忙しすぎる夫
私の夫は「リアル9時5時(朝)」といわれる業界で働いている。
午前中から働き始め、夜中タクシーで帰宅し、また朝まで自宅で仕事する。そんな生活を揶揄した言葉だ。
結婚して以来、平日に顔を会わせるのはせいぜい15分、という生活がほとんどだ。
週末も半分くらいの時間は仕事に費やしている。

もちろん、夫はその状況を承知の上で就職しているし、職業自体は、夫が長年努力して努力してやっと就いた職業だ。
そんな夢を実現した夫のことが誇らしくもあるし、尊敬もしているし、全力で応援している。

けれど、妻としては夫の心身が心配だ。

時々疲労がピークを越すと「やめたい…疲れた…」というので、
「職場を移れば?」というと
「路頭に迷う…」と言う。

いや、たしかにずっと無職だと私の収入じゃまるで足らないけど、何も今ほど働かなくてもいいよ!?そりゃ多少収入は減るけど…
自分で「十分やった」って納得したならやめたらいいよ。
と繰り返すのだが、いっこうにやめる気配はない。

年次があがって中堅になれば楽になるかと思いきや、一層仕事がふってきているようだ。もう最近は本人も家族も訳がわからなくなるくらい忙しい。



弱い妻
一方私は、体調が安定しない妻である。
命にかかわる病気ではないが持病があり、ときに生活に支障がでたり、行動が制約されたりすることがあり、悪い時期にはいると家事もままならず、実質的に一人での生活が難しいこともある。(本当に最悪の時だけですが)

そうなると、双方実家は遠方で近くに親族もいないので、家の中のことはまわらなくなるし、何より私が静養できる環境がととのわない。悩んで悩んだすえ、数年前にはしばらく実家で療養させてもらったこともあった。
そのときのことを思うと、夫に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

私みたいな妻と結婚することはなかったんじゃないか、
別の女性と結婚すればもっと不自由しなかったんじゃないか。

自分のせいで、自分が愛する人の人生がダメになるのが怖い。離れた方がいいんじゃないか。

でもその思いを決死の覚悟で口にする度に、
「それも込みでゆりを選んだんだ。それで結婚したんだから、ゆりは存在してればいいんだよ。」
と泣きじゃくる妻に夫はいう。

その言葉を体現するかのように、夫は転職を考えたことがあった。今よりもワークライフバランスがとれて、妻と共に家にいられることを求めて。
具体的な話もいくつか来ていた。

ありがたいことこのうえない話である。「仕事したいのに妻が邪魔」ではなく、「妻のために仕事先を変える」という選択肢をとろうとしてくれた。
心底感動したが、実現にはいたらなかった。もちろん、条件面の事情もあるが、夫のこの先のキャリアを考えたとき、私は自分のせいで本人が納得してない方向転換をさせるのは嫌だったのだ。

「あなたが納得するまでいまの職場でたたかって、自分でここぞと思うときに動いてほしい」
そう伝えた。


そのためにも、私もしっかりしなくてはいけない。
評判のよい病院をさがし、食生活や体のケアに気を配っている。よい主治医に恵まれたお陰かここ数年は長期間療養を必要とすることもなく、時季によって波はあれど、なんとか東京での生活をほそぼそとまわせる程度には保てている。



二人の綱渡りと、大切な約束
とはいえ、
我が家の暮らしに、たぶんに綱渡りの要素があるのは否めない。これまでも、おそらくこれからも。
でも、その綱はきっと最初は絹糸みたいに細くて今にもちぎれそうなものだったかもしれないけれど、年月を経るごとに撚りあわされて確実に太く強くなってきていると思う。綱引きの綱くらいにはなっている。もしくはひょっとすると、単によりあわせるのではなく、名曲『糸』にあるように、夫の縦糸と私の横糸が織られていて、この先織り成す布が強く暖かく自分達を包んでくれるかもしれない


未来を予測することはできないが、ただただ力を合わせて1日1日過ごしていくのみだ


ただし、約束していることがある。
いくら「納得できたらワークライフバランスとれるとこに移ったらいいんだよ!」と妻が繰り返し言っていても、やっぱり大黒柱の責任感はずっしりくるんだろうと思う。過酷な状況で踏ん張ってくれてありがたいと感謝している。
でも、無理がたたって突然倒れるのがほんとに怖い。実際に倒れて辞めていった人も存在する。

真剣に体と神経がヤバイと思ったら粘らない。そうなったら納得とか関係ない。こじらせる前に絶対やめる!
妻が夫に絶対守ってと口を酸っぱくしている約束である