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人気ブロガー小林トシノリさんが、
こんな記事を書いてらっしゃいました。


「妥協」にならない、完璧主義のやめ方(仕事編)
http://enrique5581.net/not-compromise-perfectionism-stop-work/


耳が痛いですねー。
家族にも友人にも医者にも「完璧主義だねぇ」と言われ続けてウン十年の私には、そうだねぇそうだねぇと頷くご指摘ばかり。
あ、ただ私は期限は守りますよ。
「完璧じゃないから納期きたけどまだ出さない」とかそんなとんでもないことは言いません。むしろ、途中で体調不良で停滞してもいいように「自分納期」はクライアント納期の最低でも3日前です。

ただ、私の何がやっかいかというと、生来は怠け者のくせに、完璧主義なんです

そんなストイックな日々を送りたいわけでもないダラダラした人間で、なるべくのんびりしていたいのに、やるとなると自分にえらく高い要求を突き付ける。
結果、怠け者の自分に鞭打って完璧主義者的結果を出そうとするので、その過程は大変なハードシップになってしまい、人の何倍もの精神力と自律心を必要とします。

もう本当に厄介です。

どのくらい厄介かというと、、

■怠け者の完璧主義者が歩むいばらの道

中学三年→英単語を3000語覚えろという母校独特の鬼のような試験があり、勉強なんて嫌いなのに受けるからには合格したい私は仕方なく勉強する。なんか連日胃がキリキリムカムカするようになり、おかしいなぁと思い親に症状を説明したら、「それ胃潰瘍のはしり」と言われて薬を与えられる。結果合格。

(うちは中高一貫だったので高校受験はありません)

高校一年→校内弁論大会でクラス代表になり、そんなの適当にやっときゃいいのに立派にやろうと思うあまり本番2時間前から吐き気を催し、直前に吐く。結果入賞。

放送部のお仕事で校内行事の司会(数えきれないくらいやった)→さすがにこれは吐きはしないが緊張で吐き気に苦しむ

高校→勉強が嫌いなのに、勉強が好きな人しか行かない大学に目標を設定してしまい、決めたからには絶対合格したくて、過酷な受験勉強に息切れ。

大学入試センター試験→「ここでしくじったらすべて水の泡」のプレッシャーで当然吐く

二次試験→いわずもがな

大学一年→周りの優秀な同級生と同じ試験を受けることにとんでもないプレッシャーを抱き、試験期間はずっと体調不良。食べられない、お腹が痛い、吐き気、とにかくありとあらゆる不調。
試験後胃カメラ。
(そして蓋をあけてみると以外と成績がよかったりする)

これ、在学中四年間続きます。

すべてに共通するのは、

別に誰も強制してないのに勝手に目標を高く掲げ自分を追い詰める
頑張るのはいいことだが頑張りすぎる
結果がすべてだと思っている
身体に影響がでまくる
悲観的


面倒くさい人間ですね~。何より自分が一番しんどいです。


仕事をするようになってからも基本的にはかわりません。
ただ、自分との戦いだけしてればよかった学生時代とは違って、チームで仕事をする場合その仲間、カウンターパートがいる場合そちらの利益も関係してきますから、少し私の完璧主義も現れかたが変わってきました。
「人に迷惑をかけてはいけない」というプレッシャー、
「ミスは許されない」というプレッシャー、
「常に評価されている」というプレッシャー、
「速く成長しなければ」というプレッシャー。

いま考えれば、新卒の新人に誰も完璧を期待しているわけもなく、新人のミスなんて計算のうち、むしろ失敗しながらじっくり成長してほしいと思われていただろうに、

自意識過剰な私は一人プレッシャー地獄へズブズブと沈んでいったわけです。自滅。


教授秘書への転職後は、 民間企業のように利潤追求を目的としない分ノルマも営業成績もなく、そういう点では精神的に楽でした。
ただ、どこにいっても良い点悪い点あるもので、結局またプレッシャー地獄に陥ります。
どういすうことかというと、チームで仕事をするわけではなく、私一人で研究室の業務を回していたので、とても神経を消耗しました。
大学院生にかかわる手続きというのは、博士論文審査のための書類作成や、奨学金の申請、留学生受け入れのための大使館とのやりとりなど、学生の進路を決定付ける非常に重要なものが多く、きっちりとした正確さとスケジュール管理が必要とされました。学生は50人います。
そして上司の教授は、典型的な「事務的なことどうでもいいよ」タイプなので、大学から来ている重要なメールなどもほぼスルーです。

そうなると、私の預かり知らないところで期限は着々と近づき、下手すると過ぎ、真っ青な顔をした学生が「どうしよう!」と私のところへ駆け込んでくるわけです。
私 ポカーン。

学生と一緒に状況を把握し、方々に謝罪して回って期限をなんとか延ばしていただき猛スピードで準備します。そんなことが何度あったかわかりません。大学のあらゆる部署から苦情催促のメールを受けまくりました。謝る技術は上がりましたね…。

そういうことがあった翌日、一連の経過を報告すると定番のお言葉「ぼくはアカデミックな本質的なことはやるけど、つまらない事務事はどうでもいいんだよ」

・・・でしたらそのつまらないどうでもいい事務事は私がやりますので、全部私に転送してください!!(アルカイックスマイルで話しつつ、内心はらわたが煮えくり返っている)


そんな具合でしたので、新卒の頃とは別の意味での「私が見落としたらダブルcheckする人は誰もいない。きっちり網羅しないと」というプレッシャーが半端なく、責任感から来る完璧主義に日々苦しみました。

唯一の救いは、ここでは私の完璧主義は私自身を苦しめはしたものの、仕事を全うすると言う観点では役に立ちました。(上司いい加減、秘書いい加減だと、想像するのも恐ろしいカオスが待ってますからね…。)


☆二の轍、三の轍…いや十の轍を踏まないために


とまぁこんな具合に自分の性格はよーくよーく分かっているので、
現在のライターの仕事も
健康を損なわず、細く長く、positiveに続けることを第一に考え
○無理かもと思う量を引き受けない
○ストレスで健康を害するほど根詰めるならやめる
○原稿の質も完璧を求めない
○性急に結果(アクセス数、収入など)を求めない


という大原則
をいつも意識しています。

これは、現在も私自身が完全な健康体でないこと、そして私の本業は主婦として多忙な夫を支えることである、という2つのことも理由です。(時代錯誤かもしれませんが、主婦業が疎かになるような働き方はしないと決めています)

参考 専業主婦に憧れる女子たちへ vol.1 ~私はなぜ専業主婦になったのか~ |
専業主婦に憧れる女子たちへ vol.5 ~結局どうなの専業主婦!?~


ありがたいことに、先月担当コラムの本数を大幅に増加しないかというオファーをいただきました。ほぼ倍増です。
とても光栄なことですし、やりたい気持ちもありました。
下積み期の仕事人としては、一も二もなく二つ返事で引き受けるべきでしょう。
でも、引き受けたら私はきっとプレッシャーで眠れなくなり、胃がいたくなるまで根を詰めます。
本数をこなすためにやっつけ仕事の原稿を量産し、そのことにストレスを感じるでしょう。

手に取るように分かります。

ですので、大変申し訳ないのですが、倍増はお断りし、微増、にさせていただきました。(他にも大人の事情もありました)

仕事人失格かもしれませんが、「自分の気質、体質とつきあっていく」とは、そういうことだと割りきっています。


そして、
「まいっか」←小林さんも実践されてるそう
「何事も適当に←ふなっしーの名言
を敢えて口癖にし、ともすれば完璧主義にぐぐぐーっと傾きそうな自分に歯止めをかけるようにしています。


適当万歳!といいたいわけでは決してなく、
何事も
真剣になるのは良いけれど、深刻になるのは良くない
と思うのです。
深刻になってしまうと、取り組むことや頑張ることそのものが苦行になってしまい、思考回路もどんどん悲観的になります。下手すれば健康を損ねます。
最悪のケースを仮定してそれに備えるのは大切なこと。でもそれは淡々と備えれば良いのであって、憂いや深刻さを伴う必要はありません。



☆完璧主義も、役に立つこともある

ここまでの話では、私がいかに完璧主義に苦しんできたか、いまいかにそれと付き合っているか、という「完璧主義撲滅論」になってしまいそうですが、
そう悪いことばかりではありません。

先程秘書の業務において、自分は苦しかったが業務を全うするうえでは役に立ったと書いたように、効を奏する場面もあるのです。

たとえば、
私は数年前に大事な友人の結婚披露宴で友人代表スピーチを頼まれました。
「緊張で吐くから勘弁して…」と断ってしまえばそれまでですが、大好きな友人の晴れの舞台で一役かえるなんて幸せなことです。
あえて引き受けることにしました。

やるからには、この上なく喜ばれるスピーチをしようと思いました。(早速完璧主義の私がムクムク顔を出しますw)
緊張に対処するには周到な準備しかありません。一ヶ月前から原稿を書き、起承転結、友人の人となり、ユーモア、二人のなれそめ、友人としての心からの祝福が漏れなくダブりなく入っているか、マナー的に問題がないかをひたすらチェック。
声に出して読んでは時間を計る。親しい友人二人に聞いてもらい、忌憚のない意見をもらう。推敲する。
最終的にはデジカメで動画を撮影しながら一人リハーサルを暗記するまで何度も何度もこなす、という仕事のプレゼン張りの準備をしました。

個人的に、スピーチを読み上げるのはみっともないと感じるので、完全に頭にいれて、でも万一のお守りのために小さく畳んだ原稿をハンカチと一緒に手にもって(ここら辺に心臓の小ささがでてる 笑)本番に挑みました。

夢中で喋りましたが、棒読み感も出ず、堂々と、笑いもとりながら非常にあたたかいスピーチをすることができたと自負しています。何回も飽きるほど読んだ原稿なのに、友人本人を目の前にして喋ると自然と涙が出ました。本当に、この大切な役目を私に任せてくれてありがとう、そう思いました。

友人代表スピーチというのは、「友人」を通して「新婦」の人柄や品性まではかられます。類友ですからね。私がきちんとスピーチをすることは、花嫁自身の評価にもつながります。手前味噌で恐縮ですが、私は役割をきっちり果たしたといまでも思っています。


このように、完璧主義も場面によっては長所です。度が過ぎないように、周りまで巻き込まないように気を付ければいいだけ。
完璧主義をすべて捨ててしまう必要はない、バランスの取り方を身に付ければ良いのだと思います。

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☆「満点」でなく「沸点」を目指すともはや芸術

冒頭でご紹介した 小林トシノリさんのblog にもあるとおり、
仕事の場面においては完璧主義者は敬遠されがちです。
なぜなら、
質にばっかりこだわってスピードが遅い
量を捌けないから周りがわりをくう
所詮自己満足にすぎない場合が多い
痛々しい
からでしょう。

一理あると思います。

ただ、たまにいるんです。
自己満足とかそういう次元をはるか越えて、
同僚もクライアントも関係者全員が感動するレベルの成果物を生み出す完璧主義者が。
まれではありますが、
そういう人物のやりあげた仕事をみていると、もはや芸術です。ロジックの緻密さ、発想の斬新さ、論拠の手堅さ、さらには一匙の遊び心さえもが調和がとれており感動すら覚えます。
もちろん仕事が遅いなんてわけはなく、納期に間に合わせるなんて地動説並みの常識です。

そういう人をみると、私は
「この人は満点でなく沸点を目指してる」
と感じます。
低い順にならべて、及第点→満点→沸点。
つまり沸点とは、単に「ミスがなくて完璧」な満点をはるかに通り越して「人に感動を与える」レベルです。
そして沸点を目指すレベルの人は、(端から見ると苦行レベルのハードな邁進ぶりなのですが)本人はそれを楽しんでいる。「こんなことできて幸せ!」とすら感じながらイキイキやっているので痛々しさもなく、周りをポジティブに巻き込んでいきます。

ジャンルは違いますが、例えばフィギュアスケートのキム・ヨナ選手。彼女のバンクーバーオリンピックでの演技はまさに沸点でした。


仕事で沸点に達することが出来るのは、ある程度以上の天賦の才と、努力、レジリエンス、ニーズを汲み取る力、多面的なものの見方、あらゆるものを兼ね備えた一握りの人かもしれません。
私のような普通のありふれた人間が、真似しようと思ってもなかなかできません。

ただ、こんな怠け者完璧主義者の私でも取り入れられそうだと思ったことがひとつあります。

満点を目指すとき、人はどこか息苦しく、減点方式になる。
沸点を目指すとき、人はどこか楽しく、加点方式になる。


ということです。これは人を観察したり、自分自身の経験を通しても感じたのですが、
満点をとろうとすると「ミスをしてはいけない」というほうに視点が行き、思考方法が「あるべき状態」からの減点方式になっていくんでね。


他方で沸点を目指してみると、しっかり基本的なポイントをおさえたら、あとはミス云々ということより、いかに工夫を凝らすか、相手が喜んでくれるものになるか、と考え方が加点方式になります。そして相手が喜んでくれるということはすなわち相手意識ですから、自己満足から1歩脱します。(もちろん、それを本当に相手が喜ぶかは蓋を開けないとわかりませんが、意識するのとしないのとでは雲泥の差でしょう。)


これは精神衛生上、そして仕事への取り組みとして大変大きな差です。


☆完璧主義を完璧にやめようとしないで

長々と書きましたが、
完璧主義を脱することができれば、自分も周囲もかなり楽になるでしょう。
ただ、長年の気質とは怖いもので、なかなか根っこから変わるというのは難しい部分もあります。

ウン十年間、完璧主義者の酸いも甘いも味わってきた(ちっとも嬉しくありませんが)私としては、完璧主義の人が完璧主義をやめようとすると、完璧にやめなければと思いすぎてかえって神経質になる。という世にも恐ろしい事例もみています。

ですので、あまり深く考えず

まずは、
納期を守る、相手意識を持つという社会の基本をおさえながら、
「まいっか」
「何事も適当に」
「完璧主義も役に立つこともあるけど、バランスバランス」
「真剣はいいけど深刻はよくない」
と、傾きすぎる自分のシーソーをぐぐぐーっと戻してあげてください。


そしてそれでもどうしても完璧主義がニョキニョキ顔を出すときは、
腹を括って、「どうせなら沸点を目指そう」と明るく加点方式ではりきってください。
そして周りとの調和を大切にしてください。


生まれもった気質、長年の考え方の癖と付き合うのは骨がおれます。
でも、心と体の健康を守れるのも自分しかいませんので、まずはちょこちょこっとした工夫からはじめてみるのはいかがでしょうか。


では、今日はこの辺で