準々決勝、準決勝までは、代々木のオリンピックセンターで行われます。
全国から高校生がわさわさ集まってるわけですから、すごい人!!地元の県大会はもう上位陣みんな顔馴染みになっているので、このアウェイ感だけでも気圧されそうです。田舎から来てますし(笑)

でも、落ち着け、そんなことで気圧されちゃいけない。と自分に言い聞かせ、いつも通りの練習へ。

そうこうしているうちに東京にいるOBOGの先輩方が来てくれて、すごくホッとして気分がなごみました😊 あぁなんかいつもの部活みたい。
と緊張がほどけたのも束の間、本番が近づくと気持ち悪くなってきます。(私は極度の緊張症で、必ず吐き気におそわれます。たまに吐きます…。)
もう倒れるんじゃないかというところで、順番が来てマイクの前へ。
エントリーナンバー、作者名に作品名、学校名、氏名。
そこまで読むと不思議とすっと落ち着きます。
いつも通り読めた気がしました。

一方、別室で同じく本番を終えた友人は、なんだか冴えない表情。彼女は緊張なぞ全くしないのですが、どうもうまく行かなかった様子。ちょっと意外です。

この準々決勝から準決勝にあがるラインで、300人ほどの学生を60人にしぼります。

発表は翌日です。その夜は先輩方ふくめてみんなでバイト先の高田馬場のマクドナルドで大盛り上がりでした(笑)

そして翌朝、準決勝進出者発表です。
ドキドキしながら紙を見つめて…
あった!あった!私残った!

と思ったら、隣の友人の番号が無かった。実力的には十分残れたはずです。本当に前日よほど不調だったのでしょう。

なんとも言えない気分を私も味わいながら、
でも切り替えて、私は私の準決勝に集中せねばなりません。 顧問の先生が、気をきかせて彼女と二人でちょっと外出してくれました。(おそらく、このときに軽い雰囲気で慰めたんだと思います。友人も私の前では悲しいとか悔しいとか言いづらいでしょう。普段は激厳しいですが、暖かみのある先生です。)


そして私はまたしても本番が近くなると具合が悪くなり、吐きそうな気分をこらえながら会場へ。
真っ青になりながらマイクに向かい、前日と同じように読み始めます。

…悪くはありませんでした。
はっきりしたミスもなく悪くはないんですが、「いけた!」という手応えもなく、なんだか不完全燃焼感が。自分の呼吸と感性と集中力とがカチッと噛み合う感覚が無かったのです。でも、それも含めて実力です。

結果発表は翌日、NHKホールにて。
その日は先輩方と渋谷の山頭火にいきました(笑)


そして翌朝、生まれて初めてのNHKホール。
二人揃って寝坊したせいで(オイ)発表ギリギリに到着。
朗読部門の決勝進出者がスクリーンに写し出されます。

私の名前は、ありませんでした。

悔しかったです。残念でした。NHKホールの舞台は夢でした。
でもどこかで、ちょっと納得している自分がいます。昨日のあの感覚では、決勝に残れるほどの読みはできてなかっただろうと。

この体験は、私に大きな、非常に大きな教訓をくれました。
何か本気で手に入れたい、成し遂げたいと思ったら、最後の一瞬まで気を抜いてはいけない。手を緩めてはいけない。と。
結局私の詰めが甘かったのです。
この教訓は体験をもって強烈にわたしに刻まれ、その後の受験生活を乗り切るエネルギーになったと思っています。



地元に戻って、受験勉強1色の日々が始まります。部活も引退です。
結局夢の舞台にはたてませんでしたが、悔いはありませんでした。三年間やるだけやったし、教訓も得ました。

何より、
「言葉」や「文章」のもつニュアンスやオーラにとことん向き合ったことが貴重な財産になりました。
同じ単語でも平仮名かカタカナか漢字かでニュアンスは変わります。
感情や物の状態を形容するにも、漏れなくダブりなく二つの単語が使われている場合(たとえば「可憐で妖艶」など)は、そこをどうあわせてひとつの像として解釈し、どういう声の質感で表現するかによって、聞き手への伝わり方は変わるのです。

そんなことと日々向き合っていると、自然と自分が発する言葉にも気が向くようになりました。

もちろん24時間365日意識しているわけではありませんが、自分が言わんとすることに「しっくりくる」言葉を探す習慣が、いつの間にかついています。また、言葉のもつ雰囲気や質感にも、周りとくらべて敏感な方です。
ライターの仕事を始めてから自分の言葉で文章を書く機会が増えたので、部活動というのは意外なところで人生の役に立つんだなと実感しています。

もう一点、あらゆる種類の文章を読む訓練をしたことで、読んでリズムの良い文章とそうでない文章の違いを意識するようになりました。
代表的なのは、翻訳文です。あれは大抵朗読しづらいです。なぜなら著者の持つ本来のリズムではなく、翻訳の過程で仕方なくリズムが崩れてしまった文章を、違う言語で私たちが読むからです。(朗読の世界では、翻訳文はひとつの鬼門です)
そして、リズム良く朗読できる文章は、黙読していても心地よく、内容の理解もしやすいのです。
ですから、私は自分が原稿を書いたら、かならずぶつぶつと声に出して読んでみます。さすがに滑舌は気にしませんが(笑)、なんか心地悪いなと感じる部分は句読点を変えたり語句をけずったりと、音読を推敲の一助にしています。


芸は身を助ける、というほどのスキルではなくあくまでも高校生の部活動レベルですが、何か必死に取り組んだことは、意外な局面で活きます。そして重要なのは、必死に取り組んだのはもちろんのこと、楽しんでいたことだと思います。

こんなに長々と書くくらいですから(笑)、部活動3年間は、良いことも悪いことも含めて、私の大切な思い出です。


案外幼い頃や若い頃好きだったことに、自分の「得意」を見つける端緒が眠っているかもしれません。

みなさんも、少し思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


それでは夏本番、良い週末を❤❤

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