アラサーライター吉原由梨の 「ようやく大人 まだまだ女」

フリーライター/コラムニスト、吉原由梨のブログです。 Webサイトを中心に執筆しています。 都内の大学法学部卒業後、 ITメーカーOL→ 研究機関秘書職→ 専業主婦→ フリーライター兼主婦 日々感じること、ふとしたことからの気づきを綴っています。恋愛と結婚を含む男女のパートナーシップ、人間関係、心身の健康、家庭と仕事、グルメや読書の話など。美味しいもの、マッサージ、ふなっしー大好き。 Twitter:@yuriyoshihara こちらもお気軽に。

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感性

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年に一度恒例の健康診断も無事終わり、(結果はまだですが)
とりあえず体重と腹囲は問題なし。

そして産まれて初めて
「きれいな肝臓ですね」と誉められました(笑)
き、きれいな肝臓…?

3時過ぎに終了し、低血糖と暑さと空腹でフラフラになりながら(昨日の夜中からなにも食べてない)近くの駅ビルへ駆け込み、サンドイッチを瞬殺してなんとか帰宅したところです。


さて、Twitterを始めてちょうど4ヶ月が経ったちました。
ようやく扱い方にも慣れてきて、楽しみ方も分かってきた、ような気がしています。


◇私のSNS歴◇◇◇
私が初めて触ったSNSはmixiで、当時大流行していましたからほぼ毎日のように日記を書いたり友達のを読んだり、リアルなコミュニティーの延長として使っていました。ちょうど暇な学生時代でしたしね。

で、mixiが下火になった頃Facebookがどーんと流行り、私もそっちへ移動。
mixiで繋がってたリアル友達に加えて、本名の登録だから古い友達も探しやすくて、地元を離れている私にはとても有り難いツールです。公開範囲が設定できるのも安心。
現在も使っています。

あとはLINE。これは連絡ツールとして便利なのでメールがわりに。

で、その間多分ずーっと流行ってはいたんだろうけど全く興味がなく、一度も手を出さなかったのがTwitter(笑)
なんでだろう?140文字という制限に面倒臭さを感じてたのか、もしくはmixiやFacebookで事足りていたので、あえて手を出す気にならなかったのか…。おそらく一番大きな要因は、リアル友達以外の匿名の人達とネットで繋がるということにピンと来なかったことだと思います。



◇はじめてのTwitterに挑戦した理由◇◇◇
そんな私がどうしてTwitterを始めたかというと、理由はただひとつ、仕事の参考にするためです。
あ、ごめんなさい嘘つきました。もうひとつ、ふなっしーの情報が欲しいからです。。
その2つです。

全く未知の「webライター」という世界に突然足を突っ込んだ私は、その世界の全体像も分からなければ、具体的にどんなメディアがあるのか、どんな人達がそこで活動してるのか、どんな情報が流通しているのか、その世界では何が「良し」とされているのか、さっっっぱり分かりませんでした。

だから、Twitterでそういう世界に属する人達とうっすらとでも繋がり、どんな活動をしていてどんな発言をするのかに触れれば、少しでもその世界の片鱗が見えるんじゃないか…そんなふうに思ったんです。
藁をもつかむ、とでもいいましょうか。

そんな思いで始めたTwitter、やはり何人かライターさんやエディターさん、webメディアにかかわる方々をフォローしていると、これまで自分がいた世界とはぜんっぜん違うなと強烈に思いました。
もちろん社会人として必要とされるマナーやスキルは基本的には変わらないんですが、やはり「良し」とされる価値観が違います。
たった4ヶ月しか覗いていない私の短絡的な見解ですが、
「既存の概念にとらわれず個性的であること」
「文化的であること」
「人の心に何かひっかかること」
「予想の斜め上をいくこと」
「とにかく新しいこと」

これらが良しとされているのかな?と感じています。

ただしこれは、webメディアに関わってらっしゃるかたのうちでTwitterを利用されていて、かつ私がツイートを拝見してる方というごくごく一部の方のみへの印象ですから、非常に偏っているかもしれません(^-^;

そして、webというまだまだ未開拓なビジネスフィールドで、いかに新しい価値を創っていくか、つまりはビジネスチャンスを見出だして形にしていくか、ということに注力されているようにも感じます。

とにかく日々発見、勉強です。
特に、具体的にライティングの基礎やポイントに言及されている方のツイートなんて永久保存版です!!自己流で変な癖がつく前に、そういう基本に触れる機会が出来たのは、Twitterに飛び込んでみたからこその大きな収穫でした。


◇たった140文字でも伝わる。◇◇◇
webメディアの世界で働いている方、広く文筆業関係の方、ふなっしー関連ww、以外にも、純粋に「このツイート面白いな」と思った人のページに行ってみて、過去を遡って読んでみてやはり面白ければ、年齢性別職業関係なくフォローしています。ブログにお邪魔している方も何名かいます。

興味深いことに、私が「面白い」と思った人のツイートはやはり多くの人にとって面白いようで、その人のページに行ってみるとフォロワー数が桁違いで驚くことが多いです。

でも一方で、フォロワー数がめちゃくちゃ多くてあらゆる人が反応するので、私自身がフォローしていなくてもその人のツイートが私のタイムラインに流れてくることも多いのですが、読んでも「何が面白いのかさっぱりわからない」場合や、「気のきいたこと言ってる風だけどかなり偏っていて共感できない」場合も多々あります。


たった140文字ですが、人柄や感性が出るんですよね。
これはそっくりそのまま自分にも言えることなので、Twitterに限らず仕事で書く記事でも、その文章を通して私の人柄や個性はどう読者の心にうつるのか、少し気にしてみるきっかけにもなりました。

私は、Twitterでは直接面識のある人とは一人も繋がっていません。(仕事で、電話やメールでのやり取りがある方は数名いますが。)なので、その人に対して抱く印象は完全にTwitter経由のみ。それでも数日もフォローしていれば、よっぽど相手がブランディングやネタのためにキャラを作っていない限り、人となりがだいたい分かってくるので不思議なものです。

これは私が特に昔から、自分と感性の合う人を見つけるのが好きで、断片的な情報からその人の像を結ぼうとする習慣があるからなのかもしれませんが、
たとえば何をツイートしたいと思うか、その事柄についてどういう面を重視しているのか、それをどういった言葉を選択して、どういう語調で表現するか。。という一連の行為に、思考回路、感性、価値観、波長が現れます。
しみじみ面白いです。

価値観の合う人のツイートは読んでいて心地よく、合わない人のツイートは読んでいて疲れます。もしくはイライラします(笑)

おそらく、読んで心地よい方とは直接会えば気が合うでしょうし、逆もまた然り。まだ証明されてはいませんが、まぁきっと近いうちに。


◇情報を取捨選択する力◇◇◇
Twitterのタイムラインというのは様々な人の様々な発言で溢れており、そこには正負の感情や勢いも同時に詰まっています。上手に距離をとらないと、当たるというか酔うな、というのも4ヶ月使ってみての率直な感想です。

また、これは匿名性のネットの特性なのかもしれませんが、なにかひとつホットなトピック(最近ですと国立競技場問題とか)が起こると、議論とは呼べないレベルの学級崩壊のような現象がそこではおこります。各々浅い知識で勝手なことをいい、極論をぶつけ合い、ストレスをぶつけるかのように罵倒しあい、そしてときたま上から目線で纏めようとする人物があらわれる…
というような具合です。
言論の自由ですから、どれだけ浅い知識で何を言おうが自由なのですが、あまりに浅はかで極論で、揚げ足の取り合いのようなやり取りを見ていると、正直「これだから日本はダメなんだよ…」と思えてきますし、一個一個読んでしまう私みたいなタイプはものすごく消耗します。
もう懲りたので、今ではそういう人のツイートは読まない、と決めています。

いろいろな人がいますので、自分を守ることも大切です。


そして、時々Twitterの中にいて混乱するのは、マジョリティでいることはむしろマイナーで、マイノリティーでいることがメジャーもしくは優れているというような、多少倒錯した価値観が少なからず存在するように感じます。 個性重視、の空間だからかもしれませんが、それはそれで1つの価値観、と割りきって、いちいち自分の立ち位置を照らし合わせる必要はないなというのも気付きです。


☆文字数が限られているからこその醍醐味◇◇◇
ここまで、
Twitterを始めた経緯や4ヶ月なりの雑感を述べてきましたが、
今のところ、Twitterに飛び込んでみてよかったと思っています。

上に書いたようなことを心に留めつつ上手に使えば、自分の見識はどんどん広がり、多くの学びが得られます。私にとっては、読んでいて心地よく、こころから共感できる文章、言葉選びが秀逸だと思える文章に出会えることはこの上ない喜びです。また、そういう文章を編み出す方々との交流によって、自分自身の感性も刺激され、仕事にも活かされます。

…和歌の31文字とは凝縮度が比べ物になりませんが、140文字に表れる「詠み人」の心の内に思いを馳せるのも、なかなか趣あるものです。

ただその趣を感じるためには、フォロイーさんを上手に選ぶ必要がありますが…(笑)
私はいまだに、try&errorですよ!





では、今夜はFNS歌の夏祭りに、私の愛するたこ焼き頭の梨の妖精が出るので、この辺で







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準々決勝、準決勝までは、代々木のオリンピックセンターで行われます。
全国から高校生がわさわさ集まってるわけですから、すごい人!!地元の県大会はもう上位陣みんな顔馴染みになっているので、このアウェイ感だけでも気圧されそうです。田舎から来てますし(笑)

でも、落ち着け、そんなことで気圧されちゃいけない。と自分に言い聞かせ、いつも通りの練習へ。

そうこうしているうちに東京にいるOBOGの先輩方が来てくれて、すごくホッとして気分がなごみました😊 あぁなんかいつもの部活みたい。
と緊張がほどけたのも束の間、本番が近づくと気持ち悪くなってきます。(私は極度の緊張症で、必ず吐き気におそわれます。たまに吐きます…。)
もう倒れるんじゃないかというところで、順番が来てマイクの前へ。
エントリーナンバー、作者名に作品名、学校名、氏名。
そこまで読むと不思議とすっと落ち着きます。
いつも通り読めた気がしました。

一方、別室で同じく本番を終えた友人は、なんだか冴えない表情。彼女は緊張なぞ全くしないのですが、どうもうまく行かなかった様子。ちょっと意外です。

この準々決勝から準決勝にあがるラインで、300人ほどの学生を60人にしぼります。

発表は翌日です。その夜は先輩方ふくめてみんなでバイト先の高田馬場のマクドナルドで大盛り上がりでした(笑)

そして翌朝、準決勝進出者発表です。
ドキドキしながら紙を見つめて…
あった!あった!私残った!

と思ったら、隣の友人の番号が無かった。実力的には十分残れたはずです。本当に前日よほど不調だったのでしょう。

なんとも言えない気分を私も味わいながら、
でも切り替えて、私は私の準決勝に集中せねばなりません。 顧問の先生が、気をきかせて彼女と二人でちょっと外出してくれました。(おそらく、このときに軽い雰囲気で慰めたんだと思います。友人も私の前では悲しいとか悔しいとか言いづらいでしょう。普段は激厳しいですが、暖かみのある先生です。)


そして私はまたしても本番が近くなると具合が悪くなり、吐きそうな気分をこらえながら会場へ。
真っ青になりながらマイクに向かい、前日と同じように読み始めます。

…悪くはありませんでした。
はっきりしたミスもなく悪くはないんですが、「いけた!」という手応えもなく、なんだか不完全燃焼感が。自分の呼吸と感性と集中力とがカチッと噛み合う感覚が無かったのです。でも、それも含めて実力です。

結果発表は翌日、NHKホールにて。
その日は先輩方と渋谷の山頭火にいきました(笑)


そして翌朝、生まれて初めてのNHKホール。
二人揃って寝坊したせいで(オイ)発表ギリギリに到着。
朗読部門の決勝進出者がスクリーンに写し出されます。

私の名前は、ありませんでした。

悔しかったです。残念でした。NHKホールの舞台は夢でした。
でもどこかで、ちょっと納得している自分がいます。昨日のあの感覚では、決勝に残れるほどの読みはできてなかっただろうと。

この体験は、私に大きな、非常に大きな教訓をくれました。
何か本気で手に入れたい、成し遂げたいと思ったら、最後の一瞬まで気を抜いてはいけない。手を緩めてはいけない。と。
結局私の詰めが甘かったのです。
この教訓は体験をもって強烈にわたしに刻まれ、その後の受験生活を乗り切るエネルギーになったと思っています。



地元に戻って、受験勉強1色の日々が始まります。部活も引退です。
結局夢の舞台にはたてませんでしたが、悔いはありませんでした。三年間やるだけやったし、教訓も得ました。

何より、
「言葉」や「文章」のもつニュアンスやオーラにとことん向き合ったことが貴重な財産になりました。
同じ単語でも平仮名かカタカナか漢字かでニュアンスは変わります。
感情や物の状態を形容するにも、漏れなくダブりなく二つの単語が使われている場合(たとえば「可憐で妖艶」など)は、そこをどうあわせてひとつの像として解釈し、どういう声の質感で表現するかによって、聞き手への伝わり方は変わるのです。

そんなことと日々向き合っていると、自然と自分が発する言葉にも気が向くようになりました。

もちろん24時間365日意識しているわけではありませんが、自分が言わんとすることに「しっくりくる」言葉を探す習慣が、いつの間にかついています。また、言葉のもつ雰囲気や質感にも、周りとくらべて敏感な方です。
ライターの仕事を始めてから自分の言葉で文章を書く機会が増えたので、部活動というのは意外なところで人生の役に立つんだなと実感しています。

もう一点、あらゆる種類の文章を読む訓練をしたことで、読んでリズムの良い文章とそうでない文章の違いを意識するようになりました。
代表的なのは、翻訳文です。あれは大抵朗読しづらいです。なぜなら著者の持つ本来のリズムではなく、翻訳の過程で仕方なくリズムが崩れてしまった文章を、違う言語で私たちが読むからです。(朗読の世界では、翻訳文はひとつの鬼門です)
そして、リズム良く朗読できる文章は、黙読していても心地よく、内容の理解もしやすいのです。
ですから、私は自分が原稿を書いたら、かならずぶつぶつと声に出して読んでみます。さすがに滑舌は気にしませんが(笑)、なんか心地悪いなと感じる部分は句読点を変えたり語句をけずったりと、音読を推敲の一助にしています。


芸は身を助ける、というほどのスキルではなくあくまでも高校生の部活動レベルですが、何か必死に取り組んだことは、意外な局面で活きます。そして重要なのは、必死に取り組んだのはもちろんのこと、楽しんでいたことだと思います。

こんなに長々と書くくらいですから(笑)、部活動3年間は、良いことも悪いことも含めて、私の大切な思い出です。


案外幼い頃や若い頃好きだったことに、自分の「得意」を見つける端緒が眠っているかもしれません。

みなさんも、少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


それでは夏本番、良い週末を❤❤

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