど、それがすごく脳や神経に負担をかけてることもわかりました。
あと、ストレスにならない環境を作る大切さも。


私はフリーランスで仕事をしています。こうしてのんびり療養している間に、もしかしたら仕事がなくなるかもしれません。フリーランスには有休も病気休暇もありませんし、大抵は業務委託なので、休んだ後に変わらず仕事がいただけるかなんてなんの確約もないわけです。だから休むのはすごく怖い。
それでも、彼岸にいくよりはいい、と少し落ち着いてきた今、思います。

言い古されたことを言いますが、元気があればなんでもできます。逆に言えば、元気がないとにっちもさっちもいかないんです。

体が、脳が、悲鳴をあげたら(できればその一歩手前で)、こじらせる前に休んでほしい……と、声を大にして言いたい。けど、選挙演説にかき消されそうなのでブログに書いています。


6月はロクでもない、7月は屍、8月は……張り切る? いや、張り切ったらダメだ、また無理する。は、は、這う? あ、いいかも。屍よりは動きがある感じ。


暑い日が続きますが、みなさまご自愛くださいね。









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前回の記事にも書いたが、先日、女優の川島なお美さんが亡くなられた。胆管ガンだそうだ。

その前日には北斗晶さんが乳ガンを患っていること、長い闘いを覚悟されていることをブログを発表されていた。

どちらも私にとってはショッキングなニュースだった。


川島なお美さんはとてもお綺麗でその容姿に憧れたうえに、ご結婚されてからはご主人と支えあう姿に女性として惹かれていた。
北斗晶さんはバラエティ番組で見せる明るく豪快なメンタリティにパワーをもらえるし、妻として母としての愛情深さが滲み出ているのが大好きだ。

川島さんのご逝去は悲しいし、北斗さんの快復を祈らずにはいられない。

昨夜は、緊急ニュースで川島さんの訃報が入り、「数日前にTVでみたのに…」と信じられないままその気持ちをブログに綴り、寝仕度をしていた。

顔を洗って歯を磨きながら、なんとなく考え始めた。
自治体の乳ガン検診っていつだっけ……?調べなきゃなぁ
そういえば毎年の健康診断、腫瘍マーカー検査のオプションは夫だけつけて、私は別にいいやと思ってつけなかったけど、やっぱり来年からつけたほうがいいかなぁ…
はやく見つかるに越したことないもんなー
手遅れになってからじゃ遅いし…

とそこまで考えて、はたと気づいた。

私、いま長く生きたい前提で考えてるよ!?

これは私にとって大きな驚きだった。

長く生きたいに決まってるじゃん、と思われるだろうが、一時の私はそうではなかったのだ。

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◇「長く生きたい」がゆらぐまでの
経緯


大学入学前後から自律神経系の不調に苦しみ、最初は家族にも言い出せなくて耐えていたのだが、もう限界に達して通院を始め、投薬治療をうけるようになった。

ざっくりいうと私の病気は心身症。ストレスや脳の疲労がさまざまな体調不良を引き起こしていて、そしてその症状のつらさゆえに落ち込みなど鬱的な症状が二次的に出ている、というのが医師の説明だった。
そこから私の長い闘病生活が始まる。

実家から遠く離れた東京でひとり暮らしだったのもこたえたが、自分が選んだ道だからとひたすら踏ん張った。

途中病状が悪化して半年実家で療養したため、私は大学を一年留年している。
それでもごまかしごまかし生活してなんとか卒業した。卒業さないと一生後悔すると思ったから。


卒業したらよくなるかも、という本人と家族と医者の祈るような希望的観測はみごとに外れた。

就職したら悪化した。最終的には毎日の業務に体が堪えられなくなり、やむなく退職した。死ぬほど悔しかったし、悲しかった。
真っ当に生きてきたし、人並み以上に努力してきたつもりだし、やる気だってある。
なんで私が病気に苦しめられて人生狂わせられなきゃいけないのかと嘆きに嘆いた。

この頃から、「生きているのがつらい」と思うようになったのだ。小さい頃からたまに「なんで生きているんだろう」と漠然と疑問に思うような子供だったが、死にたいとは思わなかった。それがこの頃、具体的な願望になってしまったのだ。

働けない病気をかかえてこれからどう生きるんだという不安が強すぎたのか、発作症状も出るようになった。
発作を1度経験してしまうとそれに対する予期不安がおこり、それがまた症状を悪化させるという負のスパイラルに入る。

発作の恐怖、人生への失望、体の症状の苦痛が重なり、地獄の日々だった。毎日ベッドのうえで恐怖に怯えながら独り天井を眺めるばかり。出来ることならずっと眠っていたい。意識があるからつらいんだ。

こんな毎日を送るうちに、「これがあと何十年も続くなんて耐えられない。○○歳になっても治らなかったら死のう。あと○年の我慢だ。」と本気で考え、それを支えに日々をやりすごした。


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◇治らないままの再就職、結婚



その後、なんとか再就職できる程度までは快復したが、薬は手放せず、発作症状も続いていた。行動の制約が多い生活だ。

それでも、「あと○年で死ぬなら社会復帰しよう。人並みに働いてから死にたい。」という奇妙なモチベーションで必死に働いた。働いている間は少し絶望から逃れられた。


ところで、私には結婚願望があった。自分でも矛盾してると思うが、長く生きる気がないくせに結婚はしたかったのだ。
昔からの夢だということに加えて、多分、結婚による精神的な安定によって快復するかもと、かすかな希望を抱いてたんだと思う。 

実は20代前半ほとんどをともに過ごした男性がいたのだけれど、病状が悪化する私を支えきれずに去った。そのショックは半端ではなく、もうあの頃のことは思い出したくもない。
そんな経緯があったので「私なんかと結婚する男性はいないんじゃないか」と怯えながらも、友人が誘ってくれる合コンに参加し、婚カツパーティーにも挑戦し、何人かとデートもしてみた。
残念ながらどの人も私の琴線に触れず、いわゆる「婚カツ疲れ」を起こしていた頃、いまの夫と再会した。

具体的な経緯はこちら↓
付き合って三週間で結婚を決めるまで① ② 

あれよあれよという間に結婚が決まり、義両親に私の病気のことも包み隠さず話したが受け入れていただけた。
実家の両親は心底ほっとしていた。

何より、夫になる超本人が私の病気に理解を示してくれたことが嬉しかった。
心の病はともすれば甘えといわれがちである。
「ゆりは甘えてない。よく頑張ってる。俺はそれを知ってるし、人間なにかしら弱点はあるもんだ」
そう言われたとき、10年分の凝り固まった心の氷が溶けるように泣いた。


「○○歳までに治らなかったら死のうと思って生きてきた」と告白したら
「まぁとりあえず数年延長してみれば?」
とさらりと明るく返された。どんな熱い励ましより素直に「そうだね」と言えた。


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◇結婚してその後


こちらの記事をご覧いただければと思う。

やはり、激務の夫と病気もちの妻の生活は、完璧に順風満帆とはいかない。

でも東京に「家族」がいてくれる、そして自分のことを受け入れてくれている、という安心感がある。
また結婚して数年間は、私が治療に専念できるよう専業主婦という選択肢をとらせてもらえた。

そのかいあって信頼できる主治医に出会えたし、ストレスもぐんと減った。
今も薬を飲みながらの生活だし、人より体調を崩しやすいし、できないことも多い。

それでも日常の生活を回せて、友人や夫との時間を朗らかに楽しめるくらいには快復してきた。最近はライターの仕事もさせていただくようになった。
一番悪かったときのことを考えれば奇跡だ。


そして昨夜、
長く生きたい前提で思考していた。

かつて設定したリミット「○○歳」は、実はもう過ぎている。
治ったかと聞かれれば、治っていない。
でも、いま死にたいとは思っていない。


30代、40代、50代、その後まで生きるつもりでいる。まだこの世に未練がある。できれば充実した幸せな人生を送りたいとまで思っている。

そんな自分に心底驚いた。

峠はきっと越えた。

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◇これから


揺り戻しが来ることもあるだろう。
また「死ねれば楽なのに」と思うかもしれない。
でもどうにかこうにか耐えしのげば、トンネルからふっと抜けられる日が来るよとそのときは自分に言い聞かせようと思う。


いまもし、
現状が辛くて辛くて生きていたくないと思っているかたがいたら
いま少しねばってみてください

こんな私でも「生きたい」と思うようになりました。

あなたにもいつかきっと、そんな自分に驚く日が来るはずですから。

















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